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  9月18日(水)

 朝5:56福島発黒磯行。私は前日生協で購入した“東京ミニ周遊券”を持って電車に乗った。郡山で“きつねそば”を食べ、スポニチを購入して、やっと少し頭が覚めるが、夕べ寝ていないのでやはり眠い。黒磯、宇都宮と単調に乗り換えをこなし、普段なら降りる浦和を通過する。

 今回の旅行の目的は、行ったことのない身近な駅に寄りつつ、〒530局を越えることである。その最初の目的地・十条に向かうため、赤羽で乗り換えた。

 十条駅の西側に行き、十条仲原〒に向かう。〒への道はずーっと商店街で、人も多く歩きずらかった。少し奥まったところにあったが、用を済ませ、もと来た道を戻り上十条〒に向かう。ここの〒で待ち時間にボーッとポスター類を見ていると、都税の自動振替のポスターに村田和美が使われていた。何度、もらえないかと聞こうかと思ったができなかった。このあとも何カ所かでこのポスターを見かけた。その後、3局で用を済ませ、東十条から上中里へと向かった。

 上中里駅前の道をまっすぐ行ったら、西ヶ原〒があるはずだった。だが姿はなく、張り紙らしい形跡も無かった。仕方がないので、あきらめて駒込駅へと向かった。駒込駅前〒に寄り、巣鴨へ向かった。

 当初、巣鴨では巣鴨駅前〒に寄って、山手線で大塚に行こうと思ったが、巣鴨〒がさほど遠くないので寄っていくこととした。巣鴨〒への道には丁度とげぬき地蔵があり、驚いた。こんなに近くだったことを初めて知った。

 大塚から再び山手線に乗った。池袋から高田馬場までは利用したことがあったので新大久保へ向かった。が、この時乗り過ごして、新宿まで行ってしまった。新大久保駅前〒で、498局目で500局目は代々木駅前通〒にしようと考えたので、少し遠かったが北新宿三〒にも寄った。大久保から総武線に乗り代々木へ。ここで代々木駅前通〒に寄るのだが、少し道に迷った。

 恵比寿で友人と待ち合わせていたので、恵比寿へと向かう。その後、恵比寿ガーデンプレイス〒に立ち寄った。これなら500局目をこちらにすればよかったと少し後悔した。しかし、風景印があると思っていたら、無かった。少し歩き回ったあと、水道橋へ向かった。

 この日の東京ドームのカードは、日ハム−西武だった。ただ東京ドームに行きたかっただけなので、混まない日ハム戦を選んだのである。普通に窓口で自由席券を買おうとしたら近くの金券屋で¥600で発売しているとのこと。そこに立ち寄ってからドームへと向かった。

 試合は、4回に西武が4点を挙げ、支配権を握った。日ハムは初回のヒットだけで、そのランナーも盗塁失敗のため3人で終わり、その後は8回までノーヒットで、9回に一死満塁の見せ場ができたが、三振で終わってしまい、結局5−0で西武の勝ちだった。

  9月19日(木)

 行ったことのない身近な駅に寄ろう企画第2弾は、前々からやってみようと思っていた信濃町から田町への港区縦断ツアーである。信濃町自体は新宿区なのだがすぐに港区になってしまうのである。

 まず、進行方向とは逆になるが、四谷〒へと向かう。そして、もう一度信濃町駅へ向かうような形で歩き始めた。駅を過ぎるとすぐに神宮外苑の豊かな緑に包まれた。また、緑が多いからかホントに走っている人が多かった。

 しかし、そんな緑もすぐに抜けてしまい、そこには赤坂のオフィス街が広がっていた。それまでの静かさと異なり、高いビルや多くの車、そして多くの人がいた。だが、何故かここにも走っている人が何人か見受けられた。赤坂〒・防衛庁内〒へと寄ると、もうそこは六本木だった。

 テレビ朝日のある、アークヒルズ等が、あっちにあると思いながら歩いていたら、麻布十番に着いた。ここは都内でも数少ない温泉があるところで、こんな事ならタオルを持って来るんだったと悔やまれた。しかたないので、麻布十番〒によって満足することとした。

 その後も適当に歩いていたら、首都高をくぐり、慶応の脇へと出ていて、もう田町駅だった。友人と歩いていた為、遠かった気がしたが、帰って調べると大した距離ではなかった。

