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三陸鉄道ヲ復旧セヨ





■復旧するための手段

 リンク先の さいたま先生 から、以下のお題を頂戴した。


 三陸鉄道の高架橋が流されてしまった区間、高架橋の根っこが残っているなら、それを土台に直上高架の鉄骨組んでレールを前進させるというのはどうでしょう。列車が走ってる音をさせれば、被災地の人たちの励みになりますよ。どうでしょう和寒サン?

例示写真
さいたま先生の例示写真



 端的にいって、単純に「復旧」するだけであれば、技術的にはさほど難しいことはないと思われる。たとえ橋梁が橋脚ごと流された区間であろうとも、鋼材を積木のように組み合わせて仮橋脚とし、その上に仮橋(トラスないしプレストレス・コンクリート)を架設する手法がある。徐行が必要になる、本格的な復旧工事の支障になる、などの課題が想定されるものの、短期間で復旧する手法はいちおうある。

 以上は一例であって、単純に復旧するための手法は数え上げれば幾通りも出てくるはずだ。本格復旧にはどうしても時間を要するとしても、とにかくまず列車を通せればいいと割り切るならば、選択肢はあまた存在する。

 仮復旧に要する期間はせいぜい二ヶ月もあれば充分だろう。最優先の突貫工事とすれば、二週間程度でも実行できるかもしれない。

 しかしながら、現実はそれどころではない。震災から三ヶ月が経ったというのに、三陸鉄道の復旧は停滞している。宮古−小本間と陸中野田−普代間の復旧は速やかだったが、残る区間は烈しいダメージを受けたままで、運行再開の見込はまったく立っていない。





■実現に向けての障害

 以上のように、応急の仮復旧ならば数多の解が存在する。それなのに執筆が遅れたのは、実行を阻む障害もまた存在するからだ。思い当たる点を以下に列挙してみる。

  1)材料や資機材を確保できない。
  2)材料や資機材の輸送路を確保できない。
  3)施工にあたる作業員を確保できない。
  4)復旧の全体計画が定まっておらず、鉄道単独の計画を定められない。
  5)予算を措置できない。

 1)〜3)は物理的な制約、4)は権限(全体計画)の制約、5)は投入すべき資金の制約である。復旧計画がなければ施工のしようがなく、復旧計画が定まったとしても予算措置がなければまさに絵に描いた餅でしかない。これだけ甚大な津波被害があれば、復旧計画は防災計画とも連動するから、簡単には定まるまい。鉄道だけが自儘に復旧するわけにはいかないし、仮に復旧したとしても後々手戻りが生じてしまう。

 災害による不通が長期化した過去の事例としては、平成7〜9(1995〜1997)年の大糸線(南小谷−小滝間)を典型例として挙げることができる。大糸線で不通期間が 2年以上に渡ったのは、詰まるところ、防災計画と連動して施工することになったからである。局地的な災害でこの状況であるからには、広域災害となった津波被害においてはさらなる長期化すら覚悟しなければなるまい。

 その時間を短縮しうるのはひとえに「金」である。ところが、JR東日本はともかくとして、三陸鉄道には潤沢な資金はない。沿線自治体も同様の状況であり、しかも優先順位の高い案件は山ほどある。きわめて厳しい、というのが率直な印象である。





■そもそも鉄道を復旧すべきなのか

 筆者が執筆を躊躇した理由がもう一点ある。誤解を怖れずにいえば、「鉄道を復旧することは正しいのか?」という思いが抜けないからだ。

 さいたま先生がいみじくも指摘されたとおり、三陸鉄道を復旧すれば「被災地の人たちの励みにな」ることは間違いない。敢えて検証などせずとも確信できる事柄だ。しかし、三陸鉄道の復旧が社会的合理性を伴う目標になりうるのか。この点に重大な疑義がある。

三陸鉄道輸送量推移
三陸鉄道の輸送量推移


 鉄道統計年報によれば、三陸鉄道が開業した昭和59(1984)年度の輸送人キロを 100とすると、年々減少傾向をたどっており、平成11(1999)年度は48と15年間でほぼ半減してしまっている。平成15(2003)年度以降は40以下の数字にまで落ちこみ、さらに漸減傾向を示している。何故か誰も表面的事象のみを指摘しがちだが、輸送実績が急落した理由は明確である。

  ●沿線人口の減少(過疎化)
  ●沿線の人口構成比の変化(高齢化・少子化)
  = 就労人口絶対数の減少
  ≒ 沿線地域の経済活力の衰退
  → これに伴う交通量総量の減少

