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書評(平成12年 5月13日)

『華栄の丘』(宮城谷昌光著:文藝春秋)

 宮城谷昌光氏の本の紹介だが、『楽毅』についで2回目である。前にも書いたが、私はこの作家が好きなので、現在執筆中の作品以外は、ほとんど全て読んでいる。今回の作品は、長編から中編まで色々ある著者の作品の中では、著者も言っているが中編と呼べる作品と思う。
 今回の主人公は、宮城谷さんの作品では毎度のことだが、春秋時代は、宋の国の文公時代の宰相・華元という超マイナーな人物の話である。以前、『夏姫春秋』でも、登場しているというが、宮城谷ファンの私ででもあまり記憶にない人物である。
 宋の国は、殷(商ともいう)という中国を統一していた帝国が、この小説の時代より約400年前に、周の武王によって滅ぼされた後、武王の子・成王によって、商王室の血胤をもつ微子を宋に封じて建国を許したものである。

 主人公の華元だが、自分が仕えることになる文公が君主の座につくまで、名門の華一族の長であるにもかかわらず、ながらく無位無冠であった。時の君子・昭公が無道の政を行うようになってくると、先々代の君子・襄公の正妃・王姫は、クーデターを企む昭公の腹違いの弟・公子鮑を諭し、蹶起を思いとどまらせ時機が来るのを待つ様にいい、みずからは王周辺の勢力を剥ぎ取り、昭公を弑す機会を待った。昭公は、民や家臣の信望を失っており、王姫が自分を殺す罠を敷いていることを知っていたが、知っていて罠が張られた孟諸沢へ行き殺される。
 クーデターが成功し、自らは何もせず事態の成り行きを見守っていた
公子鮑は、文公となった。そして華元は、現代で言うならば総理大臣とも言うべき、右師に任命された。どうも実力者・王姫の陰の指示によるらしかった。
 その後まもなく、君子となって間も無い文公の暗殺の陰謀があるらしい事が知らされ、また盟主国・晋が、盟下の国で起こった弑逆事件を問責するために荀林父(じゅんりんぽ)を
師将として軍を動かした。果たして右師となったばかりの若い華元は、いかにしてこの多難な国の危機を乗り切っていくのか・・・・。
 話は、宋を狙う南方の大国・楚の盟下に宋が入るまでの、数々の困難を、華元がいかにして乗り切っていったかを描いている(華元自身は、文公の子の共公、さらに孫の平公の時代まで宰相(右師)を務めている)。
 この小説には、三国志のような、戦略・戦術を駆使しての、英雄・軍師といったものたちの活躍のようなものは見られない。読んでいても、華元は天才的政治家というより、礼・信義を重んじる実務派の政治家という感じがする。
 よって知謀の数々によるエピソード等を求める人には面白くないかもしれない。しかし、昔から「一将功成って万骨枯る」と言われる。とかく武勇談の陰には多大な犠牲があるものだ。そういった面から見ても、華元のう生涯は、波瀾万丈と言えるし、かえって現代の参考となるのではなかろうか。華元は、生来争いを好まず、また詐術も好まない。戦国時代間近の春秋の時代にあって、次第に大国が形成されていく中、小国の
宋が生き残る道は、信義こそ重要と考える。又、他国からは、馬鹿にされる「宋襄の仁」の故事さえ、礼の面から見れば適正と考える、そのような人物なのだ。「勝てば官軍」という考え方とは対極の考え方をする人であろう。しかし、現代社会を見た場合、もう国際社会における信義ということは、これからの時代、外交を行うものとしては絶対に無視できない事柄である。国が滅びてしまってから、何を言っていてもしょうがないという考え方もわかるが、国民全てを抹殺するなんてことはこれからの世の中では不可能である。第一、その国に対して他の国々が黙っていないし、その国民もそういう事を許しはしないだろう。信用を失って、繁栄する国など過去を振り替えればわかる事だが、一例も無いハズだ。逆に衰退するのみなのである。
 国際間の信義や国としての礼の為には「敢えて、負けを選び、真の勝を得る」この華元の宰相の政治の執り方や生き方は、これからの日本の国の進路を考える上でも重要な参考になるのではなかろうか。

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