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うつくしま未来博協賛?企画
うつくしま、ふくしま。
チャレンジ90市町村プロジェクト
最 終 報 告
1.はじめに
「うつくしま、ふくしま。チャレンジ90市町村プロジェクト」
とは、「福島県下90の各市町村の市役所、町村役場を訪れ、その市町村であることがわかる物と一緒に写真を撮ってくる」ということをおこなうものである。主たる目的はとにかく90市町村を訪れること、そしてその街の顔といえるであろう市役所、町村役場庁舎をみてくる、というところにあるといえる。
しかし、それをもとにして何らかの研究を行うとか、そのための調査をするという事はいっさい考えていない。本企画は、受験勉強にゆきづまりを感じた一人の学生のふとした思いつきに、これまた卒論に行き詰まりを感じていた学生がノッてしまった事から始まった、何の学術的目的もない、現実世界からの逃避行動にすぎないと本人たちは考えている。
よってこの報告を読んだからといって、別に賢くなるわけでもないし、ましてや何らかの教訓を得ようなどとしてはならないのである。よくもまあこんなバカなことを・・・と思っていただければそれでよい。
本来ならば、企画終了後早いうちにまとめるべきであった本稿であるが、企画参加者それぞれの事情によって報告が延び延びになってしまった。そのため、記憶が薄れている部分もあり、完全な物とすることができなかった点もあるが、残された資料を基にできるだけの記述をしたつもりである。
1999年10月18日(月)
夕刻、不幸にもこの企画に巻き込まれてしまうこととなったOと福島駅で待ち合わせ、名古屋の自動車メーカー系列のレンタカー屋で車両を受領。90市町村を廻りつつeco runに挑む、というこの企画のために白羽の矢が立ったのは、「ヴィッツ」であった。
車両受領後、金谷川高原を目指し、あらかじめ学生課から借り受けたシュラフおよび写真撮影用の三脚を積み込む。その後、ゼミ終了の時刻をねらい行政社会学部棟正面玄関前でKと合流。福島のK宅まで送り届け、いったん解散。
1999年10月19日(火)
02:30、普段ならこれから寝るような時間に行動を開始。Kと再び合流し03:00、作戦を開始。R115〜R49を経て、最初の訪問地
会津若松市
へ。まだ暗闇の市役所付近でカメラを三脚に据え付け、セルフタイマーで写真を撮る姿は、他人から見れば相当怪しいものであったことであろう。撮影後、若松合庁〜R401〜県72を経て
北会津村
へ。盆地特有の霧に包まれた、怪しげな櫓付きの役場庁舎は、さながらCIAかなにかの秘密基地の印象であった。その後県72〜県59〜県22で新鶴村に至る。ナリキン趣味的な庁舎の出現に、にわかに3人とも不機嫌になる。県22〜R401を経て
会津高田町
へ。新鶴とは対照的な、築30年はこえようかという庁舎。R401〜県29と通り
会津本郷町
、ラブ○テルを彷彿とさせる「きゃっする」庁舎。「鮮度がじまん魚の店」なる、会津においては誇大広告にあたるのではないかと思われる商店の看板を見つつ、R118を快調に南下。下々の民を見下ろすには格好の丘の上にでーんと新庁舎を構える
下郷町
を経て、南会津随一の大都会、東京行き直行列車発着駅所在地の
田島町
に到着。田島ときくとメチャメチャ山奥を想像してしまうけれども、さにあらず。コンビニもあるし相当の街であることを認識。ま、雪が多いことをのぞけば(それが相当のマイナスポイントではあるが..)、不便を感じることはない街でしょう。
