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悪しき「オーナー制」と鉄道経営





 連想ゲームとして考えてほしい。以下の鉄道会社に共通する要因はなんだろう。

   日本国有鉄道
   西武鉄道
   東急電鉄
   近畿日本鉄道
   阪急電鉄
   阪神電鉄
   南海電鉄
   西日本鉄道

 すぐわかると思うが、これらは全てプロ野球球団を保有していた鉄道である。「いた」と敢えて過去形にしているのは今日ではその多くが既に球団を手放しているからであり、平成17(2005)年シーズン時点で球団を保有し続けているのは、西武・阪神のわずか二社しかない。

 国鉄や東急になるとかなり昔の話になるとして(そもそも「東急フライヤーズ」が今のどの球団に連なるか知られているのだろうか)、阪急・南海両社が続けて球団を手放した時(昭和63(1988)年)の衝撃はかなり大きく、「鉄道会社のビジネスモデル終焉」とも形容されたものだ。

 筆者は当時、鉄道会社の経営はそれほど苦しいのか、という程度の感想しか持っていなかった。しかし今日では、そもそもプロ野球のビジネスモデルがおかしい、という確信を持つに至っている。

 近鉄・オリックス合併で揺れていた時期、近鉄の当事者からは、

「うちとしては出血を止めたい。40億円の赤字と言っているが、関連会社による(近鉄戦の)チケット購入や駅のポスターを無料でやっていることなどを含めると、50億円の赤字だ」(平成16年 6月15日付読売新聞記事)

 という発言があった。また、この記事では、

「年間の経費は約50億円で収入は30億円程度」

 という他球団幹部の発言も紹介されている。プロ野球球団の経営状況は基本的には公開されていないので、この数字をどこまで信頼していいのか、という部分はある。しかし、最近出た以下の記事については、ほぼ全面的に信頼できると考えていいだろう。

「調査会社などを使って調べると、1994−95年の時点で、セ・リーグは2球団が赤字で黒字は4球団、パ・リーグは全球団が赤字で、その平均は推計で22億円だった」
「昨年、ロッテ球団の赤字は37億 4千万円。近鉄球団は40億円の赤字を見逃せないということで、オリックスとの合併に至った」
  ※数字はローマ数字に改めている
(平成17年 6月27日付日本経済新聞「私の苦笑い」千葉ロッテマリーンズオーナー代行重光昭夫)

 オーナー代行という当事者中の当事者が、署名入りで書いた記事である以上、その内容には千鈞の重みがあると受け止めなければなるまい。

 この記事から読みとれるのは、プロ野球球団経営は、恒常的な赤字体質だということだ。「観客動員が増えず収入は頭打ちなのにもかかわらず、……今季年俸の平均は昨年から 8.3%増の3804万円で、1995年(約14%)以来の高い伸びとなった。1億円選手は、12人増の74人にのぼっ」(読売新聞・承前)ているならば、黒字の出しようがないだろう。収入が伸びず、支出が増えるばかりでは、経営は厳しくなるばかりである。



 ここに大きな問題が一つある。今までのプロ野球界は、何故このような赤字体質を許容してきたのだろうか。これについて確信を持てる材料はないが、親会社が広告・宣伝費の名目で赤字を補填してきた、というのが定説となっている。

 それが実際の広告・宣伝効果に見合う対価であるならば、なんら問題はない。しかし、既に名をなした鉄道会社にとっての広告・宣伝効果とは、いったいなんだろうか。松阪の速球にスピード感を見出すのか。赤星の敏捷さに高加減速運転のイメージを重ねるのか。……書いていて虚しくなるほどの無理筋である。

 親会社にとっての広告・宣伝効果とは、スポーツ報道を通じて、毎日社名がTV画面に流れ新聞紙面に載ることにある、といわれている。例えば楽天のように、一般的な知名度がまだ低い会社にとっては有効な手法かもしれない。しかしながら、西武や阪神のような大手私鉄にとって効果があるとは考えにくいところだ。それどころか、読売のようにマスメディアが自ら球団を持つ事例さえ存在する。

 つまり、広告・宣伝費は単なる名目にすぎない。プロ野球球団には「オーナー」という名の役職が存在している。球団は「オーナー」個人の所有物であり、有徳人「オーナー」の道楽(と敢えて記す)として球団は運営され、かつ親会社から支援されているといえる。

 親会社もまた、ワンマン社長が経営している状況にあるならば、この事態が許容されることもあるだろう。しかし、株式が公開された上場会社で、集団的に統治され、株主ほか社外からの意見(=ものの見方)も入りこんでくる会社で、この事態が許容され続けるとは考えにくい。

 鉄道会社にとっては、観客が試合に来る際に自社路線に乗車し、新規の現金収入が発生するという、極めて実利的なメリットがいちおうある。とはいえ、年間観客動員数×自社路線の利用率×一人一試合あたり支払う運賃を試算してみると、よほど高めの数字を入力しない限り、平均的な赤字を補填できるレベルにはとうてい届かない。一般論でいえば、赤字を補填してもなお余りある現金収入がなければ、球団経営を継続するインセンティブなど働くはずがないだろう。



 以上のように考えると、「鉄道会社のビジネスモデル終焉」は一面的な見方にすぎない。おそらく実相は「プロ野球の企業統治形態に鉄道会社がついていけなくなった」、もっと激しく記せば「プロ野球の企業統治形態が鉄道会社に見放された」のである。

 なにしろプロ野球界は「オーナー」が支配する世界であるから、自ら恃むところあまりにも強い観があり、「見放された」とは決して認めないだろう。しかし、近年の観客動員の低迷、TV視聴率の低下、昨年来の再編騒動に見られるとおり、経営基盤は急速に脆弱化しつつある。それを認め、企業統治形態を改めない限り、プロ野球の再興はありえないと考えるべきである。交流戦で観客動員が増えても、当面の対症療法にすぎない。もっと根本的な意識改革と、それに伴う体制改革が必要である。

 すぐ近くにJリーグという良い手本があるではないか。Jリーグでも出資会社が球団の赤字を補填する構造そのものは変わらない。ただし、その名目がまったく違う。「地域・社会への貢献」を銘打っているため、名の通った大会社も出資しやすい環境が整っている。ユース・ジュニアユースチームを持って若い世代の育成を義務化している点は、プロ野球界とは決定的に異なるところだ。広告・宣伝効果を得たい会社は、ユニフォームのロゴ等の広告を出す、という棲み分けもしっかり成立している。

 今までの歴史の積み重ねがあるから、プロ野球界が舵を切るのは簡単ではないかもしれない。しかし、現状はどう考えても「オーナー」制の弊害が目立つ。有徳人の道楽というよりもむしろお大尽の放蕩に近い世界で、個人の恣意が突出している観がある。かような品下がる「オーナー」に企業統治を説いたところで、まさに馬の耳に念仏というものか。

 老害と老醜を呈する「オーナー」は一人去ったが、もう一人がまた白々しくも復帰した。そんな「オーナー」が支配し続ける限り、プロ野球界は鉄道会社だけではなく、まともな会社全てから「見放される」ことに、いい加減そろそろ気づいてほしいものだ。





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