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利用者数激減−−名古屋鉄道4線区廃止後の状況
■平成14(2002)年 3月28日付交通新聞記事より■
この記事では、昨年秋に廃止された名古屋鉄道4線区の、バス転換後の利用者数減少幅について、紹介されている。
鉄道時代の路線・区間名 | 距離 | 輸送密度 | バス転換後の利用者数減少幅 | 転換後推定輸送密度 |
km | 人/日km | % | 人/日km | |
揖斐線(黒野−本揖斐間) | 5.6 | 604 | −45 | 332 |
谷汲線(黒野−谷汲間) | 11.2 | 323 | −83 | 55 |
八百津線(明智−八百津間) | 7.3 | 1,307 | −65 | 457 |
竹鼻線(江吉良−大須間) | 6.7 | 1,081 | −67 | 357 |
※鉄道時代の輸送密度は、平成12(2000)年 9月28日付交通新聞記事による。
■コメント■
筆者は2年前既に、この状況に関する問題点を明示している。
「第二の問題は、4線区の廃止が公共交通の衰微を加速する懸念である。現在の揖斐線・谷汲線には並行するバス路線がない。沿線にとって、鉄道は唯一の公共機関なのである。これがバス転換されるとなると、運賃水準はおそらく上がり、ただでさえ少ない利用者数はさらに減少するであろう。そうなると、バス路線でさえ維持できるという保証はない」
「4線区の廃止はやむをえないとしても、公共交通の全てが廃止される事態にまで至っていいのか、衆議が尽くされたのだろうか。公共交通を維持するにしても、どのような手法を採るべきか、検討されたのだろうか」
残念ながら、この問題提起は的中してしまった。鉄道の廃止により、利用者数の減少がさらに加速し、公共交通(バスはいわば最後の砦)の維持すら困難になりつつある。この状況が沿線地域にとって望ましくないことは、まず間違いないところだろう。
鉄道時代の主な利用者が学生で、廃止により自転車・バイクなり自家用車による送迎にシフトしたのであれば、これほどの減少でも受け容れるべきであろう。しかし、普通乗車券を購入し利用する層の減少であれば、由々しきことである。沿線地域の住民であれ外部から沿線にやってくる客人であれ、「移動する機会の減少」は地域の活気を減殺し、深刻なダメージを与えかねないからである。
ここで一点、確認を要する事柄がある。それは、バス転換後の利用者数が激減した真因の確定である。筆者が見立てたとおり「運賃値上げ」に根底があるのか、それとも「鉄道だから利用したのでありバスではいやだ」という単純な利用者感情なのか。
より理論的にいうならば、4線区の沿線地域に構築されうる需要予測モデルにおいて、運賃のウエイトが最も重いのか、それとも鉄道定数項が卓越しているのか。統計的に有意な分析を行いたいところである。
おそらく真因は前者であろうが、後者の可能性も否定しきれない。「鉄道だから良い」という感情は、ときに意外なほど、侮りがたい重さを持つことがある。
勿論、経済合理性を追求する限り、4線区の廃止はやむをえない。しかしながら、公共交通維持という観点からすれば、4線区廃止という措置が妥当であったかどうか、疑問が残る。
後知恵ながら、4線区の営業中に運賃水準を大幅に引き上げる措置があってもよかった。第3セクターに転換せずとも、名鉄の運賃体系の中で、廃止対象区間のみの運賃値上げもできたのではないか。これで利用者数が減少すれば利用者は名鉄の低廉な運賃水準に利点を見出していたといえ、減少しなければ「鉄道だからこそ乗る」という魅力を感じていたことになる。統計的分析よりも強力な社会実験になったはずなのだが。
たとえ運賃が高くとも、「鉄道だから乗る」ということが立証できれば、社会的負担は大きくとも存続させるだけの価値はあった。そのかわり、高水準の運賃が嫌気されるのであれば、鉄道を廃止しても惜しいところはまったくないと断言できる。
今はもはや遅い。なんらかの対策を打てる時期は、はるか遠くに過ぎ去った。転換バスは既にして瀬戸際にある。利用者の行動原理は不明なまま、有用な知見は得られていない。後に残されたのは、あまりにも寂寞とした「公共交通の砂漠化」現象である。
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