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「羊蹄丸」報道の非論理性





■讀賣新聞平成23(2011)年11月 9日付記事より


羊蹄丸、解体へ ━━ 再利用研究目的

 「船の科学館」(品川区)は 8日、同館が保有する、本州と北海道を結ぶ最後の青函連絡船「羊蹄丸」を愛媛県の産官学組織に無償譲渡すると発表した。船舶のリサイクル研究に利用される見通しで、解体されることが決まった。引受先を公募していた同館は「解体は忍びないが、意義のある活用方法と判断した」としている。(後略)





■コメント

 筆者は昭和60(1985)年から青函トンネル開業までの間、年に数度は青函連絡船を利用していた。そのなかで、乗船する機会が最も多かったのが「羊蹄丸」である。「羊蹄丸」以外の青函連絡船に乗船したのは、確か「八甲田丸」「大雪丸」に乗ったことがあるなあ、とうっすら記憶しているにとどまる(ちなみに「摩周丸」に乗船したことはない)。

 要するに、筆者にとってはどの船でも同じことだったのだ。「摩周丸」に乗っていたとしても、その思いは変わるまい。筆者には「羊蹄丸」への愛着などまったくない。桟橋で「羊蹄丸」の姿を見るたび「またか」と思ったものだ。もっと正確にいえば、青函連絡船じたいが嫌だった。筆者の乗船は午前 0時出発・ 4時前到着の便が常であり、桟敷席で横になれるから夜行列車より眠れたとはいえ、未明・早朝の乗換は苦痛以外のなにものでもなかった。

 船であるがゆえに、揺れと船酔いがつきものという点も辛かった。筆者は桟敷席で眠ることで、船酔いを回避できるよう努めていたが、あまりにも揺れが激しく、眠っていたのに吐き気で目覚めるような事態もあった。目覚めてすぐトイレに一直線、げろげろ吐いて苦痛にあえいだ記憶が残っている。

 筆者にとっての青函連絡船とは、遅くて乗換不便な交通機関であるどころか、船酔いに苦しめられる拷問装置に近い存在であって、改善どころか解消すべき対象でしかなかった。鉄道趣味誌などがうたう「浪漫」「郷愁」は、筆者に同意できる概念でなかった。そんなものは一生に一度か二度の乗船で得られる感覚にすぎず、定期的な乗船から得られる感覚とは乖離があって当然というものだ。



 以上は筆者の個人的な思いにすぎない。しかし、一般的な感覚からは遠くないと信じている、……というよりも信じたい。

 ここで敢えて話を飛躍させる。

 現在でもよく「現代の河川はコンクリートで塗り固められ、緑と潤いを失った。故郷の風景が懐かしい」というような主旨の文章が書かれている。外観は確かにそのとおりかもしれない。しかし、この主旨には重大な見落としがある。外観が殺風景になる反面、治水による効用が獲得されている事実を踏まえていない。
  ※近年では「ゲリラ豪雨」への対応など新たな課題も生じているが、それまでの課題には対応してきた事実は残る。

 この種の感傷的な文章を書けてしまう人物は、無意識下において、「郷愁」「懐旧」と「安全」とを秤にかけている。「安全」を犠牲にしてでも「郷愁」「懐旧」を優先すべし、といった感覚がひそんでいる自覚なく、甘ったるい文章を書いているのである。かような人物に限って、いざ天災などの一大事が起これば、今度はさらに感情的に「当事者は何をやっていたか!」と正義を振り翳すが如き糾弾調で迫ってくるから、始末に負えない。

 「羊蹄丸」に関する一連の報道も同然である。青函連絡船が何故廃止されたのか。悲惨なる洞爺丸事故の反省を鑑み、海峡の下を掘り抜いた青函トンネルが完成したからである。昨今の「羊蹄丸」報道は、「郷愁」「懐旧」「浪漫」と「安全」を混ぜこぜのごった煮にする行いに近く、筋が良いとは到底いえない。

 いうまでもなく、青函連絡船に深い縁と愛着を持つ方々は間違いなく実在しているはずである。さりながら、そのような方々が持つ「愛着」と報道がうたう「郷愁」「懐旧」はまったく別次元のものであり、質的には懸河の隔たり━━それこそ塩っぱい川の如き懸絶━━があるといわなければなるまい。

