このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

鹿児島の路面電車

 
鹿児島市には全国でも少なくなった路面電車が走っています。
鹿児島市の特徴として目の前の錦江湾に浮かぶ桜島の火山灰が季節風に乗って
夏に降ってくる、ということがあり、このため窓の開ける必要のない冷房車が、
全国に先駆けて昭和56年には登場しています(初の冷房路面電車は熊本市が
富士電機との協力で、改造車にクーラーを搭載したもので、昭和53年に登場)。
また、この灰でポイント(分岐装置)が目詰まりをおこすので、スコップで時々灰を
かき出さないといけないほか撤水車、除灰車が走ります。鹿児島を観光都市として
売り込むためにも清潔な電車を走らせることが必要ですが、火山灰が降っても10日に
一度しか洗車しないため、それまではドロドロのまま走ることがあり、改善が望まれます。
併用軌道の架線を中央で支える全国初のセンターポール化事業も完成
(併用軌道全線8.75kmへ施工)し、都市景観の向上に一役買っています。
電停は本来車道とは段になっていましが、これをスロープとする工事は終了して、
次は超低床電車が、日本初の純国産車両としてアルナ工機へ発注されており、近々登場予定です     
(全長14m、2.63mの動力ボギー台車付き運転室2車体と車輪なし客室車体の3連接車両)。
谷山線郡元以南の専用軌道は駅間も長く、法律の改正もしくは専用軌道区間の
法律上の扱いを普通鉄道化し、高速化(市街電車は最高速度40km/hで道路の
真ん中を走る、と法律で決まっています)を望みたいところです。
車両は古い車両ほど傷みが進んでおり、特に広告を収める枠の周辺は
汚れがたまっています。それを解決するために広告を車体にシールで直接
貼り付ける方法も採用されていますが、そうなると張り替えがしにくいなどの
問題も発生するようです。


市電の基本データ
軌間:1435mm
総営業キロ13.1km全国5位
架線給電600V直流式
専用軌道涙橋−谷山約4km(一部PC枕木採用):併用軌道センターポール化完了 全線複線

営業開始大正元(1912)年12月武之橋−谷山(当時谷山は市外)
路線区分
運行系統に関係なく、以下のような区分になっています。
第1期線:武之橋−鹿児島駅前
第2期線:高見馬場−西鹿児島駅前
谷山線 :武之橋−谷山
唐湊線 :西鹿児島−郡元

以前あった上町線(市役所前−清水町)伊敷線(加治屋町−伊敷町)の路線図は こちら


なお、電車は下の路線図のように走っています(クリックすると巨大化)。


宇宿1丁目は昭50年代に作られたようで、古い路線図には載っていません。
たばこ産業前は以前の専売公社前を改称。
水族館口は元の県庁前で、県庁移転に伴い、県庁跡と改称後9ヶ月で水族館口と改称。
工学部前は鹿児島大学工学部そば。
郡元−涙橋は平成9年に郡元バイパス完成に伴い専用軌道から併用軌道に変更。また、 この区間の交差点のみ電車優先信号が設置されています。
電車は運賃均一だが後乗り前降り。
運賃は後払いで大人160円、小人80円。
1系統と2系統の乗り換えは最初に乗った電車で 運賃を払う際に乗り換え券を受け取り、 これを次に乗った電車で運賃箱に入れます。
乗り換え券が出るのは高見馬場と郡元のみ。
JRとの乗り換えは原則として”○○駅前”で下車。
ただし指宿枕崎線郡元駅の最寄電停は純心学園前 (道のりで300mほど)。




電車の紹介


500形

現役最古参の車両で、昭和30年に登場。都電旧7000系に倣った車体を持ち、当初は前面も2枚窓でした。15両登場しましたが事故による廃車が2両出ています。     超低床電車の登場で、押し出しで廃車が出る可能性もあります。



600形

あまり目立たない形式ですが、製造時期によって台車がコイルバネ・空気バネの2種類に分かれています。この形式も釣り掛け駆動です。600形よりも廃車が早く、この代わりとして一部の2110形グループが増備された経緯もあります。ただ、一部はカラオケ電車やビール電車に改造されて主に貸切として使用されました (カラオケ電車の610号車は2000年春に廃車となっています)。



