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22日土曜日、岡山市内で見ました。近くで見ると、相当年期がはいってますね。
みなさん、お久しぶりです。8月5日に時間が取れ
れば、津島ノ宮へ行って見ようかと思っています。
111系の話題は少し前にも話題になりましたが、
まだ四国島内では定期運用(ただし113系と共通
のようですね)があるようです。また、私もみなさんに
ご教示頂いたのですが、113系はまだ岡山に入れない
ようなので、観音寺−岡山を走る6000系(2編成
しかありません)が検査入場するときは今でも111系
が代走する、とのことで、もう少し111系の勇姿が見られ
そうです。yabaoさん、こんなんでよろしいでしょうか?
松山配置のキハ58 463は普段通り運用についてます。 ただし、現在7両配置中3両が予備に回ってる状況ですのでいつも運用に入ってるとは限りません。
はじめまして「急行よしのがわ」と言います。実は四国のキハ28、58の 現況と運用について誰か知っている人がいたら教えてください。まだ キハ28ー2002、2417、3013、キハ58−178、463は運用に入ってますか?
はじめまして。 ゴールデンウィークに津島ノ宮へ潮干狩りに行きましたがすごい人です。辺りは車が通れないほどの不法駐車の山(かくいう私も・・) あれだけの人ごみの目の前に駅があるのだから利用しない手はないと思います。 『いしづち』を臨時停車させて高松からの潮干狩り切符をPRすれば・・・と思うのですが。 山陽電鉄はこの手で結構うまくやっているのに。JR四国もこの事実を知らないはずはないと思うのですが。
皆さん、こんばんは 8月4日、5日といえば津島ノ宮駅が営業する日ですね。 昨年、行ってきましたが当然のことながら子供連ればかりで賑やかでした。 又、この駅の所在は三野町というのも興味深いものです。 というのは多度津町と詫間町の縁を切るかのようにヒョイと三野町が海まで 突出していて、その部分に駅があるということです。 臨時駅のため隣の海岸寺でも詫間でも駅名板には”津島ノ宮”は無視されていますが 津島ノ宮駅の駅名板には”海岸寺”も”詫間”も書かれています。(当然ですね) ところで1971年の時刻表を見ますと高松⇒徳島間のむろと1号と阿波6号 徳島⇒高松間のむろと1号、3号が高徳間ノンストップです。 特に阿波6号(515D)は徳島を出て牟岐線に入った途端、各駅停車に変身する 面白い列車ですね。 ちょっと以前の話ですが予讃線の急行が伊予土居に停車していた事が書かれて 居ましたが、その列車乗ったことがあります。今から25年くらい前、香川から 松山まで行くのに乗った急行が川之江・三島・土居・新居浜・西条・・・と 停まっていました。
はじめまして、ふらりとやってきました。 「阿波」ノンストップの件ですが、80年の時点では「阿波3号」は高松〜徳島文字通り無停車 「阿波6号」が無停車ながら阿波大宮で運転停車してました。 その後、時刻修正して三本松停車になったものと思われます。 しかし、当時と比べて高徳線高松よりの駅が激増してますね。
今日、部屋を整理していたら、81年2月の時刻表が出てきました。 そんなわけで、高徳「本」線の時刻表を見ると・・ ありました、ありました。やはり急行<阿波3号>がノンストップです。 <阿波6号>は三本松で客扱いがあり、ノンストップはこれ1本のようでした。 自分で聞いておきながら、失礼しました。でも、<むろと>のノンストップは 初耳で、大変勉強になりました。
キハ185系基本番台改造の3000番台2両が出場したようです。 トイレ付きというコトで、さらにサービスアップって感じですね。
宮脇俊三氏の「最長片道切符の旅」の中で高松から徳島を、 徳島までノンストップのむろと1号に乗ったとかかれています。 時刻はまさや様の投稿の通りです。 「3両しか連結していなくて、ほとんど満席」とありますが 利用者は多かったのでしょうか。 昨日偶然読み返して気づきました。
「ザッツ、マツX」じゃないですよ。私もぜひ津島ノ宮へ 行こうと思います。ただし、ちょっと前にも書きましたが、 きっぷはもとより、駅周辺を研究してみたいと思っています。 北海道の仮乗降場よりは乗る人いるはずなのに・・。
「津島神社の祭礼」が近づいてまいりました。今年も8月4・5日に津島ノ宮駅に普通列車が 停車します。今年こそ現地を訪れたいです。 ところで、ずっと前から気になっていることですが、津島ノ宮発着で切符の発券ですが、その 普通の券売機でなく、マルスとかで駅名を印字した券というのを買いたいのですが、皆様は 買ったことがあるでしょうか?
