このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

’97新歓旅行 

雨に濡られて日本三景 松島の旅(写真あんまりなくてごめんねバージョン)

97年度の旅はじめ!新歓旅行はきわめて民主的な投票の結果会長が強く推薦した阿武隈ライン下りを制して名取のビール園、おまけとして松島に行くことになった。

プロローグ

これは誰にも言わなかったことだが、当日泉駅(仙台じゃないよ、福島の)に行く途中カエルさんが見事ぺっちゃんこになっていた。「ひぇー、かわいそう」と言って通りすぎたのであるがこれが後々大変なことになったのである。

福島駅—仙台駅

飯坂電車が日祝日ダイヤなので早めに福島駅に着いた私は「長野オリンピック公式レストラン」と聞こえはいいが平たく言うとマクドナルドでホットケーキセットで腹ごしらえをした。そして仙台行き快速が出る4番線に行くと旅行係の角田君が既に先頭車両のボックスを2つ確保していて、さすがの手際のよさだった。ただ、去年の経験からクハの車両にして欲しかったなーと思った。それから発車までに続々と人が集まってきて、仙台までついていく(学会の発表に行く)大きな1年生T口さんを加え静かに発車した。いきなりカンチューハイのピーチを飲むというオヤジ化した大馬鹿者もいたがみんなに冷たい目で見られて恐かったと彼は語っている。電車の中ではいろいろ高度な話題や地域性などを話した。それにしても快速はいい。駅を通過していく感覚は普通電車なれしている東北本線沿線住人としてはぜひ残していって欲しい。

仙台駅—本塩釜フェリー乗り場

仙台駅でアクシデント。某H君が行方不明。これは話によると東北本線の方に行ってしまったそう。あっちには松島駅があり、部外者には大変間際らしいことである。仙台からはKさんほか仙台組が合流。そうこうしてるうちに快速うみかぜは雨の中静かに発車、本塩釜駅へ。ここのびゅうプラザではフェリーの乗船券を売ってるはずだが閉まってたのでがっかり。雨の名カフェーリー乗り場へ歩いていったが・・道のわきに貨物駅があったので見とれていたら電柱にぶつかり買ったばかりのメガネレンズに傷をつけてしまった。こんな事は誰にも言えないのでみんなには黙っていたが彼は非常に悔しがっていて、自分を軽蔑していたらしい。

フェリーwithバイオ系

ウミネコと憎き福浦島連絡橋
後れてきたグループを救済するために1本遅らせて乗ることにした。この船は非常にカッコ悪い船であったが黙っておく。フェリーで楽しいことと言えばやっぱりウミネコに会えることでしょう。ここではかっぱえびせんが基本ですが朝買っておいたコメッコほたて味でウミネコさんと戯れることにしたが、雨が降っている中ベタベタするコメッコは非常に都合が悪いと彼は言っていた。でも手に持ったコメッコをついばんでくるウミネコさんは非常にスリリングで楽しい時間でした。ただ天候不順で海が荒れ気味だったので酔ってしまった。

雨の松島をさまよう

茶の湯を楽しむ武将たち
雨にぬられて松島につくと、まず行方不明になったH君とO君の行方を求めて松島海岸駅へ。そこには伝言があり「名取でおちあう」とのこと。どーせパチスロでもしてるんだろーと皆で噂していたが実際は違うようだった。その後松島博物館に行ったがそこは博物館というにはちとさみしいとこだったがそこのおばちゃんの勧めで抹茶にチャレンジするもの3人。わたしとKさんとK君(イニシャルではごっちゃになるな)が木の廊下に座って、お茶を待つ。ここで茶道部にも所属しているマルチパーパスなK君(さっきのK君とは別人ね)の指導の下に味わわせていただきました。ここからの景色を見て「ここにもう一度来たいなー」とI君が妙にときめいているのが印象的だった。その後五大堂を見に行き、雨はさらに強くなってきた。この雨の中観光客はやっぱり多く、添乗の人の案内をただで聞くことができたのはラッキーだったが、これは9年前にも聞いたような気がした。

サヴァイヴァルゲームと決断力

その後1時間ぐらい時間が余ったのでどこに行こうかということになり、「福浦島自然植物園」に行くことに。まず橋を渡るのに入場料がかかることが怪しい。橋を渡っている途中アベックが帰ってくるところだったが、「あんまかわいくないね」と意見が一致した。まず島の海岸ですこしたたずんだ後散策に行ったが何せこの雨、さらにこの島には道案内の看板というものがない!歩けど歩けど現在地が分からず、途中につぶした売店があるだけ、非常につらくなり、またみなからも「早くもどれよなー、まったく会長は何やってんだよー」という無言の圧力を感じてしまったがなかなか「撤収」と言えない。ひたすら歩いた挙げ句やっとさっき通った道にたどり着き、助かったという思いでいっぱいだったが、この時間、金を掛けて何をしていたんだという悔恨の念とやはりここでも露呈してしまった決断力の無さにあきれてしまったのであった。

名取ビール園

のん兵衛とその仲間たち
仙台で別働隊と合流した後これが本命と噂されているビール園へ。メニューは結局のところジンギスカン食べ飲み放題というところに落ち着き、会長のつまらない音頭の後酒池肉林の世界を開始した。ここの付けダレはアサヒビール園のような酸っぱいものではなかったので大変良かった。私のところはなぜか食べるスピードが速かったようで、追加をどんどん注文してた。そこで、野菜だけを注文したらみなから「変なのー」と思われていたことは非常に不快でした。だって肉ばっか食うと飽きるでしょ?私はビールをジョッキ3杯飲んで飲みすぎたーと思っていたが某コンパ係I君は5杯飲んでおり、格の違いを見せ付けていた。そんなこんなで2時間たっぷりと楽しんだのであった。その後ここで解散ということになり、まっすぐ福島に帰る組と仙台に戻る組に分かれた。この展開は急すぎて1年生のみなさんにはちょっと驚かれたと思うので反省してます。

エピローグ

最後に、その後についてちょっと書かせていただきますと、みんなと仙台に戻った後まずヨドバシカメラに行って念願のトレインシミュレーター南部縦貫鉄道を、クレジットカード+ポイント使用という暴挙で購入し、ほくほくした後エプソンのプリンタが安かったのでいいいなあとうらやましがった後みんなとかいさ、、I君が「本場の回転寿司食いたい」とのたまったのでK君といっしょにエスパルの地下の平禄寿司でちょっと食べました。I君、早く金返しなさい。その後、「仙台市営地下鉄に乗りたい」とのたまうK君のために初乗り200円払って1つ先の駅まで試乗して歩いて仙台駅に帰ってくることになったんですが、「帰りも金払っていいから(初乗りきっぷ)ギリギリまで乗りたい」と弱気なことを言っていた会長でした。その後電車に乗り福島に着いたのは夜9時をまわっていました。そこで2人と別れ、一人飯坂線に乗って家路に着いたのでした。ああ、疲れたァ。

(この文章の中で「彼」という人物はおそらく会長のことです)


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