このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 

 

東京モーターショー雑感

 

 

 

■今年の報告

 東京モーターショーに行ってきた。……自分ひとりでこども二人(6歳&2歳)連れというきわめて無謀な展開で。予想どおりながら、ストレスがたまる展開になった。写真はなんとか撮れても、こどもらが動き回っているから説明を聞けない。ようやくIMTS展示でパンフレットを求めてみたが、「総合パンフレットをどうぞ」と言われて落胆した。総合パンフレットに載っている程度の情報であればいくらでも調べようがあるし、なによりも 1,200円という値段が許容範囲外だ。

 
 トヨタIMTSの(未確認だがおそらく)実車。右上の液晶画面からだけでも充分に現実感は持てたが、やはり実際に動いているところを見てみたいもの。「愛・地球博」に期待。

 
 御存知クセニッツ。車体よりも人間の方が大きい感じがするほどコンパクト。車内もロングシートで簡素、しかし実用的な設計だ。この写真を撮った時はまだ入場早々で、画面に人物が入ってもしかたないと割り切っていた。今から考えると、いま少し人並みが切れるのを待ってもよかった。特に外観写真の左側に見える手が余計。

 もう一点ストレスがたまった原因としては、家族連れが多かったこと。いくら最終日の日曜日とはいえ、商用車部門でこうも混むとは思っていなかった。IMTSでも前面とロゴを入れた写真を撮ろうと思ったら、実に 5分も粘らなければならなかった。日産シビリアンでさえ(といっては失礼だが)、幼稚園バス仕様だったので肝心な部分を家族連れが塞ぎ、同じく 5分待ちという展開になったのである。

 
 日産シビリアンの幼稚園バス仕様車。平凡といえば平凡、街のどこでも見かける車両だが、DMVのベース車ということで撮ってみた。ちなみに、この仕様で 560万円強、標準仕様車では 400万円台、福祉仕様車でも 1,000万円を切る価格で提供されているとの由、DMVは普通の鉄道車両と比べればはるかに安価とはいえ、まだまだ高いしろものだ。

 

■民の欲に順う

 昨年の乗用車ショーと見比べてつくづく思うのだが、自動車業界はこの種の仕掛が実に巧い。このモーターショーには、以下の諸要素が凝縮されていると感じる。

  1)未来のビジョンやコンセプトの提示
  2)商談の場の提供
  3)多くの人を楽しませる雰囲気づくり

 このなかで重要なのは2)で、特に部品メーカーなどは、商談への発展を明確に意識した出展を行っている。新たなビジネス・チャンスの創造というのは大袈裟としても、視点の異なる多くの人々の目に触れて、アイディアが飛躍することはおおいにありうる。要は、企業にとっても大きな魅力と期待を持てる場といえる。

 
 これは昨年度モーターショー(乗用車部門)に部品メーカーのアラコが出展したケナフ製の車体。勿論、実用性などほとんどないに等しいが、ケナフを素材として車体すら加工できるという技術力の宣伝はきわめて重要である。環境への配慮にとりくむ企業が触手を伸ばすことも充分にありえるのだから。

 1)も商用車においては重要で、福祉バリアフリー対応から、車椅子での来訪者がかなり多かった。これら来訪者を満足させられればその展示は評価を上げるだろうし、逆の展開も当然ありうる。かように厳しい「批評の場」ととらえることも可能である。

 
 同じく昨年度モーターショー(乗用車部門)で撮った写真。サイズ圧縮のためロゴ等を外したが、これはダイハツの「ミラ・セルフマテック」で、車椅子のまま乗車(降車)できるというコンセプトを掲げて展示された。

 3)とて軽んじることはできない。綺麗な女性を鑑賞したい欲望は、男性に古今東西から脈々とつながるものである。家族連れの目からみても、老若男女を楽しませる仕掛が随所にあり、飽きさせない。

 
 これも昨年度モーターショー(乗用車部門)で撮った写真。メーカー名はあいにく失念した。女性が搭乗したミニカーが独楽鼠のように走り回るという演目で、何百もの視線がステージ上に注がれる景色には、そら恐ろしく鳥肌が立つほどのおぞましさを感じたものだった。「民の欲」とは、おそらく概ねそういうものであろう。しかし、それに順わなければ、世の中は動かないのである。

 そう。モーターショーとは1)〜3)を包含する、つまり「民の欲に順う」催事といえるのだ。だからこそ、世を巻きこむほどの人気があるのではないか。

 なぜこんな分析をするかというと、わが鉄道業界の閉じた感覚を憂えるからだ。例えば車両基地公開イベントに参加してみればわかる。「日頃は入れない場所」の紹介と、販売促進の要素しかない。少数の家族連れと、それとほぼ同数の趣味者しかやってこない場になっている。上記2)のような、企業活動にとって魅力ある場からはほど遠いのが現状だ。モーターショーなみとまではいわないにせよ、「民の欲に順う」催事を構築できなければ、ますます閉塞していくのではないかと、危惧されてならない。

 
 「埼玉県民の日」にちなんで開催された埼玉高速鉄道車両基地公開行事にて(平成15(2003)年)。制服姿も凛々しいスタッフと記念撮影という微笑ましい光景であるが、行事として東京モーターショーと比べると、素朴にすぎる感がないでもない。さらにいえば、当日の入場者数は約1800名と報じられており、知名度が低い第3セクター鉄道の単独開催だったとはいえ、動員力という点でもモーターショーとは懸絶している。

 

■幕張海岸にて

 とはいえ、モーターショーとて「全ての民の欲に順う」ものではない。

 先に自分にとってストレスのたまる展開と記したが、こどもらにとっては実はそれ以上で、私が足を止めて撮影機会をうかがっているものだから、すっかり飽きて退屈そうな顔になってきた。

 そこで幕張海岸まで足を運んでみた。こどもらの顔が輝くこと輝くこと。沈みゆく夕陽が綺麗だったこともあり、波打ち際で砂遊びに興じていた。波と砂と貝殻しかない場所で小一時間楽しめるのだから、人間の感覚とは面白いものだ。こどもらが歓声を上げているすぐそばで、ひしと抱き合うカップルがいたりする。砂浜にはそういう雰囲気がある、ということか。

 勿論、幕張海岸は人工的な地形であり、またそこにいる人数はモーターショー会場内と比べ三桁違いに少ない。それでも、音響が渦巻き照明が踊る会場内よりも、波の音と夕陽にあわく彩られた砂浜の方が落ち着くこともまた確かであり、そういう感覚を共有できる人数が近くにいたことに、妙に親しみを覚えたのだった。

 

 

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