どうもはじめまして。私もJR四国のいちファンです。 こういう掲示板があってとてもうれしいです。 阿波のノンストップのお話がありましたのでちょっと・・・ 手元にあります1980年4月の時刻表によれば、 阿波3号 高松12:01→徳島13:20 阿波6号 徳島09:48→高松11:11 が高徳間ノンストップで運転されていました。 さらに むろと1号 高松08:25→徳島09:45 むろと6号 徳島15:37→高松17:02 も、同じくノンストップで運転していたようです。 ちなみにこれらの列車の本州方面との乗継について、 阿波3号は東京06:00発の速達ひかり21号と連絡できそうな時間ですが、 このひかり、岡山10:10着で宇野線快速10:13に乗り継がないと無理でした。 阿波6号も連絡船、宇野線快速をトントン乗り継いで、 これまた岡山で3分接続で速達ひかり24号に連絡していました。 むろと1号は宇野06:03着の瀬戸から 06:15もしくは07:15発の連絡線に乗船すれば 1時間後に高松に着き、乗車可能というかんじでした。 むろと6号は連絡船・宇野線を乗り継ぎ、 岡山で17分連絡で東京行き最終のひかり116号(岡山始発)に連絡していました。 (岡山19:23→東京着23:46) ちなみにこの時刻表のカラーページには 『宇野〜高松間のホーバークラフトが新船に』というタイトルで、とびうお号が紹介されてました。 1ページの3分の2程度の記事ですが、 “海の新幹線としての活躍が期待されています” という文章からも当時の国鉄の意気込みが感じられます。
「阿波」がノンストップ..って言う話は読んだことがあるような気がするのですが、 手元にその本が無いのでわかりません。 山本町駅さん、すいません。m(__)m (廣田カメラマンの写真集で、国鉄全線を撮ったという内容のものだったのですが..) 知っている方がいらっしゃいましたら、教えて下さい。 レインボーロードさん、はじめまして。 これからもよろしくお願いします。
四国の急行列車といえば 十数年前,まだ宇高航路が存命だったころに土佐に乗ったことが思い出されます. 大学受験で高知に行った帰り,キハ65に陣取り,四国山脈越えを堪能したのが四国病の始まり だったかと思います. その後,結局岡山の大学に進んで,すっかり瀬戸内の鉄道の素晴らしさに惚れ込んでしまいました. もう,そのころには2000系TSEも登場していましたが・・ 四国のどこに行っても急行のにおいを残したキハ58・28系が居たものでした. 今や,最後のよしの川も去ってしまったんですよね. 今となっては外から見ている者の感傷でしかないのかも知れませんがね. 現在,予讃線高松口の高速化対応工事が進捗しているようですが,どうでしょうか. 子供のころから見て育だち,再び四国で再会できた 旧静シスの111系が引退する日も近いと聞いています. この10年ほどのことしか知りませんが,青い国の鉄道には元気で居てほしいと思います. 今日から参加させていただきます. よろしくお願いします.
管理人さん、その昔急行<阿波>が高松−徳島をノンストップ で走る列車があったってウワサを聞いたことがあるんですが、 ホントですか?
