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需給調整規制撤廃後の最も悪い典型例





■日本経済新聞平成17(2005)年10月13日付記事より

 スカイマークエアラインズは来春、羽田−新千歳線に参入することを決めたと十二日発表した。運賃は北海道国際航空(エア・ドゥ、札幌市)より大幅に安くする方針で、大手を交えた値下げ競争の激化は確実。格安運賃が売り物のエア・ドゥにも痛手となり、今春に民事再生手続きを完了したばかりの同社は経営戦略の練り直しを迫られる可能性もある。
 スカイマークによると、一日往復十−十一便の羽田−新千歳線への新規就航を十一月末までに国土交通省に申請する。片道普通運賃は一万八千円程度にするとしており、エア・ドゥの二万三千四百円を二割程度下回る。……
 (後略)



■需給調整規制撤廃時の議論と実際

 需給調整規制を撤廃するか否かが議論された際、規制撤廃反対の立場からは、規制撤廃により以下のような弊害が発生すると指摘された。

  1)不採算路線からの撤退が相次ぎ、特に地方部での「住民の足」が奪われる。
  2)新規参入は採算路線のみに集中し、既存事業者の経営を圧迫する。

 この両者には、実は共通項がある。多くの交通事業者は、採算路線での収益を内部補助する格好で不採算路線を維持しているからだ。需要が少ない不採算路線をどのように維持するかは、交通事業の永遠の課題であろう。

 勿論どのような制度にも有利・不利はあり、保護行政(需給調整規制)の下でサービス水準を低位安定させるよりむしろ、交通事業者の新規参入を促し、利用者の便益にかなう新しいサービス提供と、既存事業者との切磋琢磨に期待する、ということが当時の趨勢であったといえる。

 実際に需給調整規制を撤廃してみた結果はといえば、事前に懸念されたとおり、不採算路線からの撤退はバス・鉄道を中心に相次いでいる。しかしながら、これら不採算路線の経営を私企業にゆだね続けるのは無理がある、という認識は幅広く共有されていた。そのため、特にバス路線では公的代替措置が採られる事例が多く、費用負担が重い鉄道でさえ、万葉線・えちぜん鉄道・北勢線などの事例が見られている。

 もう一方の、採算路線での新規参入の典型例はあるか。鉄道では、名古屋鉄道がこれに近い。豊橋−名古屋−岐阜間では、分割民営化後のJR東海が新車投入や速度向上などに力を入れ、名古屋鉄道の利用者を蚕食し続けている。JR東海の経営基盤は東海道新幹線に依存する体質でありながら、名古屋都市圏の在来線にも相当な経営資源を投入している。片や名古屋鉄道は、豊橋−名古屋−岐阜間が最大の幹線区間であり、ここでの競合に劣後することは会社全体の経営に大きな影響を与える。近年になって、名古屋鉄道がローカル路線を廃止しているのは、幹の空洞化が進んだため枝葉が切られた、と文学的に形容することもできる。

 微妙な均衡を保っているのはタクシー業界で、経営環境が厳しいというのに、相対的には採算をとりうる大都市圏への新規参入、あるいは増車が続いており、明らかに供給過剰となっている。このままでは、既存事業者の経営を圧迫するどころか、生物学的飽和状態まで進む可能性さえ指摘できる。即ち「誰もがひもじいけれど餓死しない程度」という、一種の極限的状況である。



■スカイマークの罪深さ

 以上の二例は、問題の程度がさほど深刻とはいえず、社会的にもいちおう許容範囲内と考えられる。これに対し、このたびのスカイマークの転向は、教科書どおりの問題事例であって、決して許容されるべきではない。

 スカイマークのやろうとしていることは、デュエル系カードゲームでの「下位カードを犠牲にして上位カードを召喚する」行為そのものであろう。この種のカードゲームが筆者の価値観に合わない点はとりあえず措くとして、仮想現実のゲーム中ではカードは決して言葉を発しない一方、現実世界ではカードならぬプレイヤーが主役であり、意志を持って行動する点がきわめて重要である。上位カードを召喚するため犠牲になる(捨てられる)からといって、「はいそうですか」と素直に受け容れる者などいるまい。特に鹿児島では沸騰するのではないだろうか。

 需給調整規制撤廃後の悪しき先例をつくらぬために、スカイマークの転向は決して許容すべきではない。方策はさほど難しくない。現在のスカイマークに割り当てられた発着枠は地方便が対象であり、幹線区間への参入が前提されたものではない、と運用すればよいだけである。新規参入キャリアへの発着枠優遇が一種の恣意的措置であるならば、逆方向の恣意的措置があっても決しておかしくあるまい。

 ただし、筆者の根拠なき直感にすぎないが、スカイマークの転向は認められてしまうと予感している。それは需給調整規制撤廃の建前を貫くためではなく、別のある意図のためであろうとも読んでいる。この直感をトレースするためには、おそらくあと数年は要する。今はただ、今後の推移に注目するのみである。





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