このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
超仮説〜〜日本人の真意
■日本史上最悪の時
現下の日本の政治状況は、日本の憲政史上最悪というよりもむしろ、日本全史を通じて最も危機的な状況と呼ぶべきかもしれない。現在に匹敵しうる危機といえば、元寇・幕末・太平洋戦争末期くらいではないか。要するに明確な「外敵」が存在する時期に似ているわけだ。ただし現下の危機は、外患よりも内憂の害が甚だしく、過去の危機とは質が些か異なるように見える。「第二の敗戦」なる表現を用いる論者もいるが、なまぬるいという以前に、的確さを欠くと筆者は思う。
危機を演じる主役は、政治である。しかも、特定個人の資質にほぼ集約できてしまう点に巨大な問題がある、といわざるをえない。特定個人の資質がこれほど問題になった時期はかつてないのではないか。日本はいつから独裁国家になったのか。
しかしながら、特定個人を批判することで、批判する側が自らを安全地帯に置くような行いに、筆者は与しない。もっと根深い「なにか」があるのではないか、と敢えて筆者は考えてみる。
現首相の資質に問題があることは、就任直後から明確だったと、筆者は観ている。勿論、異なる見解はありうるとしても、岡目から見る限りでは、宰相としての資質にすぐれた点をどうしても見出せない。そんな首相を、首相として仰ぎ続けたのが、最大の問題である。なぜ、首相を交代させないのか。
もっともらしい理屈があちこちから聞こえてくる。それがどうした、小賢しい、というのが筆者の直感である。現下の危機を危機として受け止めているならば、多少の批判などおかまいなしに突っ走る人物が何人か出てきてもおかしくない。そうなっていない現実は、政治家の層の薄さをよく象徴している。
詰まるところ、同じ穴の狢なのである。現首相は確かに、地位にしがみつくだけで出処進退をわきまえない有害な人物であるかもしれない。その一方、首相の座を襲おうという人物にも、その地位がほしいという欲が勝ち、政治的抱負も経綸も手薄だから、攻める力が弱いのだ。
アバウトで大雑把な要約になるが、以上が現状であると、筆者は観る。
■日本人は政治を避ける
しかしながら、と筆者は繰り返し書く。
特定個人を批判することで、批判する側が自らを安全地帯に置くような行いに、筆者は与しない。現首相の資質を指弾しても、新首相候補の弱腰を批判しても、得られるものはおそらくない。もっと根深い「なにか」があるのではないか、と敢えて筆者は考えてみる。
よくテレビの街頭インタビューで、「政治がおかしい」「政治家の資質に問題ある」と公言する方がいるが、よく言えたものだ、と筆者は思わざるをえない。語調からすれば、かような言を口にできる方は、自分の世界は此岸にあり、政治は彼岸にある、ととらえているかのようだ。日本国憲法は主権在民を明確にうたっているのを忘れたのか。日本国民ひとり一人に参政権が保障されているのを失念したか。八幡和郎氏の「国民が政治というものの主人でなく、消費者だと勘違いしている」(「本当は誰が一番? この国の首相たち」p249)という指摘は、現下の状況を極めて巧妙に表現しているではないか。
八幡氏を含む多くの論者が指摘しているように、現下の政治状況は日本人の投票行動に由来する。よって、日本人は現下の政治状況に責任を有している。日本人は一昨年の晩夏、政権交代を選択した。そして、(消極的ながらも)現政権のあり方を支持してさえいる。前述した倒閣運動の不調は、その状況証拠の一つである。
ほんとうに現首相を辞めさせるべきならば、倒閣運動どころか中東諸国のような反政府デモが頻発してもおかしくない。いったい日本のどこにそんなムーブメントがあるのか? 善悪良否理非はとりあえず措くとして、日本人は全体としては、現下の政治状況に責任を負うことを回避している。あるいは忌避に近いかもしれない。それがいまの日本の現実なのだ。
■超仮説:日本人の真意
日本人がそれぞれ参政権を行使した結果、現在がある。確証は示せないが、現下の政治状況、特に長年続きつつある「ねじれ国会」という状況から、日本人は全体として、以下のような意図を持って、現在の状況を敢えて望んでいる、と筆者には思える。
●日本人は全体として、
●東日本大震災のような未曾有の緊急事態に臨んでさえ、
●有効な諸策をなんら実行できないほど、
●政治が無為無策におちいる状況を望み期待している。
東日本大震災発生から、既に二ヶ月が経とうとしている。日本人が以上の意図を持っていなければ、無為な政権は打倒され、震災関連法案が早々に成立し、復興につながる次の手が打たれている段階にあるはずではないか。そうなっていない現状そのものが、以上の意図を持っている証拠にはなるまいか。
日本人は疾くに「政治」を見放しており、「政治」とは異なる世界で生きているつもりになっている。これは決して良いことではない。日本人ひとり一人が参政している時代は、遠からぬ昔にあったはずである。今日の日本人は「政治的引き籠もり」とでも形容すべき状態におちいっている。
それが日本人にあまねく広がる通弊で今後の日本を縛る病理となるのか、それとも政治不在でも自立・自律するムーブメントが既に生じているのか。見きわめにはいま少し時間を要するかもしれない。
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