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日時: | 1999年12月23日 | |||
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旅程 | ||||
JR京都駅: | 7:20集合 | |||
京都 | 7:42−−9:53 | 福知山 | /普通 | |
福知山 | 9:56−−11:22 | 城崎 | /普通 | |
城崎 | 11:51−−12:45 | 浜坂 | /普通 | |
駅前散策 | ||||
浜坂 | 13:17−−14:12 | 城崎 | /普通 | |
自由時間(観光・温泉) | ||||
城崎 | 15:51−−17:31 | 福知山 | /普通 | |
福知山 | 17:54−−20:09 | 大阪 | /快速 |
奈良の朝は寒い。コートにくるまり、マフラーを巻いて、私は朝の5時過ぎに家を出た。
今回の鉄研旅行の参加者は、高校生ゼロ、中3生5人、中2生1人、中1生15人と偏りが著しい。不慣れな中1がきちんと集合場所に来れるかどうか、少し不安である。
集合場所は2年前・1年前と同じ、JR京都駅コンコースの西口改札前。7時前から会員が集まり始め、集合時刻の7:20には全員が集まった。さすが鉄研会員。
全員を5つの班に分けて、それぞれの班ごとに点呼をとらせる。確認の上、7:30にはホームへ下りて、31番線に停車中の福知山行きに乗り込む。列車は113系の6両編成だが、うしろ4両は園部で切り離されるので、一番前の車両に乗った。車内は混雑していたが、ボックス席を確保した中1生は、さっそくトランプを取り出した。2年前の自分たちを思い出して、「変わっていくなぁ、オレらはトランプなんかせんかったのに」と春日みかさ君と笑っていた。
山陰本線は高架化されて、かなり近代化している。駅の新設工事をしているところもあった。これで、車両が221系・223系になり、特急にも新車が投入されたら、もっと近代化するだろう。ただ、JR西日本にそれを求めるのは、ゼイタクかもしれない。
嵯峨嵐山駅では、嵯峨野観光鉄道のトロッコ列車が停まっていた。嵯峨野観光鉄道は、山陰本線の旧線を利用して営業しているトロッコ鉄道で、人気が高く、黒字だそうだ。保津峡駅を出てすぐに、眼下を嵯峨野観光鉄道の線路が横切っていったが、カーブも勾配もきつい線路を、かつては特急やブルートレインが走っていたとは、とうてい考えられない。
列車は長いトンネルを抜けて、駅で嵯峨野観光鉄道と合流し、さらに先をめざす。途中の駅で、特急『きのさき』と行き違った。列車が3分ほど遅れていたので、中1生が「先輩、大丈夫ですかねぇ」と不安を口にした。「な〜に、心配ないさ」と答えておく。
園部でうしろ4両を切り離す。数名の中1生が、「見に行きたい」と言うので、迷惑をかけないように念を押して許可した。先輩はたいへんだ。
雪がうっすらと積もっている。2両の列車は山あいを進み、谷川を渡り、トンネルを抜けて、綾部に着いた。電化されて間もない舞鶴線が分岐していく。さらに平地を行くと、福知山につく。陸橋を上り下りして、城崎行きの3両編成の電車に乗り換える。車内が混雑しているのは、どうやら私たちのせいのようだ。地元客のみなさん、すいません。
播但線との接続駅・和田山には、『モー牛牛づめ』(1300円)という駅弁がある。但馬牛のステーキが入っている上に、ふたを開けると「モ〜」という牛の鳴き声がするらしい。中3のY君は欲しがっていたが、停車時間が短いので買えなかった。
