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税二題





■消費税増税

 去る平成24(2012)年 6月26日、消費税増税法案が衆議院で可決された。これに民主党から何人が造反したとか、小沢一郎及びその一党が今後どう動くかとか、報道は喧しいが、はっきりいって本質から遠く離れた「見世物」にすぎない。消費税増税法案が賛成多数で可決されたという事実はあまりにも重く、その意味や意義を追求しようにも「見世物」に晦まされ流されてしまう。

 筆者の意見では、消費税という制度そのものには賛成、それも積極的賛成である。個人でなく法人に着目してみよう。消費税は取引額に比例するため、実質的には外形標準課税として機能する。利益が出なければ課税されない法人税とは異なり、社会的にはより公平な課税制度と筆者は見る。

 単純化した例を挙げよう。売上10億円で支出 9億円のA法人の場合、法人税は 1億円の利益に対し課税される。しかし、売上 100,000憶円で支出 100,001億円のB法人は赤字のため法人税は課税されない。……このように記せば、法人税の不公平さがわかるだろう。明らかにより多く社会に関与している法人Bが法人税を払わないのはおかしいではないか。

 以上より筆者は消費税という制度には賛成する。法人税廃止とのバーターで、さらなる税率アップを認めてもよい、とも思うほどだ。法人にとって消費税への対応策とは、顧客逸走を懸念しつつ価格転嫁するか、利幅を薄くする(≒内部留保を減らす)以外の選択肢はない。だから、消費税増税に強く反対する勢力は実は消費者でなく、より影響が切実な法人なのである。消費者目線に立った消費税報道は、この観点に立てば本質から甚だ遠く、法人の利害を隠蔽する偏向とも評せるほどだ。

 しかしながら、筆者は現時点での消費税増税には反対である。その理由は消費税の制度には実はあまり関係しない。



 今日の日本の国家財政はいびつ極まりない。年度予算のほぼ半分を国債発行に依存する状況を是と認めるのは無理だ。しかし、マクロでの金の動きを見ると、国債に依存せざるをえない状況があることもまた確かなのだ。日本の銀行での貯蓄残高(個人の将来資金と法人の内部留保に依存)は巨額で、しかも健全な投資先が少ない。数少ない健全投資先として、銀行は国債への依存を深めなければ、運用益を確保できないという苦しさがある。

 この状況で消費税増税すればどうなるか。税収が増え、国債発行額が減り、即ち貯蓄の健全な投資先が減る。国家財政が健全化に向かっても、銀行は困ってしまう。銀行の投資運用益が目減りするにとどまらず、消費者の消費性向が冷却されるはずだから、不景気がさらに深刻・重篤化する懸念もある。

 さらに困ったことに、消費税増税で税収が増えたところで(実は減る可能性もあるが)、福祉関連予算は毎年増える一方だから、国債発行高は簡単には減らない。「社会保障と税の一体改革」「国家財政健全化」とうたわれているが、ほとんど絵空事に等しい。

 「社会保障と税の一体改革」「国家財政健全化」の解はほんらい単純だ。社会福祉予算を大幅に抑制すれば良いだけのことだ。勿論、合意形成は厳しいが、単純かつ明確な解を導くことをせずに、消費税増税を先行させ、国債発行残高を積み増すばかりというのは、問題である。しかも問題を先送りすればするほど、より多くの年齢階層が高齢者層に達し、現状からの変革に反対を唱えるよう転向してしまう。要するに年を経れば経るほどモラルハザードが深刻化し、加速度的に制度を修復しにくくなるわけだ。

 社会福祉予算を減らす見通しがないなか、消費税増税の議論だけが先行する現状を是とできないため、筆者は「現時点での消費税増税には反対」するのである。



 誤解ないように記しておくが、筆者は社会福祉予算の増額そのものにはニュートラルな立場をとる。社会福祉予算が増えても、その予算が社会を循環するならば、好景気を誘うから寧ろ「良し」とすべきである。ところが、現状は明らかに不景気である。即ち、増加しつつある社会福祉予算は社会を循環せず、どこかに滞留していることになる。

 使途のあてがない預金に落ち着くならば、社会福祉予算を増額する意義はないと考えるため、筆者は社会福祉予算を抑制すべきと主張するのである。





■交通取締

 税の二題目は、交通に関わる話題を記そう。

 昨年末あたりから警察による交通取締が厳しくなった、と感じているのは独り筆者のみではあるまい。しかも警官の目つきが異様に険しい。まさしく爛々とする眼光であって、なんらかの強固な、組織的目的意識のもとで取り組んでいると理解せざるをえない。

 尾久橋通では熊野前立体交差北行合流部にほぼ毎日、警官が立っている。ここは、側道からの合流部に一時停止が設定されている。同様の合流部は通常一時停止なく合流できるから、思いこみで一時停止違反を犯しがちで、警官の交通取締に引っ掛かるドライバーは多数にのぼる。

 この上記一時停止違反取締も質がいいとはいえないが、以下の車線変更禁止違反取締は一層倍悪質である。

車線変更禁止違反取締
車線変更禁止違反取締概念図


 車線変更禁止取締違反は主に立体交差点合流部で行われる。立体交差の勾配区間が車線変更禁止であれば、ここで違反を犯すドライバーは一定の割合で存在する。問題は、取締において違反車は警官に抑止され、本線右側車線から測道合流部(上図◎)に誘導される点にある。この誘導の過程で本線左側車線は滞るわけで、渋滞に焦れた後続車が車線変更禁止違反を犯す、というサイクルが繰り返される。車線変更禁止違反取締は違反を再生産させるという意味において極めて悪質、と指弾せざるをえない。

 このほか、至るところで警官が「爛々と」した目を光らせるようになった。交通違反があればすぐ摘発するぞという構えで、なんとも鬱陶しい。そして、交通取締に挙げられるドライバーは、(データでなく感覚的な印象になるが)以前よりだいぶ増えたのではないか。

 筆者は長年運転を続けるなかで、何度か交通取締に引っ掛かって煮え湯を飲み、「警察の手口」が見えてきたから、近年では違反をとられることはなくなった。その観点から、今日の警察の交通取締姿勢についておおいに異議がある。これら交通取締が必要かといえば正当性を主張するのは困難で、単に摘発しやすいから張りこんでいるだけではないか、と疑いたくなる。

 敢えて激越な文言で指弾したい。

 警察の交通取締は徴税の一種にすぎない!
 恣意的な徴税に等しい交通取締は即時停止すべき!

 これ以上言葉を費やす必要はあるまい。実害の乏しい交通違反を挙げ、反則金を徴する手法は、恣意的な徴税とほぼ同義である。多くの警官に目を爛々とさせるほどの強い組織的意志を以て、厳しい交通取締に臨む警察の姿勢には、反感と嫌悪感を覚えざるをえない。国家とは別に警察が徴税しているのだから、国家の建前としてもおかしい。しかも、それを監査しうる者が誰もいないのだからおそろしい。



 現実世界でも増税、道路を走っても恣意的徴税。日本はいやな国になった。





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