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竹ノ塚事故備忘録





■事故直後のコメント

 平成17(2005)年 3月15日に起きた竹ノ塚事故について、備忘録的にまとめておきたい。

 竹ノ塚事故はたいへん痛ましいものであった。そして、この事故はそれでも「運が良い」結果であることに留意しなければならない。現場となった踏切は、浅い角度で伊勢崎線と交差していることから、進入してくる電車が目に入り、難を避けた方もいるからだ(新聞に載っていた中学生の証言)。仮に逆の角度であったならば、より多くの方が気づかずに前進していたおそれがあったといわざるをえない。

 「開かずの踏切」として同じように悪名高かった京成船橋の踏切は、上り線の高架移行によってこの時期には自動化されており、踏切閉鎖時間が大幅に減っていたという。単純な話で、負荷が下がれば(列車通過本数が減れば)、「踏切が開かない」ことによる問題(社会的影響)は極小化されるわけだ。

 竹ノ塚の大踏切は、完全な立体交差化は困難であるにせよ、現状が奇妙な配線になっていることも指摘できる。特に出入庫線と下り通過線が平面交差している点、出庫した列車をホームにつけても、そのまま折り返せず一旦引上線に入れなければならない点は、高い優先度で解消したいものだ。これらを解消するためには、通過線だけでも高架化し、さらに駅配線を 2面3or4線化したい。そして、この「鉄道側の都合」そのものが、踏切の負荷をかなり下がるはずである。

 どのような改善であれ、連続立体交差化の要件を満たさないことから、東武も東京都も両すくみにならざるをえないだろう。しかし、道路通行者の安全を守る責任という観点では両者対等に近いはずであり、双方の歩み寄りと前向きな対応を期待した。

 そのように考えていたところに、以下の要請書を目にする機会があった。





■ある要請書より



  東武伊勢崎線竹ノ塚駅付近の鉄道高架化早期実現を求める要請書



 竹ノ塚駅周辺地域は、東武伊勢崎線の平面交差により、東西の市街地が完全に分断され、竹ノ塚駅を中心とした一体的な発展が阻害されてきた。
 また、南北にある踏み切りは、時間帯によっては一時間で五十分以上も閉まっている「開かずの踏み切り」と言われ、迂回する車が引き起こす交通渋滞や事故が地域住民の大きな問題であった。
 特に踏み切りは、短時間の開放時、車・自転車・歩行者が一斉に先を急いで通行するため、高齢者を始め障害者や子供は遮断機が下りる前に渡りきれないことが日常的であり、常に重大事故発生の危険があった。
 このような状況にあって、平成十七年三月十五日の夕刻、東武伊勢崎線竹ノ塚駅南側踏切(赤山街道)で四人が死傷すると言う地域住民が恐れていた重大事故が発生した。
 私たち地域住民は、昭和五十五年七月、踏切高架化の請願採択と同時に、東武鉄道の高架化問題に取り組み、平成十三年十二月には五万四千名にも及ぶ署名運動を展開し、関係機関に早期実現を強く働きかけて来た。
 しかし、当事者である東武鉄道は鉄道車庫の位置等の技術面から、行政関係機関は鉄道高架事業の採択基準等を理由に、竹ノ塚駅周辺の高架化問題を先延ばしにして来た。
 東京都が平成十六年度策定した踏切対策基本方針の中では、二十ある検討対象区間の一つに位置づけられたが、具体的な実施時期は示されず、我々は一刻の猶予もできないと考えている。
 このような悲惨な事故を再び繰り返さないためにも、当事者である東武鉄道はもちろん、監督省庁である国土交通省・東京都並びに足立区に対して、鉄道高架化の一日も早い実現を地域住民の総意に基づき強く要請する。



  平成十七年四月二十六日



                           足立区町会・自治会連合会   会長 ○○○○
                           渕江町自治会連合会      会長 □□□□
                                           他 役員一同
                           伊興地区町会自治会連絡協議会 会長 △△△△
                                           他 役員一同


国土交通大臣      北側一雄様
東京都知事       石原慎太郎様
足立区長        鈴木恒年様
東武鉄道株式会社社長  根津嘉澄様





■要請書のコメント

 率直にいって、素晴らしい文章である。短文の要請書という性格上、文学的修辞がない堅い文章でありながら、必要と考えられる内容はすべて記されているといえる。具体的な問題点・解決に向けた取り組みの経緯・解決にあたっての制約条件・地域住民の心情など、これだけ短い文章によく盛りこめたものだ。あまりにも巧妙すぎる文章であり、「その筋の専門家」が関与したのではないかとも想像される。

 社会的事象を扱うという観点からすれば、手本とすべき立派な文章である。主観を徹底的に排除し、客観的記述に徹している点は、同種文章の鑑である。見習う点が多々あり、おおいに参考になると思われるので、敢えて全文を引用した次第である。

 これに対して、鉄道ジャーナル 464号(平成17年 6月)のレイルウェイ・レビューなどは、まさに雲泥の差、比べものにならないほどの駄文である。著者の種村直樹は、日本初の鉄道専門の著述家であり、「事故の本質」を理解している形跡はいちおう認められる。しかし、分析力が低いうえに、最終的には著者の主観に収斂させていることから、客観性の担保がないように読めてしまう。これは、社会的事象を扱うにあたり、ほとんど致命的な欠点である。

 几帳面で堅い要請書の足許にすら及ばない文章しか書けないのであれば、著者の「主観」はいったい誰に届くというのだろうか。同誌 465号(平成17年 7月)同欄はさらに醜悪な文面になっている。著者の主観に頼る著述手法を用いる限り、一部の趣味者に支持されることはあっても、「社会」に広く受容されることはありえないと自覚すべきである。これは「鉄道趣味」という領域全体にいえることであり、病弊の根は深い。

 もっとも、さらに深い病弊の根は改善の進み具合であろう。踏切閉鎖を厳格に行うようになったおかげで、事故の危険は緩和されたが、沿線住民には不満とストレスがたまっている。極端に長い踏切閉鎖時間による不満とストレスを、現場の運用で緩和してきたことによる綻びが、この事故の本質である。新しい歩道橋がつくられただけでは、単なる弥縫策にとどまる。完全立体交差化こそが理想の夢といえよう。しかし、単純で切実な「夢」をかなえるために、いったいどれほどの努力を払わなければならないのか、障害を越えることができるのか。まだまだ道は遙か遠く見えてならない。





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※本稿はリンク先 「交通総合フォーラム」 に書いた記事を改稿したものです。





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