このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
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笹子トンネル事故に見る「負の遺産」
■笹子トンネル事故
平成24(2012)年12月 2日に発生した中央自動車道笹子トンネル事故の報道に接した時、筆者は強い衝撃を受けた。なぜなら「崩落」という言葉から、営業中のトンネルで山そのものが崩れ落ちてきた、と連想したからだ。もしそうならば、日本中のトンネルで安全な箇所などない。
その後の続報で、天井に相当するコンクリート板が落ちたという事実がわかってきた。これに「崩落」という言葉は実は適切でないのだが、そんな小さなことを論っている場面ではない。さらに詳細がわかってくるにつれて、事故の重大さ・深刻さに慄然とせざるをえなかった。
端的にいおう。この事故は、巷間論じられているような、トンネルの老朽化が主因とは必ずしもいえない。設計にもかなりの問題があるはずだ。以下、順を追って説明しよう。
■事故原因の推定
限られた情報からの判断は危険と承知のうえで、事故原因を推定してみよう。落下したコンクリート板の構造は下図のとおりである。
事故発生箇所のコンクリート板構造図
(ケンプラッツHPのハードコピー:原版は中日本高速道路提供と思われる)
構造そのものは実に単純だ。重量 1トン強のコンクリート板をトンネル壁面と吊金具で支えるというものだ。この図によれば、コンクリート板半分の重量を、一本の吊金具即ち二本のアンカーで支えていることになる。そのアンカーの構造は下図のとおり。
コンクリート支持構造の詳細図
(毎日新聞HPのハードコピー:作図は毎日新聞の手によると思われる)
この図が正しければ、トンネル壁面に揉み入れただけという造作である。トンネル壁面とアンカーは、定着剤の化学反応により固定される。メーカーのカタログを見ると、引抜抵抗力はアンカー一本あたり4〜8トン。設計上は安全を考慮して強度を 1/3程度に減じるそうだが、それでも1.3〜2.6トンの引抜抵抗力はある。二本のアンケーで支持するならば、充分すぎるほどの引抜抵抗力が設計上は存在したはずだ。実際のところ、昭和52(1977)年の開業以降、35年間持ちこたえてきた事実は残る。
しかしながら、コンクリートという材料は、圧縮には強い一方、引張にはきわめて弱いという特性を備えている。 1トンものコンクリート板を支えるにあたって、トンネル壁面(これもコンクリート)の引抜抵抗力が頼りとは、少なくとも筆者の感覚ではかなり怖い。材料のバラつきもありえるし、たとえ良い材料でも経年劣化もありえる。 1トンの重量を長年支え続ける信頼性を、設計者は如何に確信できたのか。
しかも、事故発生箇所の断面図は下図のとおりだったという。
事故発生箇所のトンネル断面図
(毎日新聞HPのハードコピー:原版は中日本高速道路提供と明記)
この断面図を見た瞬間、筆者は絶句した。トンネル壁面がコンクリート板をじかに支持する突起部分は、載荷による引張力が作用するため、鉄筋がなければ成立しない。即ち、事故発生箇所のトンネル壁面は全て鉄筋コンクリートであったはずだ。もし筆者が設計者であるならば、天井と壁面とを一体構造とするか、アンカーを壁面コンクリートの鉄筋と接続し引抜抵抗を最大化する、……などの選択肢を考慮する。
勿論、保守点検や維持管理に問題があったことも確かであろう。しかし筆者は、設計の拙さを重視する。少なくともこの設計は万全といえない、より優れた選択肢があったはず、これらを採れば仮に事故が起きても物損で済んだのではないか、というのが筆者の率直な感覚である。
■負の遺産
事故発生箇所が開業したのは、前述したとおり昭和52(1977)年だという。35年の長きに渡り、中央自動車道は日本の大動脈として機能し続けてきた。その功績は大きい。
しかしながら、勲功絶大なインフラストラクチャーにも問題含みの構造が含まれていた。これを設計された方は、おそらく昭和初期世代。戦争を体験しつつも、従軍はしていないという年回りか。今ではもう第一線を引退されているのであろう。
神は細部に宿るという。そして残念ながら、問題や災厄もまた細部に宿るようだ。先達がつくりあげた立派なインフラストラクチャーには、ごく僅かながら「負の遺産」も含有されている。トンネル設計の本道とはいえない箇所に問題がひそみ、大きな事故に発展し、結果として 9名もの方が亡くなられた。些末な原因に、深刻な結果。その途方もない乖離を前にして、まさしく途方に暮れざるをえない。
われわれ後発世代は、高度経済成長時代に構築されたもの━━原子力発電所から年金等の社会制度まで━━を先発世代の遺産として、正負功罪理非諸々全てひっくるめて継承しなければならない。たとえ「否」と思っても、応じざるをえない現実がある。
現在は、遺産の勲功が色褪せ、問題や災厄が顕在化しつつある局面だ。しかも昭和初期世代の仕事には手抜かりが多いと確信が深まりつつある(この点については改めて別記事をおこす予定)。批判するのは簡単だし、むしろ厳しく批判すべきであろう。ところが、いくら切っ先鋭く批判しても、その矛先が自分に返ってくる絶望的な虚しさ。先発世代の「不始末」を追及したところで、その「後始末」は後発世代の仕事なのだ。「天に唾す」とはまさにこのこと。不条理きわまりなく、なんとも気が重い。
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