養父(やぶ)、八鹿(ようか)といった地名は、中1の夏休みの臨海学習の行き帰りに通ったので覚えている。あの頃がなつかしい。あの頃はよかったなぁ。
列車は城崎駅の3番線に到着。全員を引き連れて陸橋を上り、1番線に出た。ところが、1番線では昼食が買えないことが判明。やむを得ず3番線に戻って、駅弁やうどんを買い求めてふたたび1番線へ行った。
浜坂からやってきた2両編成のディーゼルカーが到着した。折り返し浜坂ゆきとなるので、みんなで乗り込む。私は、日本海を望める進行方向右側の座席に座った。
特急『北近畿』と接続しているので、『北近畿』が到着してから発車。床下から伝わるエンジン音が心地よい。円山川と離れてしばらく走ると、右手に竹野の海岸が見えた。ひさしぶりの海に、心が躍る。
その後もトンネルに入ったり出たりを繰り返しながら走る。海が見えても、すぐに視界がさえぎられてしまうのが残念だ。香住(かすみ)駅には、『エーデル』型車両を利用した臨時特急『かにカニ香住』号が停まっていた。
この旅のハイライト・餘部(あまるべ)鉄橋が近づくと、海が見えている時間が長くなる。隣に座っていたテスタロッサ君が、「こりゃもう、『日本海が好きだー』って叫ぶしかないやろう!」と言う。
列車は順調に走り、
ラストに近いある回。城崎温泉で将棋(公式戦)を対局中のヒロインに、相手が話しかける。「今朝、鎧に来てたね」
確か、こんな場面だったような気がする。もし間違っていたら、教えてください。
いよいよ、ラストシーン。鎧駅で列車を降りて、ヒロインと男性(さっきの将棋の相手)とが、海に向かって並んで立ち、「8六歩」「2四歩」などと口で将棋をする。ヘリから撮っているていると思われるカメラアングルが遠ざかってゆく・・・。
こんな場面も記憶にある。私は、『ふたりっ子』を見て、「将棋を指せるようになりたい!」と思って囲碁将棋部に入部したような人間だから(中2の秋にやめましたが)、わりあい印象に残っているのである。
餘部鉄橋を渡る列車の窓から外を見るヒロインの姿を見て、自分もいつか餘部鉄橋を渡ってみたいと思った。そして、3年越しの宿願が、いま実現しようとしている。
私は、この旅行の前まで、かつて餘部鉄橋で起こった事故について何も知らなかった。鉄研会員の中には、誰一人として、事故について詳しく知っている人はいなかった。
そこで、家の近くの町立図書館で事故について調べ、期末テストの終了後に事前講習会を開いて、会員に事故の内容を説明した。
1986年12月、香住駅で乗客をおろして浜坂駅まで回送中だったお座敷列車「みやび」が、餘部鉄橋上で突風にあおられ、ディーゼル機関車1両を除く客車7両が落下した。そして、鉄橋の下にあった水産加工場を直撃し、列車に乗っていた車掌と、水産加工場で働いていた5人の主婦の方が亡くなられた。
トンネルを抜けた列車は、高い鉄橋を渡っていた。右手に日本海が、眼下に集落が見えた。それが餘部鉄橋だった。
鉄橋を渡り終えるとすぐに、餘部駅に到着。中1が、「えっ、もう終わり?」と狐につつまれたような顔をしている。全長約300mの鉄橋は、あっという間に通過してしまった。
城崎から約1時間、列車は浜坂に到着。地下道を通って、一旦改札を出る。30分ほど時間に余裕があったので、解散・自由行動にした。
トイレに行く者、駅前のコンビニに入る者もいたが、おおかたの会員は駅からまっすぐ正面に伸びる道を歩いていく。道の中央に消雪パイプが通り、両側に除雪された雪がひざの高さぐらいまで積もっている。中1生だけでなく、中3のテスタロッサ君まで雪玉を作って投げはじめた。