 安全しかも安定輸送を確保した青函トンネルが完成した以上、青函連絡船は過去の遺物となったはずではないか。青函連絡船を懐かしむならば、「摩周丸」が函館に、「八甲田丸」が青森に、それぞれ保存展示されているではないか。青函航路が良かったというならば、今日もなお供用されているフェリーに乗ればいいではないか。「羊蹄丸」を惜しむのであれば、そのすぐれた特長を四方八方論じるべきではないか。

 報道が青函連絡船を懐かしがる擬態を示すさまは、ほとんど偽善に等しい。報道の論理はことごとく破綻している。破綻した論理のまま報道しようと足掻いているから、東日本大震災の如き大災害に直面すると、思考停止に陥るのである。自業自得だが、報道が社会に垂れ流している害悪はあまりにも深すぎる。

 敢えて報道するならば、保存する価値や意義を見出していたはずの「船の科学館」が、「羊蹄丸」を手放さざるをえなくなった、という断面こそ呈示してほしかった。かような文脈での報道であれば論理性がある。論理でなく、感傷と情緒にのみ訴える報道は、刹那の甘みにすぎず、時の流れのなかでは有害無益、百害あって一利なしである。





■「船の科学館」からの公式発表(平成23(2011)年11月 9日)より


青函連絡船“羊蹄丸”無償譲渡先の決定について

 財団法人 日本海事科学振興財団「船の科学館」は、当館所有の青函連絡船“羊蹄丸”について無償譲渡先の公募を行い、締め切りの 9月30日までに11件の正式な譲渡申請をいただいておりました。
 今般、これらの申請内容について厳正に審査いたしましたところ、最も適切と思われる申請者を下記により譲渡先として選定・採用いたしましたのでご報告申し上げます。
 なお、他の10件のご提案には、国内のみならず中国、ベトナム、バングラディッシュ等での活用案等も含まれておりましたが、最終的に直接ヒアリングを行い、資金計画、曳航計画、事業の実現性等を勘案し総合的に評価して、下記申請者に決定したものです。
(中略)


事業計画
 ……“羊蹄丸”を新居浜東港で一般公開する。一定期間公開の後、開発途上国で行われてきた劣悪な環境下での船舶解撤を規制するため2009年採択された「シップリサイクル条約」に基づく、循環型社会の構築、鉄資源の確保、CO2 排出削減、地域経済の活性化を目指した「先進国型シップリサイクルシステム」確立のため、えひめ東予シップリサイクル研究会を中心とした地域の産学官連携で、実際に“羊蹄丸”を解撤しながら最適システムを確立するための研究・開発を行う。

選定・採用理由
 新居浜東港で一般公開し、その後解撤するという計画ではあるが、「シップリサイクル条約」が発効すると原則として大型船舶は自国での解撤が義務付けられる。これを見据えた「先進国型シップリサイクルシステム」確立のため、地域社会での産学官連携で、最適な解撤システムを研究・開発しようという事業内容を高く評価した。
(後略)





■改めてコメント

 念のため、と思い「船の科学館」の公式発表を読み、無性に腹立たしくなった。報道は、まったくもって何も伝えていない、と。

 「船の科学館」の意志は、公式発表からひしひしと伝わってくる。「羊蹄丸」を外国に譲渡したところで、いつの日か必ず御役御免となる。その時は「シップリサイクル条約」発効後であるから、日本での解撤が不可避である。「羊蹄丸」がいずれ日本国内での解撤を免れないならば、日本国内のしっかりした組織に託して、大型船解撤のモデルケースに供しよう。……そういう思いが「船の科学館」にはあったのではないか。

 これを苦渋の選択、とするのはおそらく違う。譲渡先がどこであっても、「船の科学館」が「羊蹄丸」を手放した刹那、解撤という終末は確定したも同然なのであり、これを所与の条件として譲渡先を選考した結果が、解撤の最適システム研究開発だった、ということなのだろう。

 報道は「シップリサイクル条約」にまったく触れていないから、「船の科学館」の意志も、譲渡先が決まった背景も、伝わってくるものが何もない。「郷愁」「懐旧」「浪漫」などの固定観念で安易に記事を仕立てた結果は、あまりにも無残、それ以上に無意味かつ無価値である。

 「羊蹄丸」はいずれ姿形を失い無に帰していくが、「最適解撤システム」という成果を残す。虎は死しても皮を残す、という喩えのとおりではないか。その一方で、「羊蹄丸」報道はまったくなにも残さない。甘ったるい安物菓子の味の如しで、思考回路に悪影響を与えつつ泡沫として消えていくという、始末の悪さである。





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