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不変は普遍ならずして〜〜交通システムとしての路面電車
■南国土佐は変わらない
昨年のことである。筆者は高知に行く機会を得た。多少時間の余裕もあったので、土佐電鉄に乗ってみた。
驚いた。約20年前と、ほとんど変わるところがない。確かに、桟橋線のセンターポール化が行われ、車両の冷房化も進み、外国からの電車も動き回っているなどの変化はある。しかし、交通機関としての本質は、ほとんなにも変わっていないではないか。下の写真を見比べてほしい。左の写真は約20年前のものだが、「今の土佐電鉄」と紹介しても、充分に通用してしまう。右の写真は昨年のもの、安全地帯のない路上での乗降が今日でもなお行われている。
■都電荒川線もまた
筆者は先日ある所用があって、都電荒川線をほぼ全線乗車した。今まで「乗ってみた」ことはある路線ながら、「沿線に用事があって」乗るのは初めてである。久々ということもあり、些かわくわくしながら、電車に乗ってみた。
荒川線がリニューアルされたのは、昭和52(1977)年のことと記憶する。それから既に四半世紀が経った。時の流れは、はやいものだ。
7000系更新車のデザインは、当時は極めて斬新に見えた。野暮ったい車両ばかりの軌道系車両にあって、最先端を行く優れた外観を備えていた。その後冷房化が進み、あるいはさらなる更新車・新車が投入されてもいる。しかし、7000系は未だに健在だ。
四半世紀。新車投入と考えても、充分旧いといえるだけの年月であろう。釣掛モーターの音など、今では野暮ったさの極みである。かように旧い車両が未だに現役というあたり、軌道系の後進性を感じざるをえない。
システムとしてのアップデートが図られていない点も、気になる。リニューアル時に、車両はステップを切り、電停は嵩上げし、今でいうバリアフリーを一気に実現した。その卓見と先進性は、賞揚されてしかるべきであろう。
その一方、輸送システムは旧態依然としたままだ。ボギー車のワンマン運転、スタッフ1人あたり輸送力が少ないのでは、交通機関としての優位性があるとはいえまい。実際のところ、ほぼ全区間を通じて、立客の姿が絶えなかった。下校時間帯に重なったとはいえ、混んでいた、という事実そのものは消えない。
荒川線の場合、優先席がクロスシートであるため、収容力が相対的に小さくなっている、ということもあるだろう。あちらが立てばこちらが立たず、悩ましい課題ではある。
それにしても、システムを改善向上していこうという姿勢がまったく見えてこないのは、どうしたことか。
例えば、2両連接車(前車1扉/後車2扉)を投入すれば、輸送力も増すし、降車客扱い時間も短くできるだろう。大塚や王子のような拠点電停では、予め運賃収受のチェックをすれば、乗車時間をも短縮できる。
荒川線は軌道系とはいえ、「路面電車」では必ずしもない。「鉄道」への脱皮を図ったところで、なんらおかしくはないのだ。
■昔話の時代から
筆者の叔母は、神谷橋(営団南北線王子神谷に相当)に住んでいたことがある。当時はまだ赤羽への路線も健在であったから、叔母宅に行くには都電を使うこともできたはずだ。
しかし、筆者は王子−神谷橋間を乗車したことがない。私の鉄道好きは親類中の周知の事実である。それなのに敢えて乗らなかったのは、道路中央での乗降が嫌気されたからにほかならない。私はまだ幼児だったから、交通事故が心配だったのであろう。
現在の荒川線は、当時の都電と比べれば飛躍的に進歩している。荒川線のリニューアルが、日本の路面電車に多大なインパクトを与えたことは、歴史的な功績であるとさえ賞揚できる。
その一方で、さらなる発展、あるいはブレイクスルーの兆しが見えてこないこともまた確かである。いくら斬新なものであっても、時が経てば陳腐化し、あるいは経年劣化する。それをもどかしく思うのは、ひとり筆者のみであろうか。
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