このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

「沖縄サミット」異聞

 喧騒のうちに沖縄サミットが終わった。
故小渕恵三氏の置き土産とも言うべき今回のサミットは、ホストが森喜郎氏に交代したことで、私にとっては一風変わった印象を残した。
 今回のサミットがこれまでとずいぶん印象が変わった最大の点は、夫人を同伴しない首脳が多かったことである。
アメリカのクリントン大統領夫人は上院議員選挙の準備、イギリスのブレア首相夫人は出産直後ということでわからなくはないが、その他の首脳の夫人で同伴しなかった人は理由がはっきり伝わってこない。
そもそも一国の首脳が外遊する場合に夫人を同伴するというのは、別に昨日今日始まったことではなく、外交儀礼として当然のことである。
しかし、今回のサミットでは見事に崩れ去った。これは一体どうしたことだろう。
 歴史を振り返ってみると先進国首脳会議が始まったのは1975年からだ。
第1次オイルショックの2年後に始まったサミットの当初の目的はいうまでもなく石油輸出国機構(いわゆるOPEC)に対抗するという意図だった。
OPECが先進工業国のエネルギー事情に対して強い影響力をもち始め、このことがオイルショックの直接のきっかけと言える。
彼らにすれば政治的な独立はすでに果たしていたものの、先進国側の「旧宗主国」としての搾取に対する対決姿勢であったろう。
こうした動きに対して、先進国としては一致して対抗しようということになる。
その後のサミットの大きな流れは1980年代に入ると、アメリカの経済不振(主な原因はレーガン政権が過度に軍事支出を増やし、財政事情が悪化したのと国内産業が日本や西ドイツとの価格競争に敗れ、輸入が激増するという事態を招いたことによる。
この財政と貿易の両面の赤字が膨らみ、「双子の赤字」と呼ばれた)に端を発する経済問題がクローズアップされ、90年代の前半は東西冷戦の終結に伴う新秩序の模索と同時に、各地に頻発した地域紛争への対応が議題になった。
紛争の解決にあたっては実務(時に軍事力の行使であることが多かった。
湾岸戦争やユーゴスラビア紛争などが主なものである)はアメリカを中心に欧米が担い、その背景となる経済力を日本が担うという図式が出来上がった。
ところが、90年代も後半になるとこの図式にひずみが生じる。
紛争に多国籍軍やPKOという形で介入したケースで、これらの介入したPKOなどが紛争当事者の攻撃にさらされ、人的損害を蒙ることも多くなった。
さらに戦略的な過失により第三者に損害を与えてしまうこと(一例として、ユーゴ紛争に介入したNATO軍が中国大使館を誤爆した)も起こり、従来型の手法を成功させることが難しくなってきた。
そして日本はバブル経済崩壊の後始末に手間取っており、経済的支援が難しい状況が続いている。
 冒頭の話に戻るが、そもそもアメリカと西欧各国はNATOというつながりがあり、サミットとは別に首脳が会う機会が確保されており、ロシアはまだ国内経済の基盤を確立できずにいる上、プーチン大統領に代わってからは欧米と一線を画しつつある。
日本はまだ経済が回復しきっていない。
この現状の中で「G8」として一同に会するだけの意義が薄くなっているという認識が広がっていることは想像に難くない。
このことが夫人を同伴しなかったという事実やクリントン大統領が中東和平会談のため出発を丸1日遅らせるという形で顕在化したのではないか。
実際問題として、共同宣言を読んでみても、事前にマスコミ報道などで提起されていた議題について触れられていたに過ぎず、その議題自体も首脳が集まってやらなければならないほどのものであったのかは大いに疑問に思えてくるのだ。
 「20世紀最後のサミット」と大々的にぶち上げて今回のサミットを議長国として迎えた日本は、一種滑稽なほどに純粋だった。
今回の九州・沖縄サミットに日本政府が使った経費は800億円、という一事を考えてもそれはよくわかる。
この金額は近年のサミット経費の数倍にも上るという。
しかもこのカネは政府に言わせると「(特に首脳会議を行う沖縄への)経済支援であり、地域振興にもなる」ということになるのだそうだ。
事実、首脳会議の議場はまったく新しく造られたもので、造るだけ造っておいてあとは知らぬでは意味がない。
箱物が新たにできれば維持管理コストがかかるし、使い方如何によっては振興どころか無用の長物にも転落しかねない。
それどころか現実の問題として、観光客の入れ込み激減や警備に伴う海域封鎖のため、観光や漁業に重大な負の影響を及ぼしたのも事実である。
 これ以外にも、森首相が直接沖縄入りしたクリントン大統領と交わした珍妙な会話も伝わっている。
あまりにも次元の低い話なので、詳しくは触れないが、100年前なら下手をすると戦争にもなりかねないような内容だったとだけ述べておきたい。
6月の総選挙の前からたて続けに起こった首相の失言騒ぎで「首相の資質」という問題が一部でクローズアップされたが、「こんなところでもまたやるか!」と思わず突っ込みを入れたくなる気持ちになったのは私だけではあるまい。
サミットの後の感想で首相の資質にまで思い至ったことも今回が初めてだった。
 それにしても不思議なサミットだった。果たしてこの国は21世紀末には世界上に存在するのだろうか・・・。

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