田島をでた後、R121をしばし走行の後、R352に足を踏み入れ、いよいよこの企画の神髄である、奥会津の最深部、
舘岩村
、
檜枝岐村
、
伊南村
へ。檜枝岐は総人口700人あまり。本当の山奥とはこのようなものなのかとしばし言葉を失う。何しろ役場庁舎入り口が2階。つまりそこまで雪が積もると言うことを意味する。有り体な表現ではあるが、そこだけ時間のすすみ具合が他とは異なっているのではないかと思うほどであった。福島にいるからには一度は訪れてみるべきだ、とくに行政を語るヤカラは能書きを垂れる前にいっぺん訪れる義務がある、と3人で強く頷き合う。伊南村ではヘリポートに駐機するヘリを目撃。主な交通機関はヘリなのかしらと思ってしまうほど、周囲は山ばかり。冬はさぞかし雪も降るのであろう。伊南よりR401で
南郷村
へ。かの地には最果ての県の出先、山口土木事務所が所在。「ひとは、どのようにしても、生きてゆけるんだねえ。」と、にわかに立松和平化してしまう3人であった。
全行程の1/9を終えたところで、「国道」401号を
昭和村
へむかう。それまで尋常でない早朝に起きた、ということ以外にこれといった苦労もなく順調に進んで来た一行に、とんでもない状況が待ちかまえていたのであった。
そのとき、走行していたのは「国道」であった。まがいもなく国道である。しかし、最初片側1車線、センターラインのあった道路はそのうちセンターラインが消え、あれよあれよと車がやっとすれ違えるほどの幅にまで狭くなり、ついにはアスファルト舗装までが消えてしまったのである!農道のような、自称「国道」をゆるゆると進んでいくうちに、誰の口からともなく「道まちがえたんちゃうん?」という言葉がでる。ふとした疑問が確信に変わりつつあったその時、路肩に申し訳程度に、見覚えのある青い逆算角形の標識が・・・。なんと信じられないことにそれには「401」の文字が見えるではないか。「もう国はアテにあらへん」とあきれ果て、未舗装の国道が許されてよいのか!と怒り心頭に達しつつ、昭和村役場に到着。相当程度に難渋して到着したこの村は、村に通じる道路3本のうち2本が冬季閉鎖になるというすさまじい道路事情にある。この経験が彼らに「3ケタ国道」というトラウマを生じさせたのであった。それ以来3人は事ある度に言うようになる。
曰く「3ケタ国道には気をつけろ」と・・・・・・。
その後、けだるい午後の会津を、R400においてママチャリで10トンダンプに挑みかからんばかりに反対車線を蛇行するオババなどを見つつ、
金山町
へ。庁舎前に未来博についての各町ごとのイメージ看板っぽいのがあるのだが、ここのやつはでっかい宇宙人みたいのが街を襲いに来てるみたいなやつだった。この看板を見比べると各町の未来博への態度がわかる感じでおもろいのう、といいつつR252で
只見町
。駅の窓口が開いていたので、マニア垂涎の只見駅の入場券を買う。汽車で来たのでは絶対に買えまい。ついでにホームにでてみて、思えば遠くに来てしまったことであるよ、と武田テツヤの様なことを口ばしったぐらいにして、再びR252で
三島町
、
柳津町
、
西会津村
、
高郷村
、
山都町
と消化。このころになるとさすがに夜討ち朝駆けの疲れからか、運転を交代し後部座席に乗ると寝ることが多くなってきた。そのせいもあってか、このあたりについてはあまり記憶に残っていない。
山都からは県道で
喜多方市
へ。腹は減っているものの、だれもラーメン食おうかとはいわず。わざわざ並んでまで食いに来ている物好きがいるねえ、ばかだねえと、先へと急ぐ。喜多方にはラーメン食いにしか来たことがなかったので、ラーメンを食わないで立ち去るのはなんだか不思議な気分であった。R121で
