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書評(平成12年 6月6日)

『かまくら三国志(上・下)』(平岩弓枝著:文春文庫)

 著者の平岩弓枝氏は、昭和7年、今では私鉄線駅名として有名な代々木八幡神社の一人娘として生まれている。昭和30年に日本女子大を卒業後、小説家を志し、戸川幸夫氏に師事、ついで長谷川伸氏主催の新鷹会へ入会した。長谷川伸氏の門下の先輩には、村上元三氏や池波正太郎氏がいる。ここで著者の略歴をあらためて書いた訳であるが、小説を最後まで読めばわかるが、著者がこの作品を書くことになった動機が、代々木八幡の神主の娘として生まれたことに深く関係しているからだ。詳しい訳は読んだ上でのお楽しみとしておく。(^^)

 小説の方の話は、源頼朝が亡くなって頼家が将軍職を継いだ正治元年(1199)から始まる。主人公の荒井智太郎は、父の死の間際に、自分が、父と思っていた荒井外記の息子ではなく、実は先の将軍・頼朝の嫡男であることを知らされる。その話によると、荒井外記の旧主であった伊東祐清の妹と頼朝の間に生まれた子が、自分だというのだ。私(畝源三郎)は、源頼朝の事は別に研究している訳ではないので詳しく知らないが、つい最近読んだ司馬遼太郎氏の『義経』でも、これに関した話が出てきたのを覚えている。『義経』では、伊東祐清の父・祐親は、北条氏とともに伊豆で力のあった御家人であった。伊東祐清がまだ部屋住みの若者だった時、彼は伊豆の蛭ヶ小島の配所にいた頼朝を敬慕し、頼朝のもとに何度も遊びにいったのである。その時、自分の妹を頼朝に紹介し、妹と頼朝との間に子供(『義経』では千鶴となっている)が産まれたのである。頼朝は狂喜したが、祐清の父は、平家全盛の当時に源氏の舅となることは危険と感じ、一族の為にと、自分の領地の中の松川上流の轟ヶ淵へ、千鶴を家臣に命じて投じさせ殺したとある。平岩弓枝さんは、その話を、伊東祐清の家臣・荒井外記という人物を登場させ、彼にその子供を育てるためにどこかに隠れ住むよう命じることによって、小説を1つの虚構を創りあげたのである。

 義父の死後、血の繋がらない白拍子の姉・珠子は日陰の子である弟を世に出したい一心で、幕府の重臣の一人である安達弥九郎景盛の愛を受け入れ京に向かう決心をし、2人連れだって鎌倉へ下向した。
 鎌倉の安達弥九郎景盛の庵にいた智太郎は、ふとしたきっかけで、現将軍頼家の妻・若狭局の実家の一族比企家三郎是茂と知り合う。また姉の
白拍子は、将軍・頼家の近習により、強引に安達弥九郎景盛の庵から将軍・頼家のもとへ連れて行かれ、頼家の愛妾となる。頼朝の若い時と、瓜二つの面影をもつ智太郎も、次第に好むと好まざるに関わらず鎌倉の武家達の世界へ巻き込まれていく。智太郎の素性を知った北条政子や北条義時は、頼朝が築いた武家政治を己が一族の手中に収め源氏にかわり天下に号令するのが北条氏の夢だけに、智太郎の存在は一族のために脅威であった。それで、義時は猫(みょう)と呼ばれる宋人の密偵などを使って、あれやこれやと罠をしかける。
 しかし彼には、北条氏の専横は憎みはするものの、腹違いの弟である将軍・頼家を退けてまで将軍になる気はなかった。彼を匿った梶原平三景時は、陰謀の嫌疑で鎌倉から討手を差し向けられ滅亡する前に、昔縁のあった宗像水軍に、智太郎の保護支援を頼んでいたのであった。彼は、宗像水軍の船に乗り筑紫へ向かい、宗像水軍の風の御館(かぜのみたち)に迎えられ、そこでも彼の人柄や器量を知った宗像の人々は次第に彼を将来の頭領して仰ぐようになる。

 智太郎は、宗像一族の娘でもある澪という女性が宗像神社の春の祭典の時に、宗像水軍と日宋貿易で敵対関係にあった孫大人にさらわれた事件を契機に、中国へ渡る。どうにか、孫大人の魔の手から逃れることに成功するが、その事件を通して孫大人んの言葉などから、彼らが日本という閉ざされた世界での思考をしているのではなく、中国も含めた日本周辺の諸国の動きも頭に入れた思考をしていることにも驚き、彼自身その視野を大きく拡げ人間的にもまた大きく成長する。
 一方、鎌倉では、京から下向した公家などの影響を受け、将軍頼家が上洛を企図した。北条氏は、その裏に後鳥羽天皇などによる将軍頼家の傀儡化の策略の匂いを感じとるが、その計画を認め、話を前進させる。その将軍上洛の前打合わせの為幕府は人を京へ派遣させることになるが、比企三郎是茂がその人選に加えられる。ちょうどその頃、宗像のある島の領有をめぐって智太郎が宗像水軍を代表して上洛していた。比企三郎是茂は、上洛したのを機に、智太郎を鎌倉に迎え、専横を極める北条一族に対して反抗を企てようとするが・・・・・

 この作品は、本に書かれた解説によると、著者のかなり初期の作品であり、本格的な歴史小説としても初めてのものだったらしい。著者は、これを書くため非常に多くの史料を読んだらしいが、恩師の言葉「史料は小説の土台にするべきものであり、作品の裏付けとして活きていればいいのであり、それ以上は、小説が史料に振り回されることになる」という戒めをよくまもり、
非常に時代背景をうまく取りいれ、それぞれの人物も活々と描かれうまくまとまっていると思う。
 また主人公の考えも、年月を経ることに大きく成長していくのも1つの見所である。日本史において水軍というものが果たした役割は、教科書では今まで語られることは殆どなかったが実は非常に大きなものがあった。それらの歴史を深く調べたという平岩氏には、是非ともそうした水軍の裏面史なども一度もうちょっと突っ込んで書いてもらいたいと思うのは、自分だけではないのでは。

 最後に、今回、新刊でもないこの作品を取り上げた理由であるが、来年度(平成13年度)のNHKの大河ドラマが北条一族に関するものだというからである。実質鎌倉時代において政権を握っていた北条一族を描いた小説は意外と少ないのではないかと思う。この小説は歴史的事実から離れたフィクションも多いが、時代背景を知るというのには、なかなかいい参考図書ではないかと思う。

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