このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

西鹿児島駅改称→鹿児島中央駅へ

西鹿児島駅改称問題におもう


新幹線開業に先立ち、7月、8月と市役所にて新駅名称を募集していた西鹿児島駅に関して、鹿児島中央駅に改称されることとなった。JR側の諒解をとりつけたあと、改称にかかる費用(6600万円といわれる)などは募金など地元側が負担することになる。
現在建設中の整備新幹線や運行中の長野行き新幹線は、地元自治体も建設資金を出し、 準備をしている。地元自治体ということは住民の税金も使われているわけで、その中で 市民はもとより一般から新駅名称を募集し、これによって新しい駅名が誕生したことを まずは評価したい。

発端は、新幹線開通なのに”西”鹿児島駅では、”鹿児島のはずれにあるみたい” ”鹿児島駅の位置がわかりにくい”といったことで”新幹線開業に先立ち、鹿児島市街地の中心に ふさわしい駅名を”という意見が各所で出されたことにある。それにのっとる形で 市役所を中心に投票を集めて市民の意見を聞く、という流れになり、七月から 八月にかけてインターネットや葉書での名称募集が行なわれ、2900通余りが届いたとのこと。

旧来の感覚から考えると市民による名称というのは、斬新というか、それまでの 感覚にとらわれていないために親しみがある。しかしながら旧来のものとは 一味違うために周囲(の駅)からは浮く、という感覚があるのは否めない。 鹿児島”中央”というのも、海外へいくとアムステルダムなどにセントラル○○や○○セントラルという駅があるが、 日本ではまったく馴染みが薄い。おそらく時刻表の路線図に掲載されても県外の人には ”??なんじゃこりゃ??”という気分も起こるのではないか。

実際に調べてみたところ、現在、新幹線で方位を冠した駅名は東広島駅一つだけで、 これは実際に東広島市に位置していることから来ている(九州に”博多南”という 駅もある)。西鹿児島市じゃあるまいし、新幹線が来るのに”西”鹿児島駅はないでしょ、 という市民の気持ちもよく分かる。じゃぁ、鹿児島駅にすればよいのか、ということになると 戦後しばらくの間までは市内一の賑わいをみせた現在の鹿児島駅の付近の住民が ”表玄関の駅名まで持っていかれるのは困る”と頑強に反対したという(すでに”富士” ”はやぶさ”の終着駅が鹿児島から西鹿児島になった昭和40年代に一時、現在の西鹿児島駅を鹿児島駅にする、 という動きがあった)。

というわけで鹿児島駅付近の住民に遠慮した形で今回の議論に発展していったのである。 つまり西鹿児島駅の新しい駅名としての”鹿児島駅”という選択肢は一種、奪われたような形と なっていた。ここで疑問に思うのは、新幹線の開通はなにも西鹿児島駅周辺の人々だけではなく、 全市的に潤いをもたらす点である。九州新幹線全通の暁には博多までの到達時間がわずか1時間と 革命的な短縮となる。そうなればどの地域にも遠慮なく、全市民を挙げての駅名改称として、 ”鹿児島駅”の名称返上も辞さず、という心持ちでやっていけばまた違った方向に議論を することができたかもしれない。
蛇足だが、中心駅名が移動した例は、昭和39年の宇部駅がある。現在の宇部新川駅が 宇部駅で、現在の宇部駅は西宇部という名称であった。名称変更を2ヶ月ずらして、”宇部駅”を 地図の上でいったん消滅させることで混乱を防いだそうである。 (結局”鹿児島”駅は、投票の結果三位につけた。上から”鹿児島”駅へ改称しようとすると抵抗を受けるために、一般投票に持ち込んだ、という見方もできなくはない。)

そして、行政が動き出すのがすこし遅かったとも思う。最終選考に残った 名称は、すでに新聞の投書欄上でにぎわされた名称と寸分たがわぬものであった。 つまり、個々人が勝手に駅名を作って投書し、これに引きずられて新駅名称の選択肢と なってしまうことは予想できたと考えるし、事実そのようになってしまったように 感じる(もちろん、投書された新しい駅名はきちんとした考えに基づいたもので、 それはそれで素晴らしいものであったが)。
また、2900通の中に”西鹿児島”が68通あったということも見逃せない点であろう。 無言の”駅名改称不要論者”が数多くいることも想像できるし、実際にそのような 話を聞いたこともある。逆に”不要だと思うからこそ、現駅名で投票”という人の 声としての68票、だとも思う。”西鹿児島”と投票した人の動きは評価できる。改称を前提としたような投票において、現状維持を求めた声として。 そして、そのように改称不要という人々ももう少しきちんと声を だしていくべきだったと感じさせられた。

しかし、なにはともあれ潮流にはさからえない。大正2年に武駅として開業してから89年、 昭和2年に西鹿児島と改称してから75年。旧駅舎跡地にビルディングの建設構想も 固まった。新幹線の建設もずいぶんと進行しているし、新幹線ホームのデザインも このほど公表された。着々と新幹線を迎え入れる準備が整いつつあり、駅名改称も その一環である。改称が正式に決定すればまた50年、100年と親しまれる名称となっていくことであろう。

注:この文章は、幹事重富の個人的な雑感として記したものです。
会員の総意ではなく、おそらく会員もそれぞれの思いを持って改称を見ていると思います。


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