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移動する人々〜〜プロスポーツ選手の本質





■野球選手の場合

 球界再編という大きな動きのなかでは見すごされがちだが、今年のプロ野球選手、とりわけパシフィック・リーグの選手たちはたいへんである。少なくとも、昨年と比べ「労働条件」は確実に悪化した。以下、北から順に球団の本拠地を並べてみよう。

   札幌(ファイターズ)
   仙台(ゴールデンイーグルス)
   所沢(ライオンズ)
   千葉(マリーンズ)
   神戸(ブルーウエーブ)
   福岡(ホークス)

 見事と形容したくなるほど全国各地に分散したものではある。例えばファイターズ戦とホークス戦が続くと、札幌から福岡までという、日本列島を縦断する大移動を強いられる場合もありえるわけだ。いくら頑健なプロ野球選手といえども、これはなかなかこたえることだろう。

 ちなみに、ホークスが福岡に移転するまでの各チーム本拠地は、

   所沢(ライオンズ)
   東京(ファイターズ)
   川崎(オリオンズ)
   藤井寺(バッファローズ)
   大阪(ホークス)
   西宮(ブレーブス)

 であったから、移動に関する負荷は格段に低かったといえる。例えばライオンズの選手がファイターズ戦・オリオンズ戦と続くとすると、ホーム・ビジターに関わらず自宅から「通勤」することが可能であったほどである。

 今年発足したばかりのゴールデンイーグルスが不振に喘いでいるのは、根本的には投手の質と量が揃っていないからであるが、別の観点としては、ベテラン選手中心にチームを構成していながら、彼らの多くが「単身赴任」を強いられている点も無視できないところだ。一度自宅に根を張った男が敢えて自宅から離れると、心身に相応のストレスが生じるものだ。いわゆるホームシックにかかった状態で、本領を発揮できるわけがない。まして関西から東北への大転身、遠く離れた異郷の地になじむまでには時間がかかるはずだ。

 ゴールデンイーグルスが強くなるための条件の一つとして、生え抜きの中心選手が多数本拠地付近に定住することを挙げたいが、どんなものだろうか。





■サッカー選手の場合

 サッカー選手、なかんずく日本代表チームの選手は、まさに世界を股にかけた大移動が日常の一部となっている。このたびのW杯予選はホーム・アンド・アウエー方式とされており、対戦国に必ず一度は行かなければならない。これにアジア杯を加えると、日本代表チームは以下の国々を訪れ、真剣勝負を繰り広げてきた。

   W杯一次予選:オマーン・インド・シンガポール
   アジア杯  :中国(重慶・済南・北京)
   W杯最終予選:イラン・バーレーン・タイ

 アジアは一つの地域として括られてはいるものの、東西がやたらと広く、気温・湿度等の気候条件が極端に異なる国々が多い。アジア杯の中国一国でさえ、省が違えば別世界だ。そのような国々を縦横しつつ、自国の名誉と栄光を背負ってプレーする選手たちは、過酷な人生を歩んでいるといわなければならない。

 時差があるほど長距離の移動であるから、航空機を頼ることになるが、音速に近い航空機でも何時間も要する旅程とあっては、心身にかかる負担は大きい。

 FW高原が罹患したいわゆるエコノミークラス症候群が、もし仮に彼の体質によるものであるならば、日本代表チーム選手としての活動は大きく制約されると考えなければなるまい。長距離移動に対する耐性を求められるほど、日本代表チーム選手に求められる資質は高いわけだが、そんな資質さえ求められる「職業」も珍しいのではないか。

 プロスポーツ選手の本質とは、「移動する人々」であるのかもしれない。





■サポーターの場合

 日本代表チームの行くところならば、世界のどこにでも駆けつける人たちがいる。このたびのW杯予選でいえば、例えばオマーンやバーレーンなど平常から太い交流があるとはいいがたい、いわば疎遠な国々であっても、数百人単位で応援に行くのだから、その行動力はたいしたものだ。

 特にこの北朝鮮戦では、FIFAの決定により第三国開催・無観客試合とされ、スタジアムでの観戦が不可能であったにもかかわらず、バンコクに馳せ参じた方々が少なからずいたことは、どのように理解すべきであろうか。ここまでくると、単なる奇特ではなく、一種の義侠心に満ちた、信念ある高貴な行動と受け止めるべきなのだろう。

 ただし、彼らサポーターの行動は、かなり特殊な領域にあることは確かであり、事前の予測にはなじみにくい。特にどれだけの数が観戦しに行くかを正確に読むことは、不可能に近いのではないか。詰まるところ、チケットの予約状況から逐次的に押さえていくしかなさそうで、まだまだ原始的な部分が残っているといえる。

 もし仮に、当初の予定どおり平壌での開催であれば、何人がスタジアムに駆けつけたのだろうか。たいへん興味深いところだ。なにしろ未だ国交が樹立されていない国への渡航であるから、まっすぐ行くことは難しい。そんな尋常ならざる障壁を、何人のサポーターが乗り越えていくものか、見てみたかった気もする。

 もっとも、そんなことがいえるのも、W杯本戦出場という結果をかちとった余裕があればこそではあるのだが。





■祝辞にかえて

 平成17(2005)年 6月 8日、タイのバンコクにおいて、日本代表チームは北朝鮮を 2-0で破り、W杯本戦出場を早々に決めた。

 まだホームでのイラン戦が残っているとはいえ、終わってみれば、実力が額面どおりに出た結果と評することが可能である。しかし選手たちにとっては、「結果」を出すための過程のなかで、長距離移動の苦痛と異郷(アウエー)での孤独に耐えながら、焦りや不安にとらわれたことも一再ならずあったのではなかろうか。実際のところ、一次予選初戦のオマーン戦以降、薄氷を踏むような展開ばかりが続いており、少しでも歯車が狂っていれば一次予選敗退すらありえたかもしれない。

 そのような苦しみのなかで、W杯出場という「結果」を獲得したことを、率直に喜び、かつ慶賀したい。

 ジーコ監督の采配に多くの疑問が伴うとはいえ(特に海外組−−より正確にいえば特定選手−−偏重はすぐにも改めるべきではないか)、選手たちはよく頑張った。予選全体を通してみると、攻撃では中村俊輔、守備では中澤の活躍が光った。

 そしてもう一人、プレーでは決して顕在化しないMVPとして、宮本恒靖主将を挙げておきたい。宮本主将の冷静かつ賢明な統率力は、チームメイト間の意志疎通をなめらかにした。また、そこで得られた「総意」を、穏やかで静かに、しかし強く確実に、しっかりと通し抜いた姿は日本的主将の理想像の一つといえよう。宮本主将なくば日本代表チームの今日はない、としても過言ではあるまい。



 日本代表チームの皆様、宮本主将、W杯出場おめでとうございます。本戦でのさらなる御活躍を期待するとともに、怪我や病気などないよう、つつがなき道中を祈念いたします。





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