「阿波」とか「むろと」とか小さい頃に乗ったんですけど、到着時間が早かったという 記憶しかないです.. 最近、特別急行といえる特急が無いと思います。 いっそのこと、特急を全て急行にして、急行を準急にするってのは.. ↑問題の解決になっていない..
まあ今の世の中、終日駅員配置ってわけには・・。念のためですが、 私は駅員がいないことを批判しているわけじゃないですよ。駅員さんだって 食事はします。まさに「ハラが減っては仕事はできぬ」、です。 >「特急」は根無し草 本当にそんな感じですよね。特に四国は急行なくなっちゃったし。 昔、私が愛読している鉄道雑誌のオピニオンにJRの列車種別を 民鉄式にしたらどうか?というニュアンスの投稿があり、共感しました。 特にローカル線に1本快速ができても、途中駅の住民が「停めてえなあ〜」 と要望して普通に戻したケース、幾例もありますものね。でも、これが料金不要 の「急行」になったら・・。あ、やっぱり阪急沿線(に限らず)の住民、やっぱり 「急行停まれば・・」って言ってましたもので(2年ほど大阪に住んでいました)。 少し脱線しましたが、確かに、特急・急行料金制度、そろそろ曲がり角、とは思います。
山本町駅さま> > 先日観音寺から多度津行136Mに乗っていたら >高瀬で「きっぷは車掌が・・」との放送があり、びっくり >してしまいました。 そのアナウンスがあったということは、通常は駅員配置という証拠です。終日無人の駅では なんのアナウンスもないでしょ。その時間帯は業務休止だったのでしょう。 主要と思われる駅でも早朝・深夜は駅員無配置というのはままありまして(四国だけに限らない ことですが)、1233M琴平行き乗車の時は宇多津や善通寺は車掌が回収作業を行っていました。 となると、四国で終日駅員配置があるのはかなり限られてきます。 急行「いよ」は15年位前に高松→観音寺で乗車しています。ガキのくせに「砂の銭形が見たい」 なんてぬかしていました。急行が風前のともし火の今、「特急」の名称が「根無し草」の感が ありますね。
「道後」は高松−松山間に運転されていた気動車急行で、 当初キハ55系で運転されていましたが、一等車だけはキロ28でした。 昭和36年の登場と思われます。 と、まあこれぐらいしかわかりません。役に立たなくてすいません。
鉄道誌で昔、急行<道後>っていう列車の写真を見たことがありますが、 どんな列車だったかご存知の方、いらっしゃらないでしょうか? 写真を見る限りキハ58のように見え、写真記事には「ミュージック ホーン」がついていたとありましたが、私が乗った急行は<うわじま> <いよ>で、<道後>は影も形も見たことありません。 JR四国とは直接関係ありませんが、よろしくお願いします。
「いよ」は、昭和31年11月の改正で、高松桟橋ー宇和島間に一往復設定された、 不定期準急「いよ」がはじまりです。当初は客車でした。その翌年定期列車となりました。 昭和35年には高松ー松山間に一往復増発し、 同時に高松ー松山間「やしま」も「いよ」に改称されています。 その後順調に高松ー松山間と松山ー宇和島間(後に「うわじま」に改称)で増発されていきます。 昭和41年には急行になり、昭和43年には高松ー松山間に5往復設定されています。 「しおかぜ」の登場は新幹線岡山延長の昭和47年ですが、 「いよ」は昭和61年の改正から格上げとなりました。
