このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

書評(平成16年10月9日)

『天空の橋』(澤田ふじ子著:徳間文庫)

  今回も、澤田ふじ子さんの作品である。Book-Offで200円で買ってきた本である。

 話は、城之崎温泉で下働きしていた15歳の八十松(主人公)を、湯治に訪れた京の積問屋の主・高野屋長左衛門が、皿を割るという粗相の際したその受け答えから、その姫たる才能を感じる。そして、彼を京へ連れて帰って、京都五条坂にある京焼の窯元・亀屋に陶工として預けるのであった。高野屋には、同じ京の粟田焼より下と見られていた京焼を、何とか粟田焼より上にしようとの願いがあり、その一つの方策として、八十松の成長にもその希望を託したのであった。
 それで八十松は、亀屋に預けられてから、高野屋が粟田焼から引き抜いてきた元粟田焼の名工・喜助のもとで、みっちりと厳しい指導を受け、めきめきと成長した。そして京へ出て4年目、清水寺の大方丈で開かれた品評会で、八十松の作品は、近衛家諸大夫の進藤殿に一番で買いあがられ、高い評価を得るのである。

 しかしこのことが、五条坂を中心とした京焼同士の間で思わぬ騒動を起こす。新参者でありながら、そのようにメキメキと腕をあげる八十松に対して、他の窯元の子弟などからねたまれ、苛めにあうのであった。そんな彼を、窯元の亀屋や高野屋、それに御用絵師・土佐光孚などが、暖かく見守り支援した。八十松は期待に応え、挫けずに、更なる飛躍を企図する・・・・

 小説の中で取上げる史料や、あとがきなどから、この小説は、粟田焼と清水焼を中心とした京焼との間でおきた実際の揉め事にヒントを得て書いた話らしいことがわかる。主人公の喜助も実在の人物らしい。主人公八十松へのいじめも、澤田さんによれば、「かつて事実として行われた事実を、一部場面を変えて描いた」と述べている。ただしこの小説はあくまでフィクションであってノンフィクションではない。澤田さんは、事件の経過を克明に描くようなノンフィクションに近い歴史小説とはせず、あくまでもそれをネタに利用し、現代でも見受けられる苛めなどの問題を、歴史の題材を利用して書こうとしたのである。

 澤田さんは、あとがきで次のようにのべている。「現代は政治・文化などあらゆる分野で混迷が起き、なんの指針も見えない時代だ。科学文明の発達が、人間の精神を社会的にも個々の生活でもひどく蝕んでおり、それに歯止めをかける強い意志が望まれている。人として誠実に生き続けていれば、今は見えなくても、必ずおこかに理解者はいてくれる。そんな思いをこめ、私はこの作品を書いた。」

 一冊の小説ながら、場面の数が意外と少ない小説である(舞台向き?)が、最期の場面で、この小説のタイトル「天空の橋」の意味がわかるようになっている。と同時に、罪を悔いた恩人が、全てを清算しとった最期の行動に・・・・・
 とにかく色々な意味で深い感動を覚える作品となっています。

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください