このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください





相互直通運転には再評価が必要か?





■副都心線に乗車して

 先日、たいへん遅れ馳せながら、メトロ副都心線に乗車する機会があった。平日夕方のラッシュ時にかかる時間帯だというのに、空いている列車が多く驚いた。特に各駅停車はむしろ「閑散」と呼ぶべき状況で、渋谷−新宿三丁目間はもとより、新宿三丁目−池袋間でも立客がちらほらとしかいなかった。

 池袋から先はどっと混む、という状況になるならば、少なくとも旧有楽町線区間は従前どおりということはできるだろう。しかしながら、副都心線ホームが有楽町線ホームから離れた場所に立地しているせいか、池袋以西に向かう利用者の数も際立って多いとはいえないのが実態であった。

 新宿側に戻りながら、雑司ヶ谷と西早稲田で降車してみた。率直にいって、ローカルな駅だという印象を持たざるをえなかった。既存のまちなみの中にまるで孤島のような駅が浮かんでおり、バスなどへの乗換という最小限の拠点性すら有していない。勿論これは、副都心線のみに見られる特徴ではない。有楽町線池袋−市ヶ谷間各駅も似たような状況にあるし、南北線に至っては大部分の駅がローカルな存在といえる。

 いうまでもなく、副都心線は沿線に新宿と渋谷を擁している。これらの拠点性が全線を覆えばまた違う姿も見えてこようが、新宿三丁目の立地が偏しすぎているきらいがあるし、東武東上線沿線住民に渋谷志向は薄いから、現時点ではどうしてもローカル性が目立ってくる。





■評価の軸足

 副都心線に関しては、TAKA様が継続的に記事を提供している( 初稿第二稿第三稿 )ため、筆者が敢えて屋上屋を重ねるのは如何なものかという思いがまずある。

 さらにいえば、相互直通運転のみならず、鉄道の評価を短期間で行うのは難しい。総武快速地下線がその最も典型的な例であり、昭和47(1972)年の開業当初はともかく、昭和51(1976)年の品川延伸は意義が見えにくかった。昭和55(1980)年の横須賀線との相互直通運転開始時点では、さまざまな断面から、高い評価を得たとはいえなかった。しかし、今日の状況において、総武快速線の東京乗入・横須賀線との相互直通運転を失敗と評する者はいないだろう。現実の利用者の行動を見ても、品川駅付近の再開発に連動する格好で、 千葉県内←→品川という流れも太くなりつつある

 以上のように、鉄道プロジェクトを評価するにあたっては、長い目で見ることが必要である。副都心線においても、近い将来大化けに化ける可能性だってあるのだ。とはいえ、かような将来発展の可能性を踏まえてもなお、相互直通運転は過大評価されすぎているのではないか、と筆者は考え始めている。

 理由は単純である。メトロの前身は帝都高速度交通営団、この「高速度」とは路面電車に対しての相対的な高速性であって、メトロのネットワークは基本的に都電路線網の機能代替にすぎないからである。郊外型の高速鉄道と山手線内ローカルな路面電車(参考までにいえば都電路線網は旧都心に対する郊外を結ぶ路線・系統が大部分を占めている)とを、単純につなげうまくいくのだろうか(副都心線はトロリーバス路線代替という都営地下鉄を含めても唯一の経緯を踏まえている点には留意すべきだろう)。うまくいく事例があるとしても、必ずしもそうはいかない事例がありうることは念頭に置くべきだろう。

 総武快速線や湘南新宿ラインが成功したのは、郊外型の高速鉄道がそのままの形で都心に乗り入れてきたからである。日比谷線が成功したのは、東武伊勢崎線の都心アクセスを劇的に改善し、同線沿線の宅地開発を促したからである。

 否、いま何気なく「東武伊勢崎線沿線の宅地開発を促したから成功」と書いてみたものの、こういう観点で評価し、成功・失敗と評することからして、正しいといえるかどうか。思考を一旦初期化・中立化して、都市鉄道の辿ってきた道筋を見直してもいいのではないか。それは、戦後あるいは二十世紀の日本社会の再評価につながるのではあるまいか。

 今のところ断定するほどの勇気はないが、筆者は近頃小さな疑問を重ねつつある。これは年をとってきたせいか(苦笑)。いずれにせよ、単に最新の事象を追うだけではなく、自分なりに考えを深めた記事を提供したいと思う、平成20(2008)年の年の瀬である。





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