このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 

 

トラムに見る交通機関の本質

 

 

■30分待ちが許されるトラム

 大都市圏の公共交通に乗ろうとして、定員オーバーなので30分待ちと乗車を断られれば、大抵の人は怒りだすだろう。待たずに乗れるのが大都市圏交通の特質だというのに、30分待ちでは決して許容されるまい。まして待たされる理由が定員オーバーであれば、輸送力不足が指弾されてもおかしくないところだ。

 しかし、世の中は広い。輸送力過小のため恒常的に30分待ちでありながら、なおも人々の支持を失わない交通機関が存在するのだ。東京ディズニーランドのジョリー・トロリー。「ゼンマイ仕掛けの乗り物」というコンセプト以上の不可思議さではないか。

 勿論、これはアトラクションのひとつであって交通機関ではない、という認定は可能である。それにしても、たったこれだけの乗車区間のために、長時間の行列ができるという現実は重要である。筆者自身も45分待ちを経験しているし、 Web検索をかけてみると60分待ちを経験した方もおられるようだ。

 なぜ長時間の待ち時間が受容されるのか。やや逆説的ながら、行列ができているがために「行列になるほどの魅力がある」と認識されるのではないか。混む→魅力があると認識される→さらに混む、という相乗効果もあるのだろう。

 
 出発を待つジョリー・トロリー(平成13(2001)年撮影)

 「ゼンマイ仕掛けの乗り物」という空想的なコンセプトが提供されている。架線もなく内燃機関もない車両が自走する姿は、確かに不可思議ではある。どうも停車中に路面からアタッチメントが出てきて車両の「はずみ車」を巻き上げているようで、このコンセプトはそれなりに現実と一致している。

 

■30分待ちが許されないトラム

 しかし、大都市圏交通では30分待ちなど決して許容されない。まして輸送力不足のために待たされるならば、利用者は他の交通機関を選択するに違いない。

 公共交通において、長い待ち時間を「魅力」と受け止めてもらえる工夫ができるだろうか。「魅力」があるから混んでいると認識されることが可能だろうか。かような「魅力」の概念が逆転するならば、交通史には革命が起こるだろう。

 「魅力」概念の逆転はテーマパークという閉ざされた空間内で起こること、と考えるのは正当である。そしてその一方、テーマパーク内では概念逆転が恒常的に発生しているとの現実がある。人間の感覚が空間によりスイッチされているならば、スイッチが動くための刺激を変えることで、概念逆転は簡単に起こるような気もするのだが・・・・・・

 
 徹明町にて待機中の美濃町線区間列車(昭和57(1982)年撮影)

 名古屋鉄道美濃町線の徹明町−競輪場前間において、列車の運行間隔は30分おきである。都市中心部の交通機関としては運行間隔が長すぎるといわざるをえず、頻繁に運行されているバスに対して著しく劣位にある。同区間の現状は、閑散路線である。

 

■メルボルンでは

 ここで想起されるのは、豪州メルボルンの例である。メルボルンのトラム路線網はまさに縦横無尽、東京都電や大阪市電の全盛時代をも凌ぐ稠密なものである。系統設定が複雑に過ぎ、かえって使いにくいのではと思われる面もあるにせよ、メルボルンの交通基盤としてトラムが重要な位置を占めていることは間違いない。

 
 高度で複雑な路線網に近代的な車両が運行されているメルボルンのトラム(平成 8(1996)年撮影)

 メルボルンのトラムで運行されている車両は、旧型車両も残ってはいたものの、無機的と呼びたくなるほど近代的な外観の新型車・新世代車が大半を占めていた。当然といえば当然であろう。よりよい交通機関であろうとするならば、利用者の満足を得るため、時代に即した近代化が図られなければならない。

 とはいえ、車両数が多いことから、旧型車の全てが駆逐されたわけではない。その旧型車の活用法が、メルボルンの場合面白い。

 
 メルボルン市街中心部で環状運転(しかも無料)されている「City Circle」(平成 8(1996)年撮影)

 第一の活用法は 「City Circle」への投入である。 「City Circle」とは、メルボルン市街中心部で環状運転を行う系統で、運賃無料という際立った特色を有している。旧型車は、いかにもレトロな塗色を身にまとい、街を闊歩している。毎時1本という低頻度運行のため、利用者はあまり多くない様子だったが、視覚に訴えるインパクトはごく大きい。運賃無料という設定にも、街としての貫目もしくは心意気を見出せる。

 ちなみに、隣国ニュージーランドのクライストチャーチにも同じような環状運転トラムが存在するらしいが、こちらは高めの運賃設定となっているようで、観光色が前面に出ている格好だ。

 
 車両基地で待機するトラム・レストラン(平成 8(1996)年撮影)

 もう一つの活用法は、トラム・レストランへの充当である。日本でもよく「ビール電車」などが運行されているが、それらとは比較にならないほどレベルが高い。内装・メニューとも一流のレストランとして通用する内容で、ツアーのオプショナルとしても採用されている。筆者の利用した感想は、話題性という面を抜きにしても、おおいに満足できるものであった。

 

■乗りたくなる交通機関

 メルボルンでの事例はやや極端であるが、参考に資する面はある。 「City Circle」にせよトラム・レストランにせよ、必要があって利用する性質のものではない。どちらかというと、「乗るため」にしつらえられた列車である。

 上野動物園のモノレールなども、その最たる一例といえよう。移動距離は 1kmもないというのに、待ち時間をものともせず長蛇の列ができることもままあるではないか。さらに突き詰めていえば、デパートによく置いてある「トーマス」の類の乗り物もこれに近い。そこに行ったからには「乗りたくなる」「乗らずにはいられない」乗り物が、この世には確かに存在するのだ。

 
 上野動物園のモノレール(平成14(2002)年撮影)

 勿論、それは交通機関の本義からは懸け離れている。交通機関は、本来利用されるために存在するものだ。しかし、現実に「乗るために乗る」行動が見られる以上、その受け皿を目指すという方向性はありえるだろう。

 合理性を追求して利用者の便利に供する交通機関にするか、「乗りたくなる」娯楽性の強い乗り物にするか。両者を峻別する必要は、実は必ずしもない。「ゆりかもめ」のように、日常的通勤利用と非日常的観覧利用とがうまくミックスされている事例もある。

 こう考えてみると、軌道なる交通機関は面白い二面性を備えているといえそうだ。筆者の主観では合理性を究めた交通機関が好みなのだが、その合理性を追求した結果が、娯楽性として認識されることさえあるのだから、不思議といえば不思議である。それとは逆に、奇をてらった娯楽性が無惨な失敗に終わった実例もある。

 事前に全てを計画しておくことは不可能であるとしても、軌道という交通機関を考えるうえで、二面性のどちらに力点を置くかを考慮する必要はあるといえそうだ。

 

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