このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
「踊り場」から人生を展望する〜〜ある登山道の修復
横綱千代の冨士が引退記者会見で絞り出した言葉は、今でも鮮明に記憶に残っている。感極まったのか何呼吸も置いてから、「気力・体力の限界!」と横綱は切り出した。語調はまるで壁に砲丸でもぶつけるかのように力強く、しかしその内容は弱気でさびしいもので、そのギャップの大きさに軽い衝撃を覚えたものだ。
今日、拙「以久科鉄道志学館」は開館五周年を迎えようとしている。そして、筆者自身はといえば、もうすぐ三十路を抜け出すところだ。数えでは既に前厄、名実ともに中年と呼ばれる年頃にさしかかっているわけだ。そう、筆者も気力・体力の衰えを自覚し始めている。老いを感じ始めた、といってもよい。
勿論、偉大な横綱と我が身を比べるなど、あまりにも僭越に過ぎるというものだ。筆者は上背こそ恵まれているものの、もともと体力が弱い。運動神経もよくなく、体育の成績は常に並以下。自転車で廃線跡めぐりを始めたというのも、周囲を気にせずマイペースで出来るからという、どちらかといえば易きに流れる発想だったりする。
その自転車でさえ、結婚した後はまったくやらなくなった。学生の頃から一万キロ以上も走りこんできたMTBは「第一種休車」状態が長らく続き、深く錆びつかせた果てに、放棄せざるをえなくなった。かわいそうなことをしたが、走らなくなったのだからしかたない。
いや、しかたないで済ませていたからこそ、衰えが進んだといえないか。忙しかった、家族優先……。あらゆることは、全て言い訳にすぎない。三十路の間、肉体を追いこんだことが一度でもあったろうか。
そんな思いがあったから、たまたま妻子がいない機会に、郊外のある山に登ってみた。衰えは、想像以上に進んでいた。登山口手前のアプローチ(自転車が行きかう程度の勾配である!)から既に、脈拍が上がり、汗がにじんできた。実に情けない体たらくである。
山道に入ってからは、一歩進むたびに衰えを実感せずにはいられなかった。特に階段部ではペースが落ちた。筋肉が落ちている一方、脂肪はたっぷりとついている。一段を刻むことの苦しさ。息はすっかり切れ、汗はしたたり落ち、頭が熱くなってきた。
それでも、かろうじて胸突き八丁の急坂を越え、なんとか登頂は出来た。といっても、さして標高がある山ではない。比高 500mを切る小山の登頂に成功したと誇ってみても、失笑を買うだけだろう。それでも、自分にとっては大きなことではある。なにしろ、その後筋肉痛が出なかったのは救いで、まだまだ肉体をいじめることが出来るとわかっただけでも収穫だった。
さて、この道中で気になったことが一つある。倒木が、ひどく多いのだ。数年前までは、倒木といえば幹の途中からへし折れているものが多かったと思うが、この山では根こそぎ倒れている木が多かった。木の成長に根の張り方(深さ・広さ)が追いついていないため、強風から受ける力に耐えかね、倒れたようである。
倒木のうち何本かは登山道を塞いでいた。路肩に生えていた木が倒れ、根っこが土砂を引きずり出し、登山道にぽっかりと大穴が開いた箇所もあった。登山道の修復は、一見、いい加減なように思えた。倒木はどかしていないし、穴も枝などで簡単に塞いだだけだ。多数のハイカーが通る道だというのに、まともな再整備を施せないほど、この山を抱える自治体は財政が逼迫しているのか、という発想がまず浮かんだ。
しかし、この発想が成立しないことはすぐわかった。この山はほぼ全域が原生林として保全されており、たとえ災害復旧であろうとも、人間が手を加えることは抑制されている様子なのである。
であるならば、至るところに倒木が見られる状況は、よほど深刻な事態ではあるまいか。人間が植林した山で倒木があれば、林業の衰退だとか、単一種類の木しか植えないことによる弊害だとか、そのような論拠で説明を加えやすい。ところが、この山は原生林なのだ。自然が自然のままに営んだ、多様で成熟しているはずの森林が、ばたばたと薙ぎ倒されている現実をどのように受け止めればいいものか。
話は変わるが、今年は戦後60年という節目の年だ。もっとも、節目とは思えないくらい、世の動きは冷たく静かである。日本という国は、日本人という集合体は、どこか気だるくなっているように思われてならない。
