このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
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600形
あまり目立たない形式ですが、製造時期によって台車がコイルバネ・空気バネの2種類に分かれています。この形式も釣り掛け駆動です。600形よりも廃車が早く、この代わりとして一部の2110形グループが増備された経緯もあります。ただ、一部はカラオケ電車やビール電車に改造されて主に貸切として使用されました (カラオケ電車の610号車は2000年春に廃車となっています)。
昭和63年度に登場した新形式グループの第1陣。700形以来の高性能車です(ただし抵抗制御)。当初は2101号車は”しろやま”、2102号車は”さくらじま”と名づけられ、転換クロスシートとロングシートを千鳥に配置していましたが、現在は前面広告車となり、室内も平凡なロングシートに変わっています。このあとの2140形までは、鹿児島市内で製造された形式で、製造はJR九州鹿児島車両所(当時)となっています。標準軌の電車をJRの工場で作るのは非常に苦労したようで、路面電車の高さに合わせて架線を張った100m程度のテスト線を車両所内に作りました。電気はED76-38の配線を変更し、直流600Vを流せるようにして給電した、とのことです。
年度ごとに運転台の機器配置や形式(増備年度ごとに 10ずつ上がる)などが違いますが、一括して紹介します。 この形式の特徴としては、VVVF(可変電圧可変周波数)インバータを 採用していることで、加速・減速をスムースにする意図があったようです。 ただし、水害のあった年度(93年度)を最後に2140形までの9両で製造は 打ち切られてます。 というのは、93年の集中豪雨で交通局脇を流れる甲突川が溢れて (いわゆる8.6水害。県外の方だと竜ヶ水駅で列車が流されたときの水害、 と言った方が分かり易いようですね)市電の車庫(交通局)が水につかった際、 構造が複雑なVVVFインバータ車両の復旧が遅れた、ということがあるようです。
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9500形
大阪市交通局2600形のなれの果て。昭和42年度から譲り受けて 800形として活躍していましたが、95年度から機器を転用して車体・台車を 新製し、9500形として生まれ変わりました。
9700形
輸送力増強の一環として増備され、鹿児島港の再開発の一環として鹿児島本港北埠頭に水族館(いおワールド)が 完成、その落成を祝ったカラーとなったのが9700形で、97年度の登場。 塗り分けは9500形を基本にしていますが、小豆色の部分をブルーにして イメージを変えています。初のシングルアームパンタを採用しましたが、 駆動装置はVVVFではありません。
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過去の電車など 大阪市の2600形が昭和42年から44年にかけて総勢32両が、鹿児島入りして主力となりました。前面デザインは元と似ていなくはないですが、600形などに見られるいわゆる”鹿児島タイプ”に改造されています (大掛かりな改造ではなく、顔を絞った、馬面になっただけのようです)。鹿児島の市電はどれも似た姿をしているが、この形式は、側窓が小さく屋根が深いスタイルをしていたので、番号を見なくても識別できたものでした。昭和60年の上町線(市役所前−清水町)・伊敷線(加治屋町−伊敷町)の廃止に伴い17両が廃車となり、改番を受けた車両もありました。801から815が改造されて9500形となりました。
鹿児島市初の高性能連接車で、4編成(701〜704)増備されました。大阪市交通局の車両の 機器を使った車両です(機器のみ:702、704、車体も使用:701、703)。 ナンバーが車体ごとに701A/Bと分かれていましたが、現在の車両が運転台上に A・Bの表記で方向を決めているのと同じです。末期は朝ラッシュのみの使用で、 交通局で日向ぼっこをしているところ以外走行シーンは筆者は一度しか見ていません。 なお連接車なので扉が3つあり、中扉の扱いが気になるところで、私は ”締め切り”のステッカーを見ているので使っていないと思いましたが、 ”最後まで使っていた”という証言もあり、解明が急がれるところです。 (その後、六月灯などの多客時に使用する停留所を限定して 中扉で客を扱うことはあったが、原則的には締切扱いであった、との情報をいただきました)。
元西鉄の車両で、花電車用として購入したようです。2両在籍しており(番号は花1、花2)、 撒水車としても活躍可能です。11月のおはら祭りの花電車として毎年晴れの舞台を踏んでいます。 近いところでは、7月29日の参議院選挙の投票率向上のためのPR電車としても活躍したようです。
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自社線連絡
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