このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

書評(平成12年 5月2日)

『夜明けの雷鳴』(吉村昭著:文藝春秋)

 吉村昭氏であるが、司馬遼太郎氏亡き後、歴史小説家の中では、私が一押しの作家である。中国関係では、陳舜臣さんや宮城谷昌光氏も好きなのであるが、日本史関係は何といっても、吉村氏である。
 歴史小説は、慣れてくると大体この人はどれだけの資料を基に書いているかとこ、歴史観がどれだけ優れているかなどといったことが、だいたい見当がつく。わかりにくいなら同じ人物を描いた小説など読み比べてみればいい。例えば、吉村氏が以前描いた川路聖謨(『落日の宴−勘定奉行川路聖謨』)と佐藤雅美氏の『立身出世』を読み比べてみるといい。吉村氏の作品のその内容の深さは、一読で了解できるはずである。
 中には、童門冬二氏なども優れた歴史小説家にあげていいのでは、という人もあるかと思うが、現代のサラリーマンなどに向けに教訓的にわかりやすく纏めて作品にする力は確かに凄いが、某社の人物叢書などと読み比べると、単に学術書をそのままの流れでわかりやすく書き直しただけの文章だとわかり、底の浅さはすぐ知れる。吉村氏は、そんな底の浅い歴史小説家が増えた中で、まさに司馬氏のあとを継げる小説家といえるのではなかろうか。
 今回の作品は、幕末明治維新に活躍した高松凌雲という医者の生涯を描いた作品である。吉村氏は以前、同じく幕末の福井藩の医師で、人々の種痘に対する誤解を解く努力をしながら、天然痘と闘う医師・笠原良策の生涯を『雪の花』という作品で描いているが、今回はフランス留学を契機に人生を大きく転機させ、五稜郭の戦い(箱館戦争)という歴史の舞台で、医者として活躍することになった人物を描いている。(吉村氏は、同じ箱館戦争に関して『幕末軍艦「回天」始末』という小説も書いているらしいが、あいにく私はまだ読んでいない。早々にそれも読んでみたいと思っている。)

<あらすじ>だが、
 慶応2年(1866)フランスは、ペリー来航以来、軍事援助などを通じて幕府と強く結びついていたが、その翌年パリで開かれる万国博覧会に日本も参加するよう駐日公使ロッシュを通じて要請してきた。幕府は博覧会への出展を決め、また同時に時の将軍、徳川慶喜の弟・徳川昭武を自分の名代として派遣し、親善外交を行わしめそののち昭武をフランスにそのまま留学させることを決めた。高松凌雲は、その昭武の随行人に加えられることになり、彼の人生はそこから大きく変転することになるのである。
 高松凌雲は、筑前の庄屋の家に生まれたが、養子として出された家がだらしのない家だったので、そこにいることがいたたまれず出奔し、江戸へ出て医師となったのである。努力の末西洋医学の知識や英語などの語学の知識も身についたおかげで、一橋家のお抱え医師となっていたのだった。慶喜が将軍となるにしたがって幕臣となり、昭武の訪欧の時、随行の医師として選ばれたのであった。
 パリ万国博覧会における日本の展示は大好評を博した。ただ薩摩が幕府を軽視し、薩摩が一国を代表するかのような展示をするのに幕府側は、危機をおぼえた。親善外遊後、凌雲は「神の館」と呼ばれたパリの市民病院で医学を学んでいたが、日本から大政奉還のニュースを聞く。そしてその後まもなく、幕府が薩長を中心とする官軍に敗れ、将軍慶喜も謹慎しているという報も入った。幕府が崩壊した以上、パリにこれ以上滞在するのは無理ということになり、昭武とそのまわりの一部の者を残し、凌雲など他の随行員は日本に帰った。
 すでに官軍に制圧されていた江戸に戻った
凌雲は、榎本武揚の幕府海軍で奥州へ逃げ延び、徳川の恩顧に応えて、官軍に抵抗することに身を投じることにした。無事江戸を出港した艦隊であったが、仙台など奥州の藩はすでに官軍に降伏したり恭順の意を表ており、やむなく箱館へ行って北海道での再起を図る。上陸後、五稜郭を占領した榎本は箱館病院の頭取として凌雲を任命する。病院の全権を掌握した
凌雲は、欧米で学んだ医学の先端技術を駆使するとともに、パリの「神の館」で学んだ富める者も富まざる者も、また敵も味方も差別なく施療する精神を、この病院で実現し、日本の医学に近代医療と呼べる精神を植え付けていく・・・・
ざっと、こんな内容だが、吉村氏得意(?)の幕末だけに、
日本に真の近代医療の精神を吹き込むんだとでもいう凌雲の気概のようなものが活き活きと感じられ、非常に好感触な小説に仕上がっている。
 世紀末の現代にあっては、このような幕末明治維新の偉人達のよりよき時代を築こうという気概は、読んでいて勇気が沸いてくるのではないだろうか。ぜひ皆さんにもお薦めの1冊である。

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください