このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください





━━ 日暮里・舎人ライナー開業シリーズ そのⅢ ━━


扇大橋が架かるまで





■平成16(2004)年春の日中

 今を去ること 4年前、平成16(2004)年度が始まった時点では、日暮里・舎人ライナーの工事は至るところで未完成だった。当時既に「平成19年度中に開業予定」とうたわれてはいたものの、まったく現実感がないのが正直なところであった。インフラを構築して、走行路面や信号・饋電設備を整備、さらに試運転などを行う……残り 3年強で全部こなすのは無茶、工程が成り立つわけがない、というのが第三者的な感覚だった。

扇大橋
扇大橋全景


 扇大橋はこの時だいぶ仕上がっているかに見えた。しかし現実はといえば、難しい工事が山盛りてんこ盛りに残っていたのであった。

扇大橋
首都高を跨ぐ架設を控えて


 それは首都高交差部の桁架設である。日本の大動脈たる首都高を止める機会はきわめて限られる。夜間通行止めを行い、わずかな時間のうちに、日暮里・舎人ライナーの巨大な桁を押し出さなければならない。

扇大橋
同上(角度を変えて)


 その準備がようやく整おうとしていた。





■平成16(2006)年春の夜間作業

 作業の内容とは、こういうことだ。

 ほんらいは首都高直上に作業足場を設置し、日暮里・舎人ライナーの鉄桁を組み立てるのが理想だ。しかし、これでは首都高が常時通行止めになってしまい、採用できる案ではない。よって、先に完成させた扇大橋の上で鉄桁を組み立て、首都高夜間通行止めの間に押し出すのである。ただし、単に押し出すだけでは、鉄桁は自重を支えきれずに落ちざるをえない。そんな事態を防ぐため軽い架設桁を先端に取り付け、桁の重心が常に扇大橋上に残るよう工夫する。

扇大橋
夜間作業直前の夕景


 押出作業が始まった。重い鉄のかたまりが、ゆっくり、しかし確実に動いていく。20秒以上の長時間露光撮影の間に少しずつ動くから、あたかもブレた写真のように見える。

扇大橋
架設桁押出中


 河川敷の一角には公開用のテントが設けられており、筆者らを含む見学客が出入りしている。時折、作業に携わる企業の方々もやってきて、「進捗はどうだい?」「苦しいな。小一時間ほど遅れてる」なんて会話を交わしていたりする。見学客に聞こえるような声でこんなことを言うのは如何なものかと思うが、本当に大丈夫なのだろうか。





■明くる朝

 夜間作業見学時は長男(当時幼稚園年長)を連れていったので、あまり夜遅くまで見ることはできなかった。明くる朝、本当に架かったかどうか確かめるため行ってみる。

扇大橋
首都高を跨いだ架設桁


 ちゃんと架かっていた。架設桁先端がちょんと据わり、首都高を跨ぐ構造が確保されたのである。ただし、これでもまだ道半ばの段階であり、鉄桁本体をさらに押し出し、首都高を跨がせ、ジャッキダウンするという大作業が残っている。この時既に、次回夜間作業の予定がアナウンスされていたが、今回の作業より見た目の動きが少ないと思われたので、見学には行かなかった。

扇大橋
当時は荒川を跨ぐ桁がまだ据わっていなかった


 もう一箇所の未完成区間では、台船に乗せられた鉄桁が、天空に架けられる時を待っていた。





■平成17(2007)年初頭

 約一年が経ち、荒川河川敷内の架橋はすっかり完成していた。

扇大橋
扇大橋全景


 架設工事用の足場も撤去されており、外観がすっきりしている。残工事が全て終わり、重機と仮囲いがなくなれば、河川敷はもとの姿に還るわけだ。それにしても、鉄桁の持つ重量感がいよいよ増したような感じがするのは気のせいか。

扇大橋
首都高との交差部


 首都高との交差部も完成した。架設時の喧噪は、もはや微塵もない。

扇大橋
尾久橋通との交差部


 ところが、難工事区間はまだまだ残っているのである。尾久橋通との交差部がそれだ。高度があり、斜めに交差するため延長もあり、しかも曲線の桁を架けなければならない。本当にあと約 3年で完成させることなどできるのか?





■平成19(2007)年末

 できたのである。

 中途ではさまざまな努力と労苦が重ねられたのであろう。平成20(2008)年 3月30日、日暮里・舎人ライナーは開業する。「平成19年度中に開業予定」との約束は、わずか一日を余し、ギリギリの線で厳守される。

扇大橋
扇大橋全景


 これこそ荒川に架かる、希望の虹。ヘヴィ・メタル製の、にぶ色の虹。





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