 その後、品川プリンスホテルに行き、ボーリングをやった。

  9月20日(金)

 今日はこれまでのシリーズで行っていた山手線から離れて、常磐線・総武線縦断ルートを取る。地図で確認して、金町−小岩の距離が思ったほどなかったため採用する。

 金町は常磐線の駅であるため、日暮里の乗り換えだけでよいと思っていたが、北千住でも乗り換えが必要だと気づき、負けた気がした。金町からは、京成金町線が出ていて、柴又に行ける。“渥美清と言う人亡くなった”のでさぞ込んでいるだろう。金町〒・葛飾〒他3局をこなしていって、葛飾区から江東区へと入った。小岩駅界隈で小岩駅前〒を探すのに苦労したが、立ち寄り、総武線で錦糸町へと向かった。

 錦糸町にはWINS等があり賑やかであるはずだったが、私が降りたのは北側だった。駅前再開発中で歩き難かった。墨田区本所〒管内なのだが、マップの入手に苦労した。5局寄り墨田区から台東区へ。本日の第2の目的地・浅草に入った。

 しかし、有名な浅草界隈には〒がなく、時間があれば、浅草見物と思っていたのに、半ば自棄になり、泣きそうになった。しかし、台東花川戸〒のお兄さんはとても親切で、今までの悲しさがブッ飛んだ。その後順調に10局こなし、鴬谷駅に着いた。そして、電車に乗り、本日第3の目的地・神保町へと向かった。

 お茶の水駅を降りると、ものすごい人だった。が、15時も過ぎていたので、頑張った。まず、神田駿河台〒に寄ったのだが、混んでるわけでもなかったが、保険に捕まったのか遅かった。小川町〒では、階段の所在が分からず、エスカレーターで登った。神田北神保町〒は狭かったが、郵便収集用の袋がいっぱいあったし、神田南神保町〒には女子高生がいっぱいいた。

 今日の〒の予定はここで終わりにして、古本街を歩いた。田中角栄の「日本列島改造論」が欲しかったし、他にも色々見たかったからである。しかし、欲しいものが見当たらず、残念だった。

  9月21日(土)

 今日はどこに行くか決めていなかったが、友人と待ち合わせをしていたので、出かけた。とりあえず、大宮に行き、とりあえずカラオケに行った。

 その後、16:30頃浦和に行った。マクドナルドに行くと、ちょうど16:45くらいで、この日行われていた“柏−浦和戦”が終わる頃だった。途中経過を見ようとしたら、“5−0”になっていて、何だこりゃー、思っていたら、すぐに“7−0”と書き換えられ、“コーラS¥10”が始まった。話は聞いていたが、実は勝ったときに浦和にいたことがなかったので(ナイトゲームが多かったし)、初めてその“恩恵”を味わった。

 その後、浦和の“魚民”に寄った。

  9月22日(日)

 この日は“弥生温泉旅行会・第132回昼食会”が予定されていた。しかし、台風17号も関東地方に向かっていた。それも、集合時間は13時で、台風も夕方には最接近と言っていたのである。家にいるときは、こりゃ大変だ、と呑気に構えていたが、いざ家を出ると、強い風雨でものの数分でずぶぬれになってしまった。さらにが悪いのは、川口駅前にある“リリア”で風が強い日にはさらに強風となるため、台風の時には必ず傘が捨てられている。私は何とか傘を壊すことなく、駅へ着いた。

 集合の時、Hが車で来てくれたため、移動の時に困らずに済んだ。その後、ガストに行き、16時くらいまでとりあえず話したりしていた。その頃、ふと店の外を見ると、店の前の道が水浸しになってしまっていて、車が走るのも大変そうだった。茨城から来ているTに、バスは平気なのかと聞いたら、止まることはないと朝来るときには言っていたらしい。が、電話で確認させてみると、運休とのこと。新宿まで行っていなかったのが、不幸中の幸い。

 この後、Hの車で母校・浦和西高校の様子を見に行き、大宮・豆の木集合でHが車を置いてくることとなった。昼間の強い風雨は嘘のようで、綺麗に晴れ上がっていた。久しぶりに、駅までの道(通称・アベック通り)を歩き、与野駅から大宮へと向かった。

