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書評(平成17年04月29日)

『驪山の夢』(桐谷正著:新人物往来社)

 著者の桐谷正さんは略歴をみると、私より11歳上で、私が住む能登の隣り、富山県八尾町の生まれとあります。八尾といえば、哀愁を帯びた胡弓に合わせて踊る「おわら風の盆」で有名(少なくとも北陸では)な町です。私も富山に住んだことがあり、何となく著者を生んだ環境を想いました。

 この本は、「黒き龍」、「邯鄲の落日」、「高漸離と筑」、及び表題作の「驪山の夢」からなります。何れも秦の始皇帝と彼の一族に纏わる有名な故事を桐谷風にアレンジした作品となっています。

 1)まず「黒き龍」ですが、これは「史記」呂不韋伝の故事「奇貨居くべし」で有名な話を題材にしたものです。最近では、宮城谷昌光氏がまさに『奇貨居くべし』のタイトルで呂不韋を主人公とした小説を書いていますからそれを読んだ人も多いことでしょう。「奇貨居くべし」の故事の意味は(おそらく皆さん知っているでしょうが)一応書いておきましょう。 
 商人であった呂不韋は、秦の昭穣王の子でありながら秦とは宿敵の関係にある趙の国都・邯鄲で人質となって冷遇されていた若き日の子蘇(始皇帝の父)を、奇貨とし、その後ろ盾になります。そして、彼の財力を使って秦の太后などに取り入り、子蘇を皇太子とすることに成功し、秦の丞相にまで出世したことが成句になったものです。

 この「黒き龍」の話には、他にも秦の始皇帝の生まれに纏わる謎(秘密?)、つまり子蘇が呂不韋の寵姫を、もらい受け皇后となったため、始皇帝が呂不韋の子ではないかという謎や、偽の宦官・ろうあいと母・太后との関係など、中国歴史小説好きな人にはお馴染みの話が、大変上手く纏められているという感じがします。
 
 2)「邯鄲の落日」は、趙を攻め落とし、三晋(魏・趙・韓は晋が分裂し出来た国)を支配下に納めた始皇帝が、趙の都・邯鄲に出御し、起こる事件を題材にしています。秦王・政(後の始皇帝)は、子蘇がまだ邯鄲に人質としている時代に生れています。政は、呂不韋の趙への敵対心の焚きつけもあったために、生れ故郷としての懐かしさなど殆ど無く、趙に怨みのみ多く抱いていたようです。政は、邯鄲に着いてから、将軍・王翦(おうせん)から30数年前の長平の戦い(世界史上おそらく最大の40万人の(趙人)穴埋事件はこの戦いの後起こった)の模様を聞き出し、非常に興味を抱きます。そして政は、邯鄲の宮殿で、趙の長老達から子蘇が邯鄲に居た頃の話を聞き出した話を記録させ、その後、王翦にある命令をするのですが・・・。

 3)「高漸離と筑」の高漸離は、始皇帝を殺そうと狙った人物の一人として有名で、同じく始皇帝を狙った荊軻(けいか)とは盟友にあたります。私は、中国の詩の中では、実は荊軻が、刺客として旅立つ時に易水河畔で歌った詩が一番好きです。
 「風蕭蕭として易水寒し(寒く)、壮士一たび去りて復(ま)た還(かえ)らず」 
 この何とも言えない悲壮感・志士の気概があふれていて、武士の魂にも通じるものではないでしょうか。盟友であった高漸離は荊軻が、この詩をうたいながら刺客として秦へ旅立つ時、易水で見送ってます。

 この本であまり詳しく書かれていない荊軻の事をここで書くと、彼は、燕の国の太子丹の使者として、燕の樊於期将軍の首と燕南部のある地方の地図を携え、始皇帝に目通りをします。そしてヒ首を地図の巻物の中に隠して始皇帝を狙う機会を探ろうとしますが、使者として同行した秦舞陽が緊張で震えだしてしまい、いい機会を得られず、已む無くヒ首を抜き、逃げる始皇帝追い掛け回しながらヒ首を投げつきますが、あいにく僅かにの差ではずれ失敗してしまいます。

 この失敗の後、盟友であった高漸離は逃げることになり、7年間の間、南部の地方の小作として働き、身を隠します。しかし、筑の名手であった高漸離は、ある日、主人の家の来客が筑を弾いているのを聴き、ついつい聞きながら奏法の批評をしてしまったのを、主人に見つけられてしまい、筑の名手であることがバレてしまいます。筑の名手現るの噂は直に広まり、それから一月程で、皮肉にも始皇帝の前でその腕前を披露することになります。始皇帝も彼を気に入り、始皇帝お抱えの筑の奏者となるのですが、彼が荊軻の盟友であることを知るものがそれを始皇帝に奏上。果たして高漸離は如何に・・・・・。

 3)「驪山の夢」は、始皇帝没後の帝位継承をめぐる混乱の一番最後に殉死した公子高が、驪山陵の横の殉葬墓に入るまでの話です。始皇帝は、BC210年、巡遊先の沙丘平台で崩御します。亡くなるに際し、始皇帝は長子・扶蘇を後継者とする旨を遺言し後を託します。しかしその扶蘇は将・軍蒙恬(もうてん)と伴に漠北の地で国境警備についており、その状況を利用し、宦官の趙高がその遺言の璽書を改竄、丞相の李斯も説き伏せ、自分が仕える末子の胡亥を後継として指名されたと公表します。そして長子・扶蘇は、偽の璽書と刀を送り自害させ、その後見人である蒙恬も、捕え殺してしまいます。そしてその後も、次々と公子を殺し、公子高と胡亥の二人だけになるまでに26人もの公子が殺されることになります。

 公子高と胡亥は、同母兄弟だっただけに公子高は最後まで残りましたが、胡亥が二世皇帝となった以上、魔の手は逃れる訳にはいかず、高は妻子の事を考え、父(始皇帝)の御霊をお慰めしたいと、殉死を申し出ます。殺さずに殉死するという提案に勿論、趙高は喜び了承し、高は、石棺を驪山まで曳いていく葬列に生きたまま付き従い、殉葬墓に入るという異常な経験をすることになります。主人公・公子高の心の動き、生きたいという気持ちと殉死せざるを得ない状況に至った気持ちの間での葛藤、また胡亥や趙高の冷酷な心境などを、巧みに心理描写した秀作となっています。

 現在、公子高の殉葬墓と想定されるのは、まだ確定にまで至っていません。しかし「驪山の夢」の話に限らず、4作とも、考古学的史料など、歴史的にもかなり当時の事を考証した上での作品となっており、歴史好きの方にも、一読の本と言えるのではないでしょうか。
新人物往来社 1996年2月28日初版発行 ¥1800-(税込み) 見開きB5版サイズ

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