熱塩加納村
へ。予想よりも大きな庁舎に驚く。その昔、西部署ダイモンが大暴れした場所であるなあと、再放送中であった西部警察の事をはなしつつ、R121〜R459とつなぎ
北塩原村
へ。正面玄関がどこにあるのかわからない、奇妙な庁舎。傾きかけた太陽を気にしつつ、県69〜県61で
塩川町
へ。何か塩のつく町村名がここらには多いねえ、と、それ以上深いことは考えようともせず、
会津坂下町
へ。退勤時間の17:00の5分前に到着し、写真を撮っていたところ、17:00になると同時に庁舎を出て、10秒後には車で街道に消え去る公務員氏を目撃。呆気にとられながら湯川村へ。三脚を据え付けていると、退勤する職員が玄関より現れ一言。「何かあったんスか?」その昔、なにやらしでかして、カメラがいっぱい訪れた村だけに、カメラには敏感らしい。湯川をでると日が暮れ、河東町、パチンコ屋の隣にある
磐梯町
、
猪苗代町
と廻り、R115で福島に帰投。21:30頃、日程第1日を終了。
1999年10月20日(水)
R4の渋滞をさけるため、またもや早朝に福島を発つ。早暁のR4は快適に流れ、
須賀川市
からこの日も操業開始。須賀川につくや否や、Oがハラ痛いので駅から帰る、といい出す。しかし乗っていればそのうち治る、と訳の分からない理由で言いくるめられ結局行動を共にすることになる。Oも辛かろうが2人だけで残りを消化していくのも相当辛い。90車両は最小運行乗務員3名を要するのである。(結局体調はその後回復した。)R118で
玉川村
を目指すが少し入り組んだところにあり、行きすぎてしまう。その後R118沿いに
石川町
へ。写真を撮っていたところ町民オババに「なーにしてんだあ?」と聞かれる。その後県道で中島村、
東村
、表郷村をまわる。この付近はJRバスの路線バス専用道路があったりして、そこを走るバスに気を取られているうちに浅川町を取りこぼしてしまう。(気づいたのは福島帰投後だった。)ルネサンス
棚倉町
からR118沿いに
塙町
を経て臨界事故後の茨城県に最接近の
矢祭町
へ。このころになるとカメラアングルの決定から三脚設置、撮影、そして撤収まで3分以内という、米軍特殊部隊のような手際の良さで日程をこなしていくのであった。矢祭からR349で鮫川村へ。途中、またもや3ケタ国道の悪路に悩まされる。鮫川の庁舎所在地は「新宿」であった。トイレを使用したところ、備え付けの紙の包みには「アルタ」と記してあった。R349を一路北上、
古殿町
へ。国技館のような庁舎の中は、08:30というのに人の気配なし。どういうことだと勝手に憤りつつR349〜県300で
平田村
。 この村はなぜか公共施設の所在地を緯度経度で示すことに命をかけており、保育所の位置も緯度経度で示してある。台風の進路であるまいし何考えてるのだろーかと再びR349で、
小野町
に到達。それまでは見ることのなかったプリウスの公用車を発見。現像後のプリントを見るとなぜかここの写真だけヘンに感光している。心霊写真だったりして。R349〜県19に入り
滝根町
。玄関先には「あぶくま洞」のロゴ入り公用車がズラリ。もはやこの町は自治体にあらず。観光開発業者ではないかと思ってしまった。R36で
川内村
へ。舗装してあるのはいいものの、すれ違いができないくらい狭かったりして結構大変なルート。しかし、国道でさえ舗装してなかったりする「ふぐすま」の道路事情を目の当たりにしている3人は、「まあ、県道だから」と鷹揚な態度で望んだのであった。役場は壕のような用水路や川に囲まれたところにある。何が攻めてくるのだろうか?
