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「防災の日」に思う





■まえがき

 猛烈な残暑はまだまだ続いている。とはいえ、暦のうえでは 9月に入ってから一週間が経ってしまった。即ち、関東大震災を機に定められた「防災の日」からも日を置いたことになる。そして、東日本大震災からも日数は遠ざかっていく。

 ただいま筆者の時間を割いているのは、ひょんな縁から取り組んでいる「防災・減災」のこと。だから言い訳を並べたところで意味ないのだが、敢えて時機遅れを承知のうえで、「防災の日」念頭に浮かんだことを記しておこう。





■兵庫県佐用水害


■朝日新聞平成24(2012)年 8月10日付記事(全文引用)

豪雨から3年 佐用で追悼式

 兵庫県佐用町で、18人が死亡、 2人が行方不明になった豪雨災害は、 9日で発生から 3年を迎えた。町主催の追悼式には遺族40人を含む約 330人が出席。祭壇に献花した。庵逧(あんさこ)典章町長は「同じような被害が二度と起こらないよう災害に強いまちをつくっていく」と決意を示した。
 家族 3人が犠牲になり、行方不明になった孫の文太君(当時 9)を探し続けてきた小林武さん(71)も出席。 「3年たっても悔しさは変わらない」と語った。
 災害を巡っては、遺族計 9人が「避難勧告が遅れた」として、佐用町に約 3憶 1千万円の損害賠償を求める訴訟を起こしている。



 平成21(2009)年の兵庫県佐用水害からも 3年以上の月日が経ってしまった。この水害では、避難中の家族が遭難するなど複数の児童・若い女性が亡くなっており、災害報道に痛ましさが伴った。

 災害報道での常套手段は、被災者にインタビューして「こんな災害は生まれて初めて」と言わせる手法である。佐用水害においてもこの手法が用いられたと筆者は記憶している(放送局・番組名は失念)。この手法は、被災状況をなまなましく伝達するためには有効と信じられているのだろう。まさしく常套手段として濫用され続けている気配がある。

 しかし、筆者はこの手法を嫌悪する。本質を晦ますという意味において、おおいに質の悪い問題を含有していると確信しているからである。

  3家族の 9名が亡くなった本郷地区の状況を見てみよう。国土地理院2.5万分の1地形図を一瞥すれば、たとえよそ者であろうとも、水害の蓋然性が明確に認められるのである。まずは以下に示す地形図(国土地理院HPのハードコピー)を見てほしい。この地形図に表示されているのは、東西 5km弱、南北 2km弱というごく狭い範囲である。

国土地理院地形図(佐用付近)


 この地形図には重要情報が示されている。もっとも、西日本ではその存在がありふれているため、気に留めない方も多いかもしれない。溜池が 9箇所もあるという事実こそが、この付近の地形・地質そして気候に関する重要情報である。端的にいえば、

  ●降雨量はそれなりにあっても
  ●地形ないし地質的な要因により保水力がなく
  ●降雨がすぐに川に流れてしまう

 がゆえに、溜池がつくられ、利水の用に供された経緯と歴史がこの地にはある。即ち、大雨が降れば大量の雨が短時間のうちに河川に集中し、洪水・溢水が起こりやすい地形・地質的要因が地形図に凝縮表示されているのである。

 勿論、狭い範囲に集中豪雨が発生するという現象は、社会的には頻発していても、個人にとっては稀少な経験ではある。だから「こんな災害は生まれて初めて」と素朴な感慨を持つことは、当然すぎるほど当然と評することが可能である。

 ここで批判されるべきなのは、素朴な感想を発する個人ではなく、個人の素朴な感想を垂れ流す報道各社(特にテレビ)である。わかりやすさを優先するあまり、本質を晦ます弊害は甚大である。ほんらいこの水害は、「集中豪雨があれば発生しうる」と予見されていなければならなかった。

 佐用水害に関しては、行政の治水対策に問題があった可能性はある。しかし、もし仮に、住民が自分たちの住む土地の特性に関する、特に集中豪雨に対して「難治の川」であるという知識を持ってさえいれば(※)、早期避難が可能だったのではないか。

