このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 

  プロローグ

 

 ある日、ドライブに行かざるを得なくなった。周知の通り、車のない彼はレンタカーを使用するしかなかった。これはそんな1日のお話である。

 

  R115

 

 8:00に予約したのだが、8:15に営業所に着いた。前日に生協で予約をした後、24時間のキャンペーンがあり、料金は安いのでそっちで払った。前もって知らせてくれれば、8:00からにしなかったのだが……。12時間貸しから24時間貸しに変更してもらい、手続きを終え出発した。

 とりあえずは紅葉を見に、できれば会津若松までとおもいながら、高湯街道〜西道路〜R115と行った。

 R115に入ると、小心者の彼は左車線から動かなかった。この辺りを庭にしているTさんが右側車線しか走っていなかったことに気が付いたのは、右車線に幅寄せされたときだった。

 土湯温泉脇を抜けると、スピード狂Tに聞いていたクネクネ道だったが、スピードをあまり出すことなく通り抜けた。順調に走り抜け、道の駅土湯を左に見ながら通り抜けた。そのまま走らせていると紅葉が綺麗になってきて、右側にパーキングが見えたので少し休んだ。

 “沼尻”辺りになって、彼は「少し寄り道していい?」と聞いた。彼女は崖道の恐怖からぐったりしていたらしく、「いいよ」と答えた。そこで、彼はR115から左に折れて、昨日本屋で立ち読みした知識を基に“沼尻〒”を探した。

 沼尻〒で用を済ませ、R115に戻り、道なりに車を走らせる。そのまま走らせていると、いつのまにかR49との三叉路になっていた(彼は直前まで知らず、左抜きをしようとしていた)。

 

  R49

 

 彼は前日に立ち読みしていた時、手前の県道で喜多方に抜けるつもりだったが、行き過ぎていたらしい。仕方ないので、そのまま会津若松の方に向かって走った。

 しばらく走っていると“野口英世記念館”前に差し掛かった。その時ちょうど信号が赤になりかけ、彼の車は停車禁止帯の中で止まりそうになった。律儀な彼は、そこで止まりたくないと考え、ふと右に目をやった。そこには“翁島〒”があって、彼は本能的にその〒に入った。

 翁島〒で用を済ませた後は、目の前のドライブインに車を移動し、休憩をした。そこには奈良からの修学旅行(添乗:JTB)の高校生がいっぱいいた。添乗員の様子から察するに、10:10集合だったのだが、生徒が集まらないらしい。それを見ながら、来年からこんな仕事をするのかもしれないと思い、ブルーになった。

 その後はすぐに会津若松になった。しかし、市街地への入り方が分からず、前の八百屋の車の後を付いていった。すると、右側に駅が見え、ミスタードーナツが見えたので、1年時の新歓旅行の記憶をたどりに市街地を走っていた(このとき1度信号無視をしてしまう。ごめんなさい)。すると、左側に“会津若松〒”が見えたので、市街地の地図をもらいに寄った。

 会津若松〒で用を済ませ、もらった地図を頼りに鶴ヶ城に行った。ここでも、観光客が多かった。来年からは息抜きに観光地には行けないのだろうかと考え込んでしまった。城の周りを歩いたが、結局天守閣には登らず、お腹が空いたので喜多方に向かった。

 

  喜多方

 

 会津若松から喜多方に向かう途中ライオンドーに寄った。その後は特になかったが、喜多方に入ってから、市街地までの行き方がよく分からなかった。適当なところで曲がって、走らせてみたら、“喜多方〒”が右側に見えた。地図をもらおうと思って寄ったのだが、おじさんが「ラーメンマップあっただろう」といっていたので、こりゃラッキィと思っていたら、ちょうど切れていたらしい。そこで、おじさんが紙の裏に丁寧に〒マップを書いてくれた。普段だとこんなに嬉しいことはないのだが、今日はそれが目的じゃなかったので、逆に悲しかった。

 その地図を基に喜多方駅まで行き、そこでラーメンマップを入手し、“福島屋”に行くことにした。喜多方は醤油ラーメンのはずなのにここのお薦めは味噌ラーメンだったからだ。近くの無料駐車場に行き、車1台がやっと止まれる所に、何度も切り返しをして止めたのだが、店の前の駐車場が空いていたのでそちらに移動した。

 「ごきげんよう」を見ながらラーメンを待った。喜多方ラーメンは麺に特徴があるのではなく、“水のラーメン”だと聞いたことがある。ラーメンのスープを飲んでみると、他の味噌ラーメンと比べてさっぱりとしている。この水があれば、日本酒も作るわな、と納得してしまった。

 

  R121

 