2100形

昭和63年度に登場した新形式グループの第1陣。700形以来の高性能車です(ただし抵抗制御)。当初は2101号車は”しろやま”、2102号車は”さくらじま”と名づけられ、転換クロスシートとロングシートを千鳥に配置していましたが、現在は前面広告車となり、室内も平凡なロングシートに変わっています。このあとの2140形までは、鹿児島市内で製造された形式で、製造はJR九州鹿児島車両所(当時)となっています。標準軌の電車をJRの工場で作るのは非常に苦労したようで、路面電車の高さに合わせて架線を張った100m程度のテスト線を車両所内に作りました。電気はED76-38の配線を変更し、直流600Vを流せるようにして給電した、とのことです。



2110形シリーズ

年度ごとに運転台の機器配置や形式(増備年度ごとに 10ずつ上がる)などが違いますが、一括して紹介します。 この形式の特徴としては、VVVF(可変電圧可変周波数)インバータを 採用していることで、加速・減速をスムースにする意図があったようです。 ただし、水害のあった年度(93年度)を最後に2140形までの9両で製造は 打ち切られてます。 というのは、93年の集中豪雨で交通局脇を流れる甲突川が溢れて (いわゆる8.6水害。県外の方だと竜ヶ水駅で列車が流されたときの水害、 と言った方が分かり易いようですね)市電の車庫(交通局)が水につかった際、 構造が複雑なVVVFインバータ車両の復旧が遅れた、ということがあるようです。



9500形

大阪市交通局2600形のなれの果て。昭和42年度から譲り受けて 800形として活躍していましたが、95年度から機器を転用して車体・台車を 新製し、9500形として生まれ変わりました。
改造は鹿児島への転入の際にも施工を手がけたアルナ工機(旧ナニワ工機)です。 鹿児島駅前の広場にある踏み切りから貨車に載せて大阪に送られた、と聞いています。 最新の9514、9515はまだ写真のような塗装ですが、 他の車両は全面広告車となっています(9504、9505は某焼肉店が窓下の シール広告としています)。



9700形

輸送力増強の一環として増備され、鹿児島港の再開発の一環として鹿児島本港北埠頭に水族館(いおワールド)が 完成、その落成を祝ったカラーとなったのが9700形で、97年度の登場。 塗り分けは9500形を基本にしていますが、小豆色の部分をブルーにして イメージを変えています。初のシングルアームパンタを採用しましたが、 駆動装置はVVVFではありません。



過去の電車など

800形

大阪市の2600形が昭和42年から44年にかけて総勢32両が、鹿児島入りして主力となりました。前面デザインは元と似ていなくはないですが、600形などに見られるいわゆる”鹿児島タイプ”に改造されています (大掛かりな改造ではなく、顔を絞った、馬面になっただけのようです)。鹿児島の市電はどれも似た姿をしているが、この形式は、側窓が小さく屋根が深いスタイルをしていたので、番号を見なくても識別できたものでした。昭和60年の上町線(市役所前−清水町)・伊敷線(加治屋町−伊敷町)の廃止に伴い17両が廃車となり、改番を受けた車両もありました。801から815が改造されて9500形となりました。



700形

鹿児島市初の高性能連接車で、4編成(701〜704)増備されました。大阪市交通局の車両の 機器を使った車両です(機器のみ:702、704、車体も使用:701、703)。 ナンバーが車体ごとに701A/Bと分かれていましたが、現在の車両が運転台上に A・Bの表記で方向を決めているのと同じです。末期は朝ラッシュのみの使用で、 交通局で日向ぼっこをしているところ以外走行シーンは筆者は一度しか見ていません。 なお連接車なので扉が3つあり、中扉の扱いが気になるところで、私は ”締め切り”のステッカーを見ているので使っていないと思いましたが、 ”最後まで使っていた”という証言もあり、解明が急がれるところです。 (その後、六月灯などの多客時に使用する停留所を限定して 中扉で客を扱うことはあったが、原則的には締切扱いであった、との情報をいただきました)。



撒水車20形

元西鉄の車両で、花電車用として購入したようです。2両在籍しており(番号は花1、花2)、 撒水車としても活躍可能です。11月のおはら祭りの花電車として毎年晴れの舞台を踏んでいます。  近いところでは、7月29日の参議院選挙の投票率向上のためのPR電車としても活躍したようです。



自社線連絡

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