伊予土居という駅はあまりよくわかりませんが、 <しおかぜ1号>などを中心に停車していた豊浜駅が いつのまにか優等通過になってしまいましたね。 先日観音寺から多度津行136Mに乗っていたら 高瀬で「きっぷは車掌が・・」との放送があり、びっくり してしまいました。まさか特急停車(でも無人駅はありますが) の高瀬が無人・・?それとも休憩時間だったのかな?豊浜も今は 無人のようですし、意外なほど四国も優等列車停車駅は整理された ようです。 急行<いよ>ですが、国鉄時代に一度、丸亀−観音寺で、廃止決定 後に観音寺−坂出で乗車しましたが、前者のほうは小学生のころだった ので、あまり記憶にありません。ただ、あのころのメイン(丸亀は<しおかぜ> が停車しなかった)は<うわじま>でしたから、この時だけ<いよ>だったので、 乗ったことはもちろん、独特のヘッドマークもハッキリ覚えています。なお、 後者のほうは車両こそキハ58・65でしたが、当然四国カラーになっていました。 晩年の<いよ>は夜に1本になったり2本に増えたりと、あきらかに「特急にしたい ものの車両がないので」という感じでしたね。時代の流れはこわいもので、もう今では キハ58の急行が高松−宇和島を直通・・なんて想像もできません。
久しぶりのカキコです(^^;) その昔、予讃線伊予土居駅に優等列車が停車していたそうですが、その頃の背景を御存知の方、 詳しく教えて下さい。 また、特急『しおかぜ』の前姿と言える急行『いよ』について御存知の方も詳しく教えて下さい。 ちょっと気になったもので…。
8221レ新改停車ですが、うちにある古い2分目をみると、 平成10年10月3日改正より、32Dの発時刻が9分落ちたことで 行き違い駅が新改から土佐山田に変更され、今日に至っています。
私が以前高知行きに乗った時は新改にとまったのですが、 現在は通過になってしまったのですか?
ムーンライト高知号8221レは、32Dと山田行き違い 8222レは、49Dと新改行き違いです。
>こまちさん 時刻表をあらためて見てみると、 京都行きのムーンライトは新改で特急との行き違いがありそうな、 いかにもなダイヤですが、高知行きにも何かあるのですね。 いろいろ謎を解くためにも乗ってみようかと。 でも、もし爆睡してしまったら乗った意味なしですね(笑)。
>りゃいなあさん 高知行きのムーンライト高知に乗ることをお勧めします。
誠生さん、はじめまして。 前の掲示板が無くなって寂しくなったので、この掲示板を作ってしまいました。(^_^);; これからも、よろしくお願いします。 リンクの件ですが、よろしくお願いします。
誤「95年くいら」→正「95年くらい」
高瀬大坊の改称は、確か95年くいらではなかったか、と 記憶しています(意外に最近のようです)。ちなみに、ドライブ の帰途、電車を利用してみの駅を見てみましたが、高瀬大坊時代と 大して変化がないように感じましたが、新聞記事によると、ある程度は 整備されたそうです。
こんばんは〜、はじめまして。 前のJR四国掲示板でも何度か書き込まさせていただいていました。 なくなって寂しいなって思っていたら、できて嬉しいです。 ところで、管理人様僕のホームページにて四国の交通関係のリンクを作っているのですが、 こちらにリンクをはらせていただいてよろしいでしょうか? よろしく御願いします
坪尻ともうひとつ、新改もスイッチバックですよね。 この新改はどんなところなのでしょうか?列車本数が激減する区間なのでなかなか行けません。 また、客車列車時代は坪尻と新改ではどういった扱いがおこなわれていたのでしょうか? <山本駅町さん> たまたまあった昔の時刻表を見ると、たしかに「みの」が「高瀬大坊」になってました。 いつごろ変わったんですか?