川内からR399で
都路村
へ。その昔、ある英語の教官が、「そんなバカは都路村にもおらんわ」といったことによって仲間内では有名な村。その発言の真意がどこにあったのかは今となっては知る由もないが、新築のでっかい役場は土足で入ってはならぬと玄関先に掲示してあり、住民にスリッパ履きを強要していた。新車のときにシートについてくるビニールカバーを外さないで乗っているアホに通ずるものを感じる。そういう意味で「そんなバカは都路にもいない」のだろうか?さらにR399を北上。無事故12,000日で有名な
葛尾村
へ。村の至る所に、無事故何日かが一目でわかるデジタル電光掲示式掲示板が林立。金の使い方間違ってねえか?もみけしてねえか?事故らぬようにゆるゆるとR399を北上中に、ピカピカと燃料残量警告灯が点滅。周りにはGSなどない峠、どうするどうすると峠を下りすぐさま給油。計算の結果リッター20Kmは走っているらしく、改めてヴィッツのすごさを認識。特に意識した走りをしていない(しかも走っているのはワインディング)のにこの数字である。この結果からヴィッツが今後のたびどうの主力車種となっていった。
まだまだR399を北上、
飯舘村
へ。シムシティを実地で行いたいらしく、とんでもない山の上に役場庁舎などの施設が。行政社会学部地域計画論某教授の野望であろうかとげすの勘ぐりをかます。その後R399で
月舘町
、R349で
川俣町
、R114〜県39とつなぎ
飯野町
とまわり夕刻福島に帰投したのであった。極度の疲労からか、残りの市町村についていつ消化するかについて深く考えるものはなく
「この段階では企画再開についてはできる限り早い時期に」、とのみ決め、企画は暗礁にのりあげかかったのであった。
1999年11月3日(祝日)
「トヨタで車を借りてまいるを貯めるんですよ、がはは」というNの目論見に便乗する形で、企画が再び始動することになった。今回は別動のもう一台がR4〜R49を経由、いわき周辺で合流することとなった。車割の関係でT氏が途中まで同乗することとなり、カメラマンをつとめてもらうことに。90企画車両はR115で相馬まで回送、相馬駅で仙台から常磐線で来たOと合流、R6を経て宮城県境の
新地町
から営業を開始する。今回は大動脈R6沿いの市町村を拾う。今まで走破してきた3ケタ国道に比べれば楽勝である。R6沿いに
相馬市
、
鹿島町
、
原町市
と順調に消化。原町では、かのT女史の勤務する原町合同庁舎に寄り道。遠巻きに眺めつつ、
小高町
へ。 その後ゲンパツ立地である浪江町。でんこちゃんからもらったお小遣いで建てた庁舎は県都福島市庁舎の数倍はあろうかという偉容を誇るもの。原子力政策の歪みを感じつつ、双葉町、
大熊町
、
富岡町
と消化。さすがにどの町もゲンパツのおかげなのか、庁舎が立派であった。あまりにもあっさりと計画が進行し、それまで道なき道をつぎの役場まで峠を越えて20キロ、というのが常だった3人は、多少の張り合いのなさを感じる余裕を見せつつ、
楢葉町
、
広野町
をクリア。この辺の役場は、店でもないのに正面玄関のドアに「いらっしゃいませ」のステッカーが貼ってあった。何か営業でもしているのか、それとも・・とヘンに勘ぐりたくなる3人。楢葉では祝日にも関わらずなぜか開いている役場でトイレを使わしてもらった。
ここまで消化したところで、本隊と連絡をとり、塩屋崎で合流する事に決定。そこで遅いひるめしを摂ることにする。昼飯は観光地名物、「遅い・高い・不味い」と3拍子そろったオソロシ定食であった。今回は本隊のおまけ的存在である90組も、塩屋崎での観光につきあうことにする。
灯台付近をうろうろした後に、いよいよ行動再開。T氏と入れ替わりに広報部長Fが乗車。R6〜R115を経て福島に戻る本隊と別れ、営業運転を再開。休日の渋滞に多少巻き込まれつつ、30万都市、
いわき市
へ。さすがにデカい庁舎に関心。日が傾いてきたいわき市からR49〜R349で
大越町
に至る。実はここは1回目の計画で訪問したのだが撮影に失敗。2回目の訪問である。日が暮れ暗闇の中、撮影。あがってきたプリントを見てがっかり。看板が反射材を使用しており、暗闇に看板だけが写った写真になってしまっていたのだった。大越から磐越東線沿いに県19を北上、R288に入りカブトムシ王国
常葉町
へ。町営公衆便所前に怪しい巨大なカブトムシの「つの」のオブジェ、しばしたわむれるもの1名。R288をとって返し駅裏にラブホと見まがう結婚式場のある
船引町