 福島屋を後にして、米沢に向かった。喜多方まで来てしまったら、米沢経由の方が近いと思ったからだ。R121を走っていたのだが、途中で県道を走らされてしまった。しばらく走っていると知らない内に村に入っていた。ここは、彼が福島県内の市町村内で一番好きな“語感”の市町村である。これは、記念に寄らなくてはといいながら走っていたら、右側に“熱塩温泉〒”があった。ここの〒の窓口においてある“赤い紙”には住所の途中までがスタンプで押してあった。なんて素晴らしい〒だろうと思った。

 その後は知らないうちにR121に戻っていた。帰ってから地図を見たが旧道はものすごい山道だったらしい。スピードを出すことはできても、止まることができない彼には、右側日中ダムという看板に気を引かれたが寄ることはできなかった。しばらくしてトンネルを抜けると、目の前が赤くなっていた。あまりにも綺麗な紅葉だったのと、右側にパーキングがあったので休憩した。下を見ていたら水が見えたので、おそらく日中ダムの水だろう。

 大峠トンネルを抜けると、米沢市だ。米沢市になると紅葉が終わっていたようだ。そのまま走らせていると、ポツポツと集落が見えてきたので、これはあるだろうと思いながら注意しながら走っていると、左側に〒があった。彼女が「何でそんなにすぐみつけられるの?」とあきれていた。

 “口田沢〒”で用を済ませ、走っていくと、米沢市街地に入り始めた。米坂線の踏み切りに差し掛かったので、一時停止して左右確認をして、動きだそうとしたら、警笛が鳴り始めて驚いてしまった(確かに右側から列車が来ていた)。

 米沢〒に寄って地図を入手し、上杉神社に行った。そこでおみくじを買って、そのまま繁華街に行った。ゲームセンターに寄ると、「ハイジ」のプリネームがあったので、思わず作ってしまった。

 

  R13

 暗くなる前に帰ろうとしたのだが、17:00になってしまった。米沢市街地を抜け、R13に入った。ライトがあるので車の存在が分かるという面では安全だが、帰宅時間でもあったので後ろに車が来てしまうと、登坂車線が待ち遠しかった。

 登坂車線がある度に左車線に逃げることを繰り返しながら、福島市街地に差し掛かった。最初は、飯坂街道〜西道路に行く予定だったが、西道路への右折車線が分からなくて駅前通りまで出てしまった。特に行く場所がなかったので、バイト先に給料をもらいに行って、中央〒に行った。

 

  R4

 

 そろそろ夕飯ということで、何処に行こうか悩んだのだが、とりあえずR4に行けば何かあるだろうということで、行ってみた。が、特に行きたいところはなく、R399〜飯坂街道〜西道路と走らせていた。この途中で、クウォーレ(追分本店)に寄って日本酒を購入した。

 この時点で、20:00に差し掛かっていたのだが、21:00にTと金谷川駅で待ち合わせをしていたので、急ぐことにした。それで、R4に行けば何かあるだろうということで、西道路〜R115〜旧R4〜R4と走っていった。松川を抜けても何もなく、結局道の駅安達に寄った。

 そこで夕食を取り、金谷川に向かった。この時点でR4と旧R4とを勘違いしていたことに気が付いた。だいぶ予定より遅れてしまったが、21:20頃金谷川駅に着き、TとIと会った。

 

  NIGHT

 

 TとIとが乗ってきて、Iの家の近くのI駅まで送ることにした。旧R4〜R4〜平和通り〜駅前通り〜飯坂街道へと順調に車を走らせていった。が、西道路の所で、突然左折させてしまい、地獄へのドライブは終わらなかった。西道路〜高湯街道〜広域農道。広域農道では道がもやってきた。広域農道〜R13〜飯坂街道へと経て、無事Iの家の近くまで送り届けてあげた(車を止めるときに色々時間はかかったが……)。

 その後、Tがどうしても車を運転したいというので、させてやった。飯坂街道〜駅前通り〜旧R4〜R115〜農道〜県道と経て、大学の南門に着いた(なぜ旧R4まで行ってR115?)。

 その後は、旧R4〜R4と行き、途中のJOMOで給油をして家路についた。

 

  エピローグ

 

 以前サークルでは、免許取得後1年経たないとレンタカーを使用できないというのが定説だった。しかし、「らいふべすと」によるとそんなことはなかったし、現に彼は借りられた。

 最近になって、福島の良いところについて、改めて気付くことが多くなった。もっと早くからそういう機会に恵まれれば良かったと思う。1・2年生は、特に福島出身でない人は、もっと福島を堪能した方がいいと思うなぁ(まぁ、車だけではないけどね……)。

 

文責:行政社会学部4年  高田 CHU


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プラットフォーム第15号所蔵 1997年11月

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