ちょっと前に坪尻のことが話題になり、私は 「国道32号線で猪ノ鼻トンネルを抜けてしばらくすると 坪尻駅 600M という看板がある」と記入しましたが、 週末にここをドライブしたらこの看板がなくなっていました。 恐らく、ドライバーから苦情が多かったのではないか、と思います。 このあたりからは3箇所ほど下へ下れる道がありましたが、どこを 下れば良いかはわかりませんでした。なお、山道の600Mですから、 これ歩くときついと思います。私の住んでいる地区の最高峰の山の高さ の2倍あるもんな〜。これを往復・・、ぞっとして下るのやめました。 やはり坪尻は列車、です。
九州のキハ40・47って改造車が多すぎて良く把握出来ていないのですが.. (ノーマルに、キハ140・147シリーズ(エンジン換装)、そして+4000番台シリーズ(エンジン改造)に +8000番台シリーズ(エンジン換装)とあるので..) あの、荷物だなを占めているクーラーがバスクーラーなのでしょうか? あと、普段は475系・713系・717系のお世話だから.. 夏場になると、あつくてたまらなくなるから、寒いくらいでも個人的にはいいのですが。 (南九州なので) レスらしきレスになってなくて、すいません。m(__)m
ちなみに、九州のバスクーラーはかなり巨大なもの なのが、私の地元と一番違いますが、大きすぎて 「この場所には荷棚がありません」という注意書き もあります。ま、快適になった代償と割り切りましょう。
どことも似たような感じなので、あまり参考にならない かも知れませんが、私の地区は「バスクーラー」(スポットは 4つ)です(JR東海はインバータクーラー搭載しているのかな?)。 九州のバスクーラーは、スポットも比較的多くて寒いくらいきいて いました(管理人さん、実態は・・?)が、わが地元はもう一歩かな・・。 でも(高校1年の時のように)「ない」に比べると天と地ほど違いますし、 きかせるコツ、ずばり「扇風機と併用すること」と、暑くて死にそうなと きは「スポット下」の座席を選ぶことです。あと、そのスポットが閉じて ないかもチェックしてみましょう。 ちなみに、あのバスクーラーってシロモノ、1両に搭載するのに7ケタの 金がかかるそうです。やはり簡単に冷房化はできない・・。
こんばんは。 四国の寒地向けキハ47、クーラーを搭載していますが、 他の会社の車はどうなってるんでしょうか?
はじめまして m(__)m。キハ47形の話題とゆーことで,でしゃばってみます。 寒地向けのキハ47形500・1500番台は当初,43輌全車が新潟に新製配置されて ましたが,昭和59年の越後・弥彦線電化開業に伴って,501−505・1501−1505 が高松へ転属しています(その他にも広島,三次,小郡,唐津へ転属)。 その結果として,うるるんさんやMotoQさんの書かれている通り,現在JR四 国にいる500・1500番台10輌のみが台車の異なるグループになってるわけですね。 よって寒地向けキハ47形が現在徳島にいるのは,たまたま新潟で余剰となっ たクルマが全国的に転配されたから…と私は考えます。とは言え,三次は盆地 だし,小郡や唐津は日本海な気候のところを走るわけだし,ある程度「寒め」 のところが転配先に選ばれたのかもしれません。 <うるるんさん>>四国の車も、電気ジャケット等はすでに取り外されて、実質、寒冷地仕様とは呼べません。 となると,現状ではホントに「台車だけ」が0・1000番台との差違になるので すかねぇ。九州のコとかも同様の扱いなのかしら。
MotoQさん レスどうもでーす。 しかし、空気バネのクルマって四国の線路に合わない! コイルバネの方がいいなっ!!
