このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください





いにしえの道をしのぶ

フィールド・アスレチックとの相関





■清水公園にて

 先日、清水公園のフィールド・アスレチックに 4年ぶりに挑戦した。こどもら(小5&小1)が「行きたい!」とせがんだからで、下の娘も運動能力が発達してきているから、からだを動かすにはちょうど良い取り組み、と思って出かけた次第である。

 その結果はといえば、こどもらはともかく筆者においては散々だった。ある程度は覚悟していたとはいえ、水上コースで転覆してしまい、全身が水没する羽目になったのである。おかげさまで携帯電話が即死してしまった。ロッカーに預けておけばよかったと後悔しても後の祭り。腰まで浸かっても胸ポケットまで濡れることはあるまい、という事前の想定はまったく外れてしまった。

水上ロープウエー
水上ロープウエー


 もっとも、後ろに控えていたこどもら含め、周囲からはおおいに歓声があがったというから、少しは皆を楽しませられただろうか(苦笑)。ひとり当人のみが苦しいところで、携帯電話を抜きにしても、全身濡れみずくになると行動の自由が奪われてしまい、その後の体力消耗が著しくなった。

 午後になってからの挑戦で、全百箇所をクリアできなかったこともあり、次の機会にはいま少し楽しみたいものである。





■フィールド・アスレチックの本質

 以上は私事にすぎないが、フィールド・アスレチックに挑戦して改めてわかったことがある。フォールド・アスレチックに設定されている障害は実は、いにしえの道と似たような険路・隘路なのではあるまいか。例えば、以下の関門を見てみよう。

壁渡り
壁渡り


 手がかり足がかりが極端に狭い設定とはいえ、これは懸崖をへつる道筋と相似である。近世に至るまで、ちょっと深い山中であれば、このような道は決して珍しくなかったのではないか。次にこの関門を見てみよう。

綱渡り
一本綱の橋渡り


 この手の「吊り橋」は現代にも存在している。小径しかなく、堅固な橋を築けない山中には、ワイヤー・ロープを組み合わせただけという簡素な吊り橋が架けられることがある。開拓時代の北海道にも、このような構造の橋は少なくなかったはずだ。

 人間の往来にとって、水・川は大きな障害であった。例えば、 北海道拓殖鉄道の記事 中に参考文献として挙げた「新得町史 交通・観光」には、以下のような記述が見られる。


 この渡船場は、……岩松ダムの下手に当たり、一本のワイヤーロープを頼りの丸木舟で、住民は何回となく恐しい目に遭っていた。……渡船の往来が盛んであったころよく利用したという古老松浦昇は、子供のころだったので、と前置きし、次のように語っている。……「岩松渡船場の方は、2、3人乗れる丸木舟だった。……利用するのに対岸を繋いでいるロープを握って、急流を真剣に渡ったもんだ。うまくいかなく犠牲になった人が2、3人いた」


 写真は撮っていないものの、まさにこの記述どおりの「ロープをたぐる丸木船」という関門が、清水公園のフィールド・アスレチックには設定されている。読者諸賢におかれても、もしフィールド・アスレチックに挑む機会あれば、単にからだを動かし楽しむというばかりでなく、いにしえの険路・隘路はこうだったのかと思いをめぐらせてみると、より趣が深まるのではないか。

 たとえ筆者のように散々な思いをしたとしても、昔の人たちの旅における道中の苦心を追体験したと考えれば、別の感慨が湧いてくるに違いない。





■余録━━清水公園付近の交通機関

 せっかく清水公園に行ってきたので、周辺の交通機関も紹介しておこう。

まめバス
まめバス(清水公園付近にて)


 まずは「まめバス」。奇抜というか愛らしいというか、珍妙なデザインもすっかり定着してきた観がある。

野田線
東武野田線(清水公園にて)


 こちらは東武野田線。釣掛車を一掃し近代化された、……としても説得力がないのは、製造初年昭和38(1963)年の8000系が主力だからだろう。8000系も名車と呼ぶには古参となりすぎてしまった。野田線においては昔から、東武最古の車両が集結する状況がある。たとえ8000系が置換されたとしても、やってくるのが 10000系あたりでは冴えない話だ。運行本数が以前より増えたとはいえ、運河−春日部間は今でも需要の谷、のどかな風景の中を走る姿はあいかわらずである。





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■備忘録

 写真は全て平成17(2005)年撮影のものを活用した。





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