 勿論、モータリゼーション深度化という背景も無視できないが、それ以上に見逃せないのが「交通量総量の減少」である。日本社会は、地方から就労人口を吸い上げ、大都市圏などに経済活動を集中させてきた。この現象には賛否両論あるとしても、ともあれ現実はそう推移している。結果として地方(かなり強固な産業基盤を備えているところを除き)では、経済活力が衰退する一方となっている。

 三陸地方もその例外ではない。新幹線・高速道路・空港など主要交通インフラから距離がある地理的状況のなかで、より多くの富を生む(=経済活力のある)産業が育っているとはいいがたい。この東日本大震災では、東北地方の工場被災が日本全国(あるいは世界各地)に影響を及ぼす事態が顕現したが、それら影響力が大きい工場が三陸地方にはどれだけ立地していたか。

 初期状態が上記のようであったところ、癌首相のもと復旧・復興対策が遅れている現状では、人口流失は日々加速度的に進まざるをえない。三陸地方の経済的衰退は、日を追うごとに深刻の度を増すはずだ。

※癌首相の個人的資質はもはや論じるまでもないが、ここまで見苦しい粘り腰を見ていると、実は組織的後押しを受けている可能性を指摘できる。少なくとも、癌首相の稀有なる個人的資質を最大限活用しているセクターが存在するはずだ。現状のまま推移すれば、
「日本国政府は、東日本大震災に関し、当初の緊急的措置を除き、復旧・復興の手だてをまったく行わない」
との事態が顕現すると思われる。これは即ち、被災地の復旧・復興を行わないと日本国が意志表示しているに等しい。さらに怖ろしい可能性としては、特例公債法案を成立させず、国家財政を一気に破綻まで持ちこみ、利害が複雑に絡まる福祉制度を一旦すべて解体したうえで再構築する事態も想定できる(最低限シミュレーションはされているに違いない)。そのセクターがどこかは、敢えて記すに及ばないだろう。


 いうまでもなく、筆者は「斯くあるべし」と念願しているわけでは決してない。しかし、この現状が続く限り、どうしても斯様な将来を想定せざるをえないのだ。

 上記の想定があるなかで、ほんとうに三陸鉄道の復旧を目指すべきなのか。たとえ復旧したところで、利用者が極小化していれば、鉄道として存続させる意義は失われてしまう。真剣かつ深刻に考えなければならない命題だと、筆者は考える。





■付記

 土木学会の催事での東日本大震災報告において、以下のような報告があった。

「これは明治時代の市街地(陸前高田?)を描いた絵図です。海岸線近くは平地ですが、建物がないことが見てとれます。当時の人々は、海岸線を避けていた様子がうかがえます。その後、鉄道や国道が開通し、交通インフラを中心として海岸線近くにも新しい市街地が形成され、結果として今回の津波被害につながっているわけです」(要旨)

 鉄道は「つくりやすい」場所に敷設される傾向が強いとはいえ、本当に上記報告のような経緯であれば、鉄道など交通インフラの責任は決して軽くはない。例えば、山際に駅を設置することはできなかったか、と思えてくる。あるいは敢えて海岸線沿いに線路を敷設し、築堤を防潮堤がわりにするという設計はありえなかったのか。

 このような報告に触れてしまうと、鉄道を単に復旧するだけでいいのか、という着想に辿り着かざるをえないのである。





■さらに付記

 天災が原因で廃止に至った鉄道は、今までにも幾つか存在する。思い当たるままに列挙してみると、寿都鉄道・南部鉄道・静岡鉄道清水市内線・近畿日本鉄道八王子線(西日野−伊勢八王子間)・山鹿温泉鉄道・高千穂鉄道・鹿児島交通南薩線など、相応の数が出てくる。

 上記のうち、山鹿温泉鉄道の線路跡は大部分が自転車道に転用されたとのこと。鉄道は豪雨による被災を復旧できず、廃止のやむなきに至った。線路跡を転用した自転車道は、公道であるがゆえ、たとえ交通量極小であろうとも、将来なんらかの天災によりダメージを受けたとしても、公費で復旧されるであろう。要するに、公共交通機関が天災で廃止になった一方で、(おそらく交通量が少ない)自転車道は公費で維持されるわけだ。

 ……きわめて理不尽な対照だと、筆者は思う。日本の制度には、どこか歪んでいる部分があると指摘せざるをえない。





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