このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

書評(平成12年2月9日)

『婆沙羅』(山田風太郎著:講談社文庫)


 山田風太郎を知ったのは、私の場合、お恥ずかしながら、友人の部屋で見た実はビデオの「くノ一忍法帳」からである。<(^^;;
いわゆるスケベ根性から興味を惹かれて入った訳である。ただし、実際「くノ一忍法帳」を読んでみると、忍法などもかなりビデオと異なることがわかる。ビデオの方はほとんどタイトルだけ借りたもので内容は殆ど違うのである。
 山田風太郎の作品は、ほとんどすべての作品で、妖艶な場面が出てくるので、スケベ根性だけで読んでいると、そういった低俗な小説かと思うかもしれない。しかし、よく読んでみると意外と非常に歴史的な分析というか、人物鑑が鋭いのに気付く。
 勿論、彼の小説は、歴史的事実を元にしながらも、それをうまく彼の空想力で奇想天外のストーリーに再構築し、歴史小説から完全に脱却したフィクションに変身させている。
 今回は私の好きな太平記の世界をとりあげ、その中の代表的婆沙羅大名であった佐々木道誉を主人公としている。婆沙羅とは、本の解説にも出てくるが、室町時代の流行語で、もともと、薬師十二神将の1つで7億の夜叉を引き連れ仏法を守護した夜叉王を指す仏教語であった。それが、この佐々木道誉に代表されるような、遠慮ない振る舞いをおこない、派手好みの者を、‘婆沙羅者’と呼ぶようになったのである。しかし、何も、彼だけを婆沙羅としているのではない、後醍醐天皇、足利尊氏・直義兄弟、高師直・師泰兄弟、楠正成、文観僧正・・・時代を代表する人物を皆、婆沙羅者とみなしているのである。そして、水滸伝ではないが、その魔人たちの封印を解いたのが後醍醐天皇だと、道誉は語るのである。
 佐々木道誉は、彼らの中で、裏切り・寝返り・暗殺・暴虐・下克上など日常茶飯事の太平記という言葉とは正反対の状況を現出した、南北朝時代という混沌とした世の中を、婆沙羅の究極ともいえる生き方で生き残ってゆくのである。つまり後醍醐天皇によって開かれた、婆沙羅という魔人たちが闊歩する乱世を、中途半端な婆沙羅でなく、婆沙羅の道を究めることで、かえって全に生き延びてゆくのである。その辺の描き方など大変にうまい。
 また今回、別に新作でもない彼の作品を取り上げたのは、いつもの様に歴史的事件を織り込みながらも今回それほど突飛なフィクションになっていいないような感じがしたからである。吉川英治でさえ、文庫本にして8巻も費やしても原作と同じ時代まで書く事ができなかったのに、それを200ページ余りという短さで簡潔に、太平記の流れを再現し、なおかつ、フィクションではなく、これが案外真相ではなかろうか、とさえ思えるような非常にうまい仕立て方になっているのである。というのは、例えば、護良親王を捕縛させた事件、高兄弟を暗殺した事件、直義を暗殺した事件等など・・・・皆、彼が影で暗躍して殺させたことになっている。それも自分の婆沙羅な人生を楽しむために。中には確かに彼が関わったと思われる事件(例えば尊氏が叛旗をあげた後、敗走する六波羅探題北条仲時を近江の馬場で土匪に殺させたのは、私も彼であろうと思う)などもあるが、ほとんど全てに彼が関わっていたとするのは、やっぱり行き過ぎであろう。でも、それがこの本を読んでいると本当のように思えてくるのである。
 それに今回、特に感じたのは、私が太平記の大ファンであるからなおさら感じたのであろうが、佐々木道誉の処世観、人生観を非常に見事に描きだしている点である。特に小説のちょうど中頃の、103ページから108ページにかけて、兼好法師と語り合う場面は、彼の口をかりて実にうまく、それらを表現しているように思う。実際、どこかに彼の言葉として書かれた記録があるのかもしれないが、それにしてもうまい。すこし取り上げると「おぬし・・・生けらんほどは武に誇るべからず、人倫に遠く禽獣に近きふるまい、と武士をののしっておるが・・・・御坊のごとく遁世した者は知らず、なまじ近江の一大名に生まれた者にとって、すくなくともこの十余年は、死ぬか生き残るかの乱世であったわ。しかも、その興亡がただ武力の強弱によるものではない。謀反、背信、忘恩、無法の渦をどう切り抜けたか、その切り抜けようの如何である、ということは、おぬしもとくと見てきたろう。わしの見るところでは、それは他人以上の謀反、背信、忘恩、無法を辞せぬやつが勝つということだ」という言葉などは、南北朝時代の人間社会の険しさ、闘争のすさまじさがいかに過酷であったかを物語るものであり、その時代を婆沙羅という生き方で生き抜いた男の胸のうちを明かした端的に明かしたものであろう。
 私は現代が過酷な競争社会になったから、そのような無法な生き方をなにも薦めようという訳では勿論ない。何かに囚われ、自
在に生きることができない現代人に、彼のような婆沙羅な人生も何かの参考になるのではないかと思うからちょっと取り上げてみ
たのである。何といっても、これは処世術の教科書ではなく、単なる小説である、気楽に読んで、混沌とした現代を生きる術の選
択肢を1つ頭の隅にボヤッとした印象でもいいから残ればそれでいいではないかと思うのである。でも、言葉足らずの解説なので、皆さんは果たして興味をもたれたかな?


このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください