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緬国の険しい道のり





■ミャンマー新政権発足

 平成28(2016)年 3月30日より、ミャンマー連邦共和国の新政権が発足した。長い雌伏の時を経て表舞台に登場した、国民民主連盟(NLD)アウン・サン・スー・チー党首が如何なる政権運営手腕を発揮するのか。ミャンマーの民主化そのものの成否が判断されるともいえ、内外からの注目度は高い。

 筆者の私見は、率直にいってネガティブである。ごく単純化して表現すれば「日本の旧民主党の如き体たらく」におちいる可能性大ということになる。ただし、念のためいえば、アウン・サン・スー・チー個人の政治的資質を旧民主党の連中と同列視するつもりはない。権力の二重性を云々するつもりもない。個人の政治的資質に恵まれようが否が、ひょっとするとカリスマに恵まれれば恵まれるほど、ミャンマーでは政権運営には苦労するはず、といわざるをえないのだ。

 筆者の専門はあくまでも鉄道・交通にとどまる。その鉄道というミクロな一断面から、論じることを試みてみよう。「神は細部に宿る」という。実に細かな断片から、緬国——ミャンマーを見渡す一助になれば幸甚である。





■三年で三人の大臣

 ミャンマー新政権のトップは名目上ティン・チョー大統領。アウン・サン・スー・チー党首は外相など四大臣を兼務するという。では他の閣僚は?と思っても、公表されているはずなのに何故か情報が流通していない。情報があっても報道するマスメディアの興味が偏在すると、かような事態になってしまう。

 前政権についても同じことがいえる。前政権のトップはテイン・セイン大統領。では他の閣僚は誰?との問いに答えられる方は、相当なミャンマー通であろう。「ミャンマー 閣僚名簿」と検索してみれば、実に平成24(2012)年 9月時点まで遡ってしまう。容易に入手しうるミャンマー情報は、なんとも心細いものなのだ。

 ミャンマーには30もの省庁があるらしい。やけに多く思えるが、首都ネピドーをGoogle Mapで検索してみると、少なくとも17省の立地が確かめられる。ヤンゴンにも 8省が立地しているようだから、30省はあるということなのだろう。

 これら30省の一つに鉄道運輸省がある。近年、鉄道運輸大臣が来日したり、日本の鉄道関係者が訪緬したりで、ミャンマーの鉄道運輸大臣が名が広く周知される機会が、筆者の知る限り三度あった。以下に列挙してみよう。

   平成25(2013)年 6月19日 ゼーヤー・アウン大臣【国土交通省プレスリリース】
   平成26(2014)年 5月 1日 タン・テー大臣【国土交通省報道発表資料】
   平成27(2015)年 9月28日 ニャン・トゥン・アウン大臣【交通新聞記事】

 各年とも大臣の名前が違う、という事実に驚かざるをえない。否、一時期の日本と同じというべきであろうか(苦笑)。テイン・セイン大統領体制は盤石そうに見えて、毎年の如く内閣改造を行い、政権安定を図っていたわけだ。——ほんらい強権であるはずの軍事政権でこの状況とは、ミャンマーという国を考えるうえで示唆に富む。

 もし、強権ゆえ頻繁な内閣改造が行われた、との解釈が成り立つならば、大臣級の人物をも競争させ、大統領の座を相対的に安定させる発想がテイン・セイン大統領にはあった、と思えるような状況である。

 軍事政権といえども上意下達ではない、決して一枚岩の体制ではない、と見るのが最も妥当であるように思われる。テイン・セイン大統領の政権運営手法には、国替により三百諸侯を弱体化させた徳川幕府に通じるものがある、とするのは穿ち過ぎだろうか。





■より強い権力の対価

 筆者が知る限りにおいて、ミャンマー要人の人格は高潔、発言の一つ一つに含蓄がある。また、上下の序列意識がきわめて明確で、上位の人物に下位の者は従わなければならない、という意識が強いように見受けられる。

 それでも、テイン・セイン大統領は中世的な政治手法を用いざるをえなかった。高潔な人物であろうとも、寄り集まった瞬間に我欲のぶつかり合いになる、ということなのか。高潔な人柄を軍隊序列の枠にはめこんでもなお、治め切れない難しさが、ミャンマーにはある、と筆者は見る。

 軍人なおもてその状況、いわんや庶民をや、というところ。しかもミャンマー国民は、NLD政権を選択した。軍事政権に対する庶民の不満がそれだけ蓄積されていたわけだが、そのストレスが綺麗に解放されるとは限らない。更に、憲法の制約から大統領になれないアウン・サン・スー・チーは国家顧問なる新設ポストに就くという。

 国家顧問とは、事実上ミャンマー国トップと見るべきであろう。そして、各種報道から読み解く限りにおいて、新国家顧問はすぐれて強権的な人物である。優秀な軍事官僚でもあったテイン・セイン大統領が難渋した政権運営に、如何なる政治的才覚を発揮しうるのだろうか。まして、民主化を標榜している以上、中間層の発言力増大は必至である。政治的なエントロピーは発散の一途をたどらざるをえない。

 新国家顧問の父、ミャンマー建国の父でもあるアウン・サン将軍でさえ暗殺された史実がある。より強い権力はより強い反感を買ってしまうのだ。カリスマ、政治的資質、力量の有無というよりもむしろ、新国家顧問が頑張れば頑張るほど、幾多の要人からの抵抗・反発を惹起して、国民の百家争鳴が雷同する状況が目に浮かんでならない。表題に掲げたとおり、ミャンマーの進む道のりはまだまだ険しい。





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