日本は戦後、ほとんど奇跡的な高度成長を果たしてきた。「おしん」に描かれたような質朴な生活様式は、昭和30年代後半頃を境にどんどん消え去り、遠い昔の記憶として残るのみとなった。田畑・山野は開発され、都市化が進み、生活様式は劇的な変化を遂げた。
ところが、日本人は高度成長の果実を素直に受け止めることが出来なかった。日本経済の最盛期はいわゆるバブル期になるはずだが、この時期に「幸せとはなにか?」「豊かさとはなにか?」という疑問がたびたび呈されたことは、今から顧みれば特筆に値するのではないか。頽廃的なくらい欲望と快楽を追求出来たというのに、その時代に生きた人々は幸せや豊かさを実感できていなかったのだ。
高度成長期の幸福感とは、おそらく、ぐいぐいと伸び続ける素朴な成長の喜びであったはずだ。スポーツ選手が伸び盛りの時期に感じる充実感にも似ている。だから、絶頂期の幸せを実感できないのは、当然といえば当然なのだ。そして、そんな単純で幼稚な幸福感は、バブルがはじけると同時にうたかたとして消え去った。
奇跡的な成長を続けるあまり、日本人は、いつか我が身が衰えるという自覚を持たずにきてしまったようだ。
今日の状況は、さらに切なくなった。飢えるほど貧しくなくとも、人生をかけるに足る希望や目標を見出せず、前向きに歩くことが難しい。なにごとにおいても中途半端、自己実現出来ないモヤモヤした気分とゆるやかな閉塞感に包まれているのが、今日の日本ではあるまいか。まだ老境とまではいえないまでも、更年期にさしかかったようなくすぶり、老いが目の前に見えてきた焦り……。
近年、天災や、企業の不祥事や、大小さまざまな事故が立て続けに起こっているのも、このような日本人の心理に呼応したものではあるまいか。今日はいわば「踊り場」の日々。歩けども歩けども、上には行けず、先も見えない。そんな苦しい道のりを、我々は耐えていかなければならない。一歩一歩、ただ歩くだけ。あるいは、いつか下り坂を転げ落ちることになろうとも、笑ってそれを受け容れることが出来るだろうか。
そんなこと、わかるわけがない。わからないからこそ人生だ。昔から人間は、先が見えない人生を歩んできたではないか。先人に出来て、自分らに出来ないはずがない。もがき苦しんだ涯に、いつの日か生を了え、魂が天に昇る時、自分の人生の意味がわかればそれでよい。……そこまで割り切らないと、人生の道のりは辿れないような気がする。そして、その割り切りこそが、成熟の智慧だと信じたい。
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先日の疲労困憊ぶりが我ながら情けなかったから、翌週もまた同じ道をたどってみた。意外なことに、今度は充分な余裕を持って登ることが出来た。所要時間はほんの数分しか縮められなかったものの、疲労感がまったく違う。息は切れても、肩で息をするほどではなかったし、膝がガクガクすることもなかった。
もうすぐ不惑になる歳回りであっても、まだまだ肉体をいじめることが出来るのだな、と実感した。そして改めて、今までの無為を恥ずかしく思った。やれば出来るものならば、やった方が楽しいに決まっている。今まではただ、労を厭い、疲れるのがいやで、逃げていただけなのだ。
根っこが宙に浮かんでいながらも、倒木の多くは未だ枯れてはいない。それどころか、若芽が吹いている木もあった。どのような状況になっても、生あるものは生きようとする。それがむなしい努力に終わったとしても、生あるものはいつか必ず死ぬのだから、運命として受け容れるしかあるまい。倒木の骸が苗床となり、若芽がいつか巨木へと育つ奇跡もあるかもしれないのだから、我が身をいじめながらも、生ある限り生きようとするのが、生あるものの務めであろう。
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登山道の修復に絡めて、強引に「公共交通の将来を考える」の一記事としたが、これは不惑の歳を迎えようとする筆者の、現時点での人生観を刻んだものである。
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