うるるんさん>それらは、日本で四国だけに存在しています。寒地型の量産先行車と言うべきか・・・。>他社に多い500,1500台とは台車形式が異なっています。 501〜505、1501〜1505まではペデスタル式のDT44、TR226でしたが、506〜、1506〜は円筒案内 式のDT44A、TR226Aに変更されています。ちょうど501〜505、1501〜1505が徳島にいるので 四国だけに存在するってわけですね。
ありあけさん>追加なんですけど、徳島運転所のキハ47には寒冷地使用の500・1500番台もあるん>ですよね。>台車を見ると、暖地使用の0・1000番台との違いがわかります。 それらは、日本で四国だけに存在しています。寒地型の量産先行車と言うべきか・・・。 他社に多い500,1500台とは台車形式が異なっています。 四国の車も、電気ジャケット等はすでに取り外されて、実質、寒冷地仕様とは呼べません。 山本町駅さん >前乗った時には、キハ47にはトイレがついている車両もありました。>多分、まだ残っていると思います。 0番台車は、汚物処理装置取付の上、運用されています。 58系の便所が取り外された理由としては、通勤用途に使用する際に、 乗降に時間がかかる(デッキから、客室までの通路が狭い、47系は トイレが出入り台よりも車端にあり、乗降に影響しない)ことと、 トイレ部分の車体の著しい腐食があったようです。 床が無くなっているものも多かったらしい。 ワンマンキハ40のトイレ撤去の理由は、当時のスタンスとして トイレ部分に遮られて運転台から死角になる所があるのはまずい、 と言うことが撤去理由になったそうです。
なぜ寒冷地型が徳島に・・と言われると?ですが、 2月の大歩危はものすごい雪が降ります(2月の<剣山> でダイヤモンドダストを見ました)。徳島線沿線(ここも 未乗)は雪、どうなんですかねえ?それとも投入当初は 土讃線も走っていたのかも・・?
なるほど、東四国地区(一度この名称の国体がありましたね) には比較的多いんですね。何とて高徳線屋島以南、足を踏み入れたことが ないんで・・。機会があれば乗ってみたいです。ありがとうございました。
追加なんですけど、徳島運転所のキハ47には寒冷地使用の500・1500番台もあるん ですよね。 台車を見ると、暖地使用の0・1000番台との違いがわかります。 でも、なんで徳島に寒冷地使用のキハ47がいるのでしょう? 知っている人がいたら、教えて下さい。
四国のキハ40・47って、松山と徳島にしかいないんですね。 (鉄道ファン7月号より) 松山にキハ47が9両、徳島にキハ40が11両・キハ47が33両です。 良く乗っているのが牟岐線なもんで、四国にはキハ40・47というイメージでしたが.. 徳島のキハ40・47は鳴門線の他、牟岐線の牟岐・海部方面への列車にも使われてます。 高徳線でもキハ40に乗ったことがありますし。 前乗った時には、キハ47にはトイレがついている車両もありました。 多分、まだ残っていると思います。
「ありあけ」さん、確かにキハ40やキハ58なんかはトイレを撤去しています よね。そこまでして・・。銭を節約するところを間違えているのでは・・とも 感じました。 ところで、私の自宅周辺にはゴロゴロしているきは40・47ですが、四国って 意外にキハ40・47が少ないような気がするのは私だけでしょうか?確かに土讃 線では使いにくいですが、キハ40は四国では1度も乗ったことがありません(鳴 門線に使われているらしいですが、未乗)。キハ47は観音寺から先が非電化だっ たころにちょくちょく見ましたが、何両くらいあるんですかねえ? ちなみにキハ47、現存しているとすればトイレ付いてますか〜?まさか1000 番台しか生き残っていないなんてことはないと思いますが・・。 まあ、梅原社長に期待して、これからの改善に期待しましょう。
JR四国のワンマン用の車両って、キハ32とキハ54はもともとトイレが無かったもの の、キハ40 2000番台からも改造でトイレが無くなってますよね。 (国鉄車に限定してみました。) 他の地域だと、ワンマン化されても大体トイレが残っていることを考えると疑問に感じて いました。 2両以上だとツーマンで運転するところは評価できるのですが.. (九州だと2両でもワンマン運転やりますから..)
トイレといえば、 予土線に乗ったとき、およそ2時間トイレにいけないことを考え、 乗車前から水分補給を制限して乗ったことがあります。 (なんせ、小便が近いもので、大変です) 予土線といえば、<清流しまんと>のトロッコの相棒はキハ54ですが、 観光客の印象としても、トイレなしはよくないのではないかと。 どうしてもジュースとか飲みたくなるでしょうし。
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