このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください





地形図に刻まれた災害の兆し





■京急事故

 平成24(2012)年 9月24日深夜、京浜急行追浜−京急田浦間のトンネル入口(品川側)付近で斜面が崩落した。その現場に下り特急列車が進入し、土砂に乗り上げ脱線、事故となった。運行再開は 9月27日朝であり、復旧にてこずったことが理解できる。また、まる二日以上の運休ということで、代替輸送も混乱した様子。筆者の私的経験でも、 9月25日に乗車した横須賀線列車が常になく大混雑で、面食らった覚えがある。

 かように社会的影響が大きかった事故であるが、予見可能であったのか。新聞報道等では、健全度判定区分が比較的良い箇所での事故という事実が問題視されている。

 筆者自身も興味を感じたので、簡易な分析を試みてみた。ただし、現地調査をまったく省いているので、正確さに欠けている点は予め御承知おき願いたい。





■事故現場の地形

 まずは事故現場の国土地理院2.5万分の1地形図を見てみよう。赤矢印で表記した箇所が事故現場、詰まり斜面崩落の現場である。

国土地理院地形図(横須賀付近)


 等高線が如何にも怪しい。ただし、地形図左上の宅地開発によって、地形が大幅に改変されている可能性がある。そのため、空中写真により情報を補強してみる。上の地形図とほぼ同じ範囲の空中写真(米軍撮影)を比較してみよう。

国土地理院空中写真閲覧


 空中写真の情報でほぼ確定である。京急やや西側の斜面には木が少なく、畑などの用途で開墾されている様子だ。即ち、この斜面では自然の水利を得やすいと考えられる。この一事から、地形図の標高76.4m三角点付近から京急−国道間の尾根に渡る標高50m等高線の弧は、かなり高い確度で大規模地すべりの痕跡(地すべり頭頂部)であると指摘できる。

 ただし、この地すべりの発生時期はかなり古い。地すべり下流に必ず生じる崩落土砂の堆積が見られないこと、京急沿いにもう一段深い谷が形成されていることから、自然侵食及び人間の開発・開墾圧力により、地すべりの痕跡は大部分が削除されている。おそらく、この地すべりの発生時期は鎌倉幕府成立以前までさかのぼるのではないか。

 地すべりの跡とわかっていれば、災害を予見するのは難しくない。トンネル入口付近は葫芦谷と化しているから、更に危ない。そもそも、線路を他の場所に敷く選択もありえたはずだ。もっとも、この区間が開業した昭和 5(1930)年当時には、ここが地すべり地形だという認識はなかったのだろう。それどころか、人間が知りうる限りでの歴史のなかでたまたま災害履歴がなかったことから、事故発生直前まで認識はなかったと思われる。

 災害の痕跡・兆しが刻まれた地形に対する認識のなさは、大勢が無神経・無感覚であるだけに批判しにくい。ただし、逆説的に、京急のみならず日本社会全体が、地形にひそむ災害の痕跡・兆しに無頓着であり、むしろそれらからの受益を期待していた、と指摘することには意味があるだろう。日本社会のインフラストラクチャーは、無数の災害予兆の上に成り立っている。その認識を持って、可能な限りの危険排除に取り組むべきであろう。





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参考文献

  HP 『国土地理院』 より
(01) 「横須賀」付近 (ウオッちず/2万5千分の1地形図)
(02) USA-M53-A-7-27:昭和21年 2月22日撮影 (国土変遷アーカイブ/空中写真閲覧)





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