このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください





批評には合理的論拠を





■産経新聞平成18(2006)年 9月24日付記事「産経抄」より


 大正時代の初め、「シーメンス事件」が政界を揺さぶった。……そのシーメンスの名前を久しぶりに新聞で目にした。合弁で参加している会社のリニアモーターカーが整備車両と衝突、23人が死亡した事故である。
 ……捜査当局では原因を「機能ではなく人為的ミス」としている。だが問題はやはりそのスピードだ。推定 200㌔もの速度でなければ、整備車両を見つけて止まるのは容易だっただろう。……
 旧国鉄が新幹線を開発したとき、研究の大半を費やしたのはスピードを出すことではなく、その弊害と事故をいかになくすかだった。……
 JR西日本は福知山線の事故の後、神戸の駅にかけてあった「大阪へ○分」という看板をはずした。スピードを競う時代に自ら幕を下ろしたのだ。その意味では、最先端の技術を駆使したリニアも「時代遅れ」になったような気がしてならない。





■コメント

 短い文章のなかで自らの主張を訴えるときには、事実や論拠をデフォルメして表現することがままある。筆者も同様の手法を採ることが多く、それじたいを云々する気はない。しかし、平成18(2006)年 9月22日に起きたトランスラピッド事故を評するこの一文は、デフォルメと呼ぶにはかなり乱暴である。

 「シーメンス事件」という近代史上の出来事を枕にする、という点にまず違和感が伴う。シーメンスは今日も世界的に活動する大企業であって、業界では広く知られている。最近でもテレビジョンでCMを流しており、知名度が高い。かような企業に対するイメージの導入として、この書きぶりが適切といえるかどうか。だが、その後に続く記述と比べれば、これでもまだ問題ない内容とさえいえる。

 次の段落はかなりひどい。事故当時の状況は不明だが、トランスラピッドは自動運転が基本のはずである。「整備車両を見つけて止まるのは容易」とはいえない。仮に手動運転であったとしても、後の段落で賞揚の対象となっている新幹線も 200km/h以上での運転であり、同様に危険ということになる。平仄がまったく合わない。

 第三段落は不可思議な内容である。筆者は東海道新幹線に関する文献を多数読んでいるが、開発当時の技術陣の考え方をザクッと要約すれば「信頼性の高い技術を用いて冒険を避ける」という一点に尽きる。東海道新幹線に導入された要素技術のうち、革新的なものは実はほとんどない。それまでの鉄道運営のなかで充分な信頼性が認められた要素技術を組み合わせた結果が、 200km/h超での高速走行に結実したのである。「研究の大半が……その弊害と事故をいかになくすか」とまとめた文献を目にしたことはない(そもそもこの文章では「その弊害」の示す内容が曖昧である)。安全確保は当然すぎるほど当然の至上命題であって、これを目的とする技術開発、という姿勢は考えにくいのである。

 最後の段落は言わずもがなで、JR西日本はおそらく批判をおそれたにすぎない。それを外部からの解釈として「スピードを競う時代に自ら幕を下ろした」と認定するのは随意だが、かなり強引な見方といえよう。しかも、この記事内で賞揚対象としている新幹線をも否定する視点となっており、論旨一貫せず支離滅裂である。

 本題としてなにを主張したかったのかは措くとして、合理的論拠に基づかない文章には説得力が欠けることは確かである。産経新聞の記事は、筆者にとって思想的に同調しうる内容が実は多いのだが、論拠や理論構成が甘い記事が近頃増えている点が気になっていた。そのため、筆者が最も詳しく知る分野で批評を試みてみた次第である。





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