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ある近代化産業「違算」の認定





■旧いだけでは価値はない

 経済産業省の認定による近代化産業遺産に、高松琴平電気鉄道の 120・300・500などが選ばれたという報道に接した時、なんの冗談だろうかとまず思ってしまった。上記 3両の電車はただ単に旧いというだけであり、日本で最も旧い電車でもないし、電車という技術体系における画期を刻んだわけでもない。なにゆえ「遺産」と呼ぶに足ると認められたのか、最初はまったく理解できなかった。

 そもそも、このような超老朽車両が近年まで現役だったことじたいが異常なのであって、利用者に対するサービス提供という意味においてはおおいに問題を含んだ車両群、という評価を与えることも可能なのである。新聞報道では「レトロ車両」と持ち上げられた表現になっているが、実態としては超老朽車両が長年に渡り置換されず、延々と使われていただけである。そんな車両群が近代化産業遺産に認定されるとは如何なものか、と感じざるをえなかった。

琴平120


 経済産業省の資料を見渡す限り、他の鉄道関連の近代化産業遺産は、相応の理由づけが理解できるものが大半である。稚内港北防波堤ドーム、手宮機関庫、碓氷峠の隧道・橋梁群、万世橋高架橋、地下鉄銀座線、箱根登山鉄道早川橋梁、笹子隧道、柳ヶ瀬隧道、逢坂山隧道、梅小路機関区、浜寺公園駅舎、南海本線紀ノ川橋梁、魚梁瀬森林鉄道、関門鉄道トンネル、大畑ループ・スイッチバックなどなど。

 なかにはタウシュベツ川橋梁とか、花巻電鉄デハ3 とか、鉄道という技術体系においてはその価値に疑問符をつけざるをえないものも散見されるのだが、全般としては概ね妥当な認定と受け止めてよいだろう。

琴平300






■「ストーリー」なる曖昧な指標

 否、実は、鉄道という技術体系において価値があるかどうかは、近代化産業遺産としての価値とは必ずしも連動していない。近代化産業遺産は33の「ストーリー」という大きな枠組に分類されており、それぞれの遺産はストーリーに沿った形で認定される。例えば、タウシュベツ川橋梁は「ストーリー24:道北・道東開拓」としての遺産であり、花巻電鉄デハ3 は「ストーリー25:東北開発」としての遺産なのである。ちなみに、今次の認定は平成20年度のもので、最初の平成19年度の認定と比べストーリーは大幅に改変されている。

琴平500


 では、高松琴平電気鉄道の 3両の電車は如何なるストーリーに分類されているか。それは「ストーリー20:大衆観光」であり、金刀比羅宮参詣にまつわる一連の鉄道設備が認定されているのである。そのほか滝宮駅舎・屋島山上駅舎などが認定されていることから、まさに「ストーリー」としての一貫性を持たせたことは理解できるし、その文脈における認定というならば、筆者においても異論を述べる余地はない。

 同じ「ストーリー20:大衆観光」には、高野山参詣にまつわる一連の鉄道設備として、南海高野線の紀見トンネル・紀ノ川橋梁・極楽橋駅舎・鋼索線(ケーブルカー)・高野山駅舎などが挙げられている。これらは産業そのものというよりむしろ、当時の人心・信仰・観光・風俗を示すものであって、どちらかといえば人文科学から理解すべき対象といえよう。金刀比羅宮参詣についてもまたしかり、である。

琴平300・500


 とはいえ、「近代化産業遺産」という言葉の響きからすれば当然、「鉄道として価値が高い」という印象を与えることは免れえない。また、企業として当然なる心がけとしても、そのような印象を与える方向に宣伝を重ねるに違いない。かくして遠からぬ将来、「近代化産業遺産の高松琴平電気鉄道 120・300・500は価値の高い鉄道車両だ」と勘違いする輩が出てくると想定せざるをえない。

 近代化産業遺産認定じたいは歴史的にも社会的にも意義あることである一方、「近代化産業遺産」という言葉が持つインパクトが強すぎ、かつ「ストーリー」なる耳慣れぬ価値基準が見えにくいものであるため、かえって本質を晦ましかねないのではないか、と危惧・懸念を感じている。

琴平300・500


 なお、表題の「違算」とは、筆者PCの辞書における「いさん」の第一変換であった。勿論、誤変換なのだが、あまりにも面白いのでそのまま載せてみた。





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参考文献

(01)「近代化産業遺産認定遺産リスト(都道府県別)」(経済産業省・平成20年度)

(02)「近代化産業遺産認定遺産リスト」(経済産業省・平成19年度)

(03)平成21(2009)年 2月26日付四国新聞記事



執筆備忘録

訪問・写真撮影:平成20(2008)年初頭

写真撮影箇所 :全て仏生山にて

執筆     :平成21(2009)年春





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