へ。 ハラへったと言いつつも周囲に飲食店らしき店はなく、粛々と
三春町
に。結局食料は入手できないまま、県道特有の極端に少なく不親切な案内看板(アオカン)と地図を頼りに
白沢村
を目指すが、複雑に入り組んだ県村道と、庁舎自体が全然目立たないものだったため、多少迷いつつも庁舎発見。もう少し自己主張してほしいものだと勝手なことをほざきつつ、県道を北上、フジヤマが見える北限の地をウリものにする
岩代町
へ。R459〜R349で
東和町
へ到着。久々に見るナリキン的庁舎にあきれる。庁舎前には福島大学のS棟前にあるようなハダカの女性像が。趣味の悪さを憂えながら立ち去るわれらであった。
ここまででいったん営業運転を終了。R349を北上中にいったん解散した本隊車から入電、川俣道の駅で再合流する事となる。
合流後、初心者の教習をかねつつR349で
霊山町
へ。この日の営業を終了したのであった。
1999年11月4日
なんだかんだといって、最終日。「中通り」をまわる予定になっている。もう、ここまでくれば、よっぽどのヘマをやらかさない限り、今日中に楽勝で終わるであろう。
R4の混雑を避けるため、またもや早朝に福島発。「とーほぐのシカゴ」と誉れたかい
郡山市
へ。さすがに早朝の市内は閑散としている。しかしここはシカゴ。銃弾やマフィアにおびえつつ早々に立ち去る。R4〜R118を快調に飛ばし、前回JRバスに気を取られるあまり忘れ去られてしまった浅川町へ。登校時間の街中から通勤時間帯で結構交通量の多い県道をつなぎ、R289で
白河市
へ。県の白河合同庁舎前では出勤する職員を相手にクミアイがダンケツと闘争を呼びかけていた。うるさいので素早く立ち去り、新幹線駅のある村
西郷村
へ。庁舎のトイレにゆこうとすると、出勤後間もない職員数名がむほほほほと談笑をしていた。
途中給油を経てR4で
泉崎村
へ。いろいろと悪名高きこのむらは、庁舎の至る所に意味不明の英文を書き散らすことでお茶をにごしているようだった。R4を少し北にゆき県道で
大信村
へ。来た道をとって返しナカハタの生産地
矢吹町
。アンサージの看板が立っていたかどうかは定かではない。さらにR4で
鏡石町
。役場の近所でR4沿いには明らかに「や」系とわかる「事務所」を発見。「しかご」のまふぃあと抗争をしているのやもしれぬ。
R4から県289で
天栄村
へ。庁舎前で米袋を五〜六人がかりで運ばんとすオジジあり。五メーターも運んでいないのに、「いやーつかっちゃー、ガハハ」。やや呆気にとられつつ
長沼町
、岩瀬村を消化。
しばし回送の後ついに
本宮町
。近所に、R4に面したチェーン店の居酒屋が広大な駐車場を備えて営業の模様。しかし、ひとつ建物を挟んだそこは本宮警察署。のんだらのるな、のむならのるな、ということか。もっとも身近なびれっじ
大玉村
を消化の後、いよいよ
二本松
市
へ。踊る大捜査線の湾岸署を彷彿とさせる洗練された庁舎。ちょうど昼時でもあるところで、庁舎内の食堂で昼食。通称旧4を経て
安達町
。ここでマイルことNに連絡。「今日中に終了につき達成記念の看板を用意しろ」と。金谷川でNをひろい、一路
保原町
へ。隣接する立派な公民館と対照的に、年季の入った小さい庁舎。その後阿武隈急行でひとやま狙う
梁川町
へ。二本松と並ぶ超インテリジェンスちっくなビル庁舎。R4にでると
国見町
、
桑折町
、
伊達町
を経て、残るはついに
福島市
のみ。さすがに車の数が多く、撮影に苦労しながらも、無事撮影を終了。立案5秒、のべ四日にわたり、数々の人々を巻き込んだたびどう史上に残されるであろう一大企画がここに完結したのであった。
4.おわりに
灯台もと暗し、とはよく言ったもので、結構自分の住んでいるところについては知らない、というのが90市町村をまわっての率直な感想であった。ま、まわったと言ってもそれぞれの街への滞在時間は3分から長くいても30分と短く、たったそれだけでそれぞれの街を云々するのはどうかと思われるかもしれない。しかし、「街の第一印象」を我々なりの視点から記した物だとその点は軽やかに理解していただきたい。だから今度はすべての市町村で1泊して何か食べる、というのを90市町村やるのもよいかな、と思ってみたりしている(本気か?)。
(文責:90プロジェクト事務局・現 名古屋大学大学院法学研究科博士前期課程1年 板垣 渉)
※HPで公開するにあたり、一部編集している個所がございます。
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