この道は海まで通じているそうだが、全員150mほど進んだところで引き返した。道をはさんでいる商店街は、とても静かである。唯一、本屋に数人の女子高生が入っていくのが見えた。
駅前のロータリーの端で、蟹を売っているおばあさんがいたが、誰一人振り向かなかった。ちなみに、私は『蟹』という字が思い浮かばなかったので(私は紙とエンピツでこの文章を書いています)辞書をひいてみると、『蟹は甲羅に似せて穴を掘る』ということわざが載っていた。「人は自分の分相応の願望を持つということのたとえ」だそうだ。う〜ん、そんなもんなんかなぁ。
浜坂13:17発の城崎ゆきで、さっき来た線路を引き返す。今度は山側に座ることにした。餘部鉄橋を渡る時に、窓ガラスに顔をつけるようにして地面を見た。はるか下方に、慰霊の像が見えた。
車内は混雑してきて、座席はほぼ埋まり、ほどなく城崎に到着。改札を抜けたところで、15時30分集合と告げて解散。1時間15分ほどの自由時間である。
城崎の町は、観光客で大変にぎわっていた。それもそのはず、冬は日本海の名物、カニのシーズンである上に、今日は祝日(天皇誕生日)である。混雑しないはずがない。
浜坂の駅でもらった「SAERA(サエラ)」というパンフレットを片手に、駅通りを西へと進む。城崎ですることと言えば、もちろん外湯めぐり。もっとも、「めぐる」だけの時間はないので、6つある外湯のうち、どこか1つに浸かることにした。
城崎には6つの外湯があるが、それぞれに伝説や言い伝えがあって、「ご利益」があるとされている。私たちのねらい目は「一の湯」。99年11月に新装オープンしたばかりである上に、ご利益はなんと「合格祈願・交通安全」。一番ぴったりである。
川沿いに歩いてゆくが、車も通るので気を付けなければいけない。ご利益の「交通安全」は、きっと温泉に浸かってからでないと効かないだろうから。
「一の湯」の前に着く。が、入ろうとすると、係員の方が、「浴場が満員なのでいったん閉めさせていただきます」と言っている。どうしようかなと相談しているうちに閉まってしまった。顧問の2人はタッチの差で入れたようであるが。
ここで、私は「自由行動!」と宣言した。会員たちは、三々五々散らばってゆく。私は、駅に一番近い「地蔵湯」に入ることにして、今さっきの道を引き返していく。
「地蔵湯」は、「一の湯」にくらべるとたしかに古いが、そんなに古びているわけでもない。「一の湯」以上に混雑していて、脱衣場・浴場とも満員であった。
大浴場は、混雑していることを除けば、そこそこ快適。もっとも、私は昼間の温泉では体も髪も洗わない(つまり、浴槽に浸かるだけ)なので、混んでいようといまいとあまり関係ないのだが、それでも混んでいるより空いている方がよい。それよりも、「落とし物があった」と言って、女性係員が浴場に入ってきて、「あなたのではありませんか」と聞いて回るのには少しおどろかされた。
温泉に入ると、「温泉に入った!」という達成感が得られるので気持ちいい。「地蔵湯」から出てくると、時間もあまり残っていないので、商店街でおみやげをあさることにした。
城崎のおみやげと言えば、やはりカニであろう。しかし、カニは高い。1匹で3000円、安い小ぶりのカニでも1500円はする。だいいち、鈍行を乗り継いで帰るのだから、持って帰るのはたいへんである。もちろん、私はカニを買うつもりはない。
でも、城崎まで来たからには、何かカニに関するものを買いたい。おみやげ屋には、瓶入りのカニみそであるとか、「カニめしの素」だとか、いろいろ売っている。製造しているのが九州の会社だったりするから、おそらく外国産のカニを加工してあるのだろう。まあいいか。私は、「カニめしの素」を1つ買い求めた。500円ぐらいだったかな?