 大宮で10分程度待つとHがやってきたため、とりあえずカラオケに行った。大宮西口の“ピープル”と言う店だったが、“JOY”なのに(歌本に)落書きはされていなく、代わりにノートが置いてあった。私は、“しりとり大会”と大きく書いて、ノートを回し始めた。しりとりは、終了間際にYが凝りすぎて自滅した(トンチンカンチン一休さん)。

 22時が過ぎて、今夜飲み明かす店を探した。“酔い処”にしようとしたが、日曜だったので、0時で終わりらしかったので諦めて、別の店を探した。“楽天地(?)”と言う店が9時までやっていると書いてあったので、そこにする。が、座敷に座ると「2時間まで」と書いてあった(ガァーン)。でも、「とりあえず(提案:Y)」で飲み始めた。

 0時頃になって、Yが「明日も朝からバイトだから」と言って最終の高崎線で帰っていった。その時、「いったん閉めさせて。その後はまた別で注文して」と言ってきたので、とりあえずは追い出されないらしい。良かった。それから、昼間の時同様たわいもない話を続けた。

  9月23日(月)

 4:30頃になって、「そろそろ混むから」と言われ店を出た。とりあえず大宮駅に戻って、しばらく駅で時間をつぶした後、京浜東北線に乗ることにした。乗ろうとした京浜は大船行きで、「これで終点まで行くか」と言うことになった。ただ、Aはニューシャトルの始発までの時間つぶしで乗ったので、南浦和で帰って行った。

 残った私とHとTとは大船まで行った。が、私はほとんど寝ていて覚えていない。大船駅で少しぶらぶらして、反対側に止まっていた電車に乗り換えた。私はどうしようかと思ったが、青梅線に乗るためには、一度帰らずにそのまま行った方がいいと思い、川崎で彼らと別れ、乗り換えた。彼らは秋葉原に行くと言っていた。

 川崎で私は、南武線に乗り換えた。それで、立川まで行き立川から、青梅線に乗るか、五日市線に乗るか悩んだ(この時点では両方乗るつもりだった)。だが、長い青梅線を先に乗った方がよいと思い青梅線にした。余談だが立川駅にも“プリクラ”があった。一説によると、JRの駅にある“プリクラ”はみんな“コアラのマーチ”のデザインがあるらしい。

 拝島まで各駅停車で行ったが、ホリデー快速が来るらしいので乗り換え、それで奥多摩まで行った。奥多摩までの道のりは、眠気・吐き気との戦いだった。が、所々見た景色はほんとに良かった。昔「心はロンリー気持ちは…IX」で明石家さんまがカヌーをしていたドラマがあった。不確定な噂でこのあたりがロケ地だったと聞いた。確かにカヌーをしている人も多かったので、そうかもしれないと思った。ので、帰りは色々寄っていこうと思った。

 奥多摩駅に着くと少し食欲が出てきたので、そばを食べた。駅前をぶらぶら歩いていたら、わさびを売っていた。帰りに買おうとして忘れた。

 奥多摩駅を後にすると、睡魔が強襲してきた。その睡魔に太刀打ちできず、拝島さえも見逃し、気づいたら立川で止まっていた。もう一度戻ろうかとも思ったが、ここまで来てしまったら家に帰って寝ようと思い、家路についた。

  9月24日(火)

 行ったことのない駅に行こう企画最終日は板橋だ。板橋〒管内のマップもなかったので行くこととした。しかし駅の近くの〒は池袋本町三〒だったため、豊島〒管内になってしまう。仕方なく少し遠いように思えたが、板橋〒まで行った。板橋〒は大きな通り沿いにあり何か見覚えがあった。もしかすると高三の時、池袋まで自転車で行ったときに通ったのかもしれない。結局、板橋〒ではマップが手に入らなかった。ここと渋谷は今後の課題である。

 今日はこのまま帰るのでそろそろ埼玉県に行こうと思い、埼京線沿線の未訪〒に行くこととする。まず南与野で与野鈴谷〒に寄る。そこから北与野に行こうと思ったが、電車が遅れているとのこと。大宮で友人と待ち合わせをしていたので諦め、武蔵浦和・南浦和経由で大宮へ行く。

 その後、とりあえずカラオケに行き、夕食を食べて、一度浦和に戻った。

 そして、浦和発19:40黒磯行きで帰った。この時間帯はやはり通勤時間帯だったため、混んでいた。が、小山あたりから空いてきた。その後、黒磯で乗り換え、福島には23:53に着いた。


(文責:行政社会学部3年  高田 忠 )


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