※降った雨は重力に従い流れていくしかない。率直にいって、根本的対策は広範囲に渡る貯水しかなく、効率的な実施は困難であり、有効な対策は事実上存在しないと思われる。その意味において、町長の発言は不誠実である。

 急場において「行政の治水対策が悪い」「行政の避難勧告が遅すぎる」と責めたところで始まらない。事後においてこそ損害賠償訴訟は必要な手続であっても、三年前当時最も切羽詰まった局面では、各人がそれぞれ個別の判断で切り抜けていくしかなかったはずだ。災害発生時には、自ら助く者のみが助かると考えなければなるまい。





■東日本大震災の津波被害(於女川)

 限られた専門家・技術者以外には知られていないと思われるが、海の波の速度は以下の単純な公式で近似できる。

  波の速度
    V:波の速度 (m/sec)
    g:重力加速度(m/sec^2)
    h:水深   (m)


 この公式から、どのような情報を導き出すことができるだろうか。

 平成23(2011)年 3月11日の15時直前、女川町市街地において大きな地震に見舞われたある方(筆者の母校の先輩でもある。以下「先輩」と呼ぶ)は、「停電した以上は大地震だ。間もなく大津波がやってくるはずだ!」と直感し、津波の到達時間を計算した。先輩は以下の発想順で津波到達時間を試算したという。

  ●大地震ゆえ震源は海溝付近であろう
  ●よって震源から女川までの距離は高々 150km程度であろう
  ●簡単のため重力加速度は10m/sec^2で近似
  ●水深は平均的には約 1,000m程度であろう
  ●よって波の速度は V=(10×1000)^0.5=100m/sec程度であろう
  ●よって津波の到達時間は 150(km)÷100(m/sec)=1500sec=25分程度であろう

 先輩は、津波到達まで残された時間は25分程度と実に的確に、しかも瞬間的に予測し、その場にいた全員に「即時高台まで避難!」と号令し、かつ行動したという。結果として、先輩の周囲にいた全員が津波の大災厄から逃れることができた。もっとも、被災場所から高台までの移動距離を考えると、逡巡していれば逃げ遅れた可能性が大きかった、と先輩は語っている。

 この件にはもう一点重要な教訓がある。先輩が高台に避難してから市街地を見渡すと、二階建屋の屋上に避難している方々が散見されたという。この方々はおそらく既往の津波被害から類推し、屋上避難で充分だと考えたのではないか、と先輩は分析している。その結末が無惨きわまりなかったことは、よく知られているところだ。凶暴なる津波が引いた後、二階建屋の屋上には誰の姿もなかったという。





■知識は身を助ける

 地形図から災害の危険性を読みとることも、波の速度公式を知っておくことも、専門家ならぬ一般人には難しい、という反論がありうることは承知している。また、普通の人にとって、個人的経験を上回る事態を想像することじたいがそもそも難しい、とも承知している。しかしながら、充分な知識さえあれば、万一の極端な大災難を逃れることが可能であると、上記二例は如実に示している。

 人間にはまだ未知の領域が多く残されているという現実もある。「無知の知」なる言葉はまさにその典型だ。とはいえ、自らの無知を開き直ったところで、急場には誰も救ってくれはしない。究極の自己防衛手段とは、災害などの危機に直面した時、どのように対処するかを自ら予め考えておくことではないか、と筆者は考えている。





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参考文献

  HP 『国土地理院』 より
(01) 「佐用」付近 (ウオッちず/2万5千分の1地形図)

  HP 『東京大学大学院情報学環・学際情報学府』 より
(02) 「2009年8月9日豪雨災害(兵庫県佐用水害)における住民の対応に関する調査研究」 (田中淳ほか共著)

  HP 『防災システム研究所ホームページ』 より
(03) 「兵庫県佐用町水害/2週間後の現地写真リポート」 (山村武彦)

  HP 『内閣府・防災情報のページ』 より
(04) 「2009年8月9日兵庫県佐用町を中心とした豪雨災害」 (牛山素行)





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