会員たちも、温泉から出てきたようで、おみやげを見て回っている。顧問の先生は、「『一の湯』、きれいやったけど、そんなに混んでなかったで」とおっしゃる。入場制限までするほどではなかったようだ。
おみやげ屋をあさりつつも、予定よりもけっこう早く、城崎駅前に戻ってきた。することもないので、待合室にあるカニの水槽を見る。水槽には、カニがたくさん放り込まれているのだが、カニは何段にも重なっていて、何だか元気がない。水はにごっているし、ちょんぎれた足が転がっていたりするので、あまり気持ちのいいものではなかった。
集合時刻の少し前に、全員がそろった。駅員さんに「青春18きっぷ」を見せて、改札の中に入る。まもなく、福知山方面から各駅停車(115系)が到着。折り返し福知山ゆきとなるので、乗車する。
城崎の町の混雑から解放されて、列車に揺られていると、何だかホッとする。「電車に揺られていると」ではない。それだと、まるで通勤電車みたいで感じが出ない。「列車に揺られていると」、なのである。
最初は明るかった車窓も、徐々に日が落ちてゆく。2日前が冬至だったから、昼間が短い。会員たちも、疲れたのだろうか、居眠りをしているのが多い。みんな、楽しんでくれただろうか?プランナーとしては、それが気になる。
車窓がすっかり暗くなるころに、列車は福知山に到着。朝も上り下りした陸橋を通って、いちばん端のホームへ行った。ああ、寒い。
少しすると、折り返しの大阪行きの快速が到着した。117系近郊型の4両編成である。朝からボックスシートの115系とキハ40系ばかりだったので、転換クロスシートはありがたい。ボックスシートだと、さすがに疲れる。疲れた体には、転換クロスのやわらかさが心地よい。
福知山から乗る人はあまりいないが、50歳代ぐらいの男性の乗客の方が、スチロールの白い容器に入ったラーメンを持って乗ってこられた。ふうふう言いながら食べておられる。おいしそうだ。そう言えば、城崎で駅弁を食べてから、何も食べていない。あのラーメンはどこで売ってるのだろうか?
中3のテスタロッサ君がめざとく、向こうのホームに立ち食いのラーメン屋があるのを見つけた。発車までまだ間がある。私も、陸橋を走って、いちばん安いラーメンを買ってきた。ねぎが少し辛いが、冷えきった体に熱いラーメンはうまい。発車するまでの間に、しっかりダシまで飲み干した。
車窓が真っ暗なので、することもなければ、見るものもない。みんな居眠りをしているようだ。私は、持参の携帯ラジオのスイッチをひねったが、山あいを走っているせいだろう、聞こえてくるのはラジオドラマ(たぶんNHK第2)だけである。そうおもしろいストーリーでもないが、他にすることもないので聞いていた。
途中の谷川駅で、あとから来る特急『北近畿』に道をゆずるために、15分以上停車する。ホームには、うどん屋があった。窓口は閉まっていたが、おなかをすかせた会員たちが頼むと、すばやくうどんを作ってくれた。ここの容器は陶器なので、その場で食べなければいけない。みんな、学食できたえた早食いで、うどんをすすっていた。
私も、ホームに降りて、携帯ラジオのチューナーをいじってみる。すると、聞き慣れた「基礎英語3」のオープニングの音楽が聞こえてきた。このホームで入るのは、やはりNHK第2だけのようだ。
『北近畿』が発車してしばらくしてから、ようやくこの列車も発車した。みな、うどんを食べて満足げである。
新三田をすぎると、だんだんと車内も混雑してくる。宝塚まで来ると、通勤型の207系電車が停まっていたりするので、もうすっかり大阪まで戻ってきたという気分にさせられる。尼崎からは東海道線に入り、複々線区間を走る。内側の線を走る221系の快速電車に抜かされた。むこうは満員である。
定刻の20時09分に、無事に大阪駅に到着。向かい側のホームには、青森行きの寝台特急『日本海』が停まっていた。見ず知らずの『日本海』の乗客に手を振る会員たち。みんなハイテンションのようだ。コンコースに下りてから、解散した。同じ中3のhigh4君は、テスタロッサ君の家に泊まりにいくそうだ。「よいお年を〜」と言いながら、家へ帰る私は別れた。
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