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ふるさとレポート 千葉県船橋市編

(1)概略

 千葉県船橋市は千葉県の北西部に位置し、面積は85.63km"、人口は約54万人を数える首都圏でも大規模な都市である。南は東京湾に面し、北は下総台地が広がっている。昔から農業が盛んで都市化が進んだ現在でも首都圏という大消費地をバックに営まれている。特にニンジンは全国的にも有名な農産物の一つである。

 船橋市の主な市街地は、昔からの中心である船橋と大型店の多い津田沼などがある。

 船橋は鉄道網が発達しており、JR総武本線・京葉線・武蔵野線・京成線・東武野田線・営団東西線・新京成線・北総公団線の6企業体9路線が走っている。来年4月には京葉高速鉄道が開通し7企業体10路線が市内を走ることになる。道路網も千葉街道・湾岸道路・成田街道・東金街道の他、京葉道路・東関東自動車道などの高速道路も走っている。

 船橋に所縁のある有名人も少なくはない。特に太宰治は船橋を愛し、いいところだと記している。最近ではプロゴルファーのジャンボ尾崎軍団が住んでいることが有名だが、かつてはあの麻原彰晃も住んでいた。また女優の田中美奈子や持田真樹も市内の小学校を卒業している。(二人とも同じ船橋中学校の卒業生!)それから、女子マラソンの有森裕子もまた船橋でトレーニングを積んだ。

 船橋と言えば忘れてならないのが市立船橋高校の存在である。「イチフナ」の愛称で知られているこの高校は承知の通りスポーツが強く、今年の高校サッカー大会で帝京高校を大差で破って日本一になったのは記憶に新しい。その他夏の甲子園でベスト8に残ったり、最近は仙台育英に押されているが京都の高校駅伝でも男女アベック優勝をするなど数々の輝かしい記録を残している。また、早稲田大学陸上部のエース渡辺やベルマーレ平塚の野口、それにソウルオリンピックの金メダリスト鈴木大地など卒業生も活躍している。

 (2)歴史

 船橋という名前の由来は、景行天皇がこの地を訪れた際大洪水に見舞われ、船を連ねて橋としたことから来ていると言われている。

 純正には千葉街道、成田街道の宿場町や船橋大神宮の門前町として発展し、特に成田山への参拝客でにぎわった。また徳川家康が鷹狩りのためつくらせた御成街道(現在の東金街道)の起点だったことから将軍の御座所がつくられるなど千葉方面の重要な拠点の一つだった。

 明治時代になるとそれまでの漁業・農業中心の町から近代的な工業都市への脱却がはかられ、東京に近いという地の利を生かして大いに発展していった。第二次世界大戦で東京を始め周辺の大都市が空襲の被害を受けた中で幸運にも船橋は戦災を免れ、戦後は「日本の上海」と呼ばれるほど美しい街であった。

 やがて戦後の高度経済成長期にはいると船橋にも宅地化の波が押し寄せ、人口も飛躍的に増加した。前原、習志野、芝山、夏見台、行田などのマンモス団地が建設されたほか、湿地を埋め立て台地を削っての大規模な宅地開発が進められた。その結果、人口54万人を数える都市に成長したのである。

(3)見どころ

 船橋には有名なスポットがいくつかある。昔は東洋一の規模を誇った娯楽施設「船橋ヘルスセンター」があったが、今はもうなく、その跡地には大型ショッピングセンター「ららぽーと」がたっている。そのほか、JRA(中央競馬)の中山競馬場、市営の船橋競馬場、オートレース場のようなギャンブル施設が多い。さらに世界初の全天候型人工スキー場ドーム“SSAWS”(ザウス)も有名だ。

 歴史的に有名な物としては「塔明台」と「行田団地」がある。「塔明台」は江戸時代にたてられた日本最古の灯台で海を行く船の重要な道しるべとなった。埋め立てにより海岸線が遠ざかった現在でも船橋の街を見おろす高台にひっそりと建っている。「行田団地」はそれ自体は珍しくないが、ここには以前陸軍の無線基地が建っていた。ここから真珠湾奇襲の暗号電波が発信されたのである。

 以上船橋について述べてきたが、船橋にはおもしろいスポットがまだあるので一度訪れてみてはどうだろうか。

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文責:行政社会学部2年(当時)寺村宏幸 プラットフォーム10号 1995/5

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