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書評(平成17年06月13日)

蝉しぐれ』(藤沢周平著:文春文庫)

  読書好きならご存知の方も多いと思いますが、この小説は、藤沢周平の代表作の一つです。実は私は、この本をもうかれこれ十数年前に一度読んでいます。私が読んだ彼の作品の中では、一番感動した作品かもしれません。なぜこの本をまた読みたくなったかというと、私のHPを訪れてくれた方(sakuraさん:gooの簡易にカキコミ)から、今年の10月映画化されるという話を聞き、昔の感動も思い起こされると同時に心がまた惹きつけられ、無性に読んでみたくなったのです。
 しかしながら読み始めてから、色々と多忙となり、この本を読むのに実は2週間近くもかかってしまいました。<(^^;
 そういう意味でも苦労した読破であり、今回書評に取り上げてみようかと思った訳です。

 小説の内容を少し話しましょう。舞台は、作者の藤沢周平がよく用いる庄内地方にあったと設定している海坂藩という架空の藩であります。普請組・巻助左衛門の息子(養子)で主人公の文四郎は、海坂藩の下級藩士の子供として最初はごく普通に暮らしていて、居駒塾や石栗道場の仲間である小和田逸平や島崎与之助といった友人とともに自分の才能を伸ばそうとしている少年でした。しかしある日突然父・助左衛門が、捕えられます。そして藩の監察を受け、最終的には切腹させられます。理由は、藩政を乱そうとしたという内容でしたが、実際は、藩主の継嗣問題が絡んだ政権抗争であり、文四郎の父がそれに関わっていたのでした。

 事件後、文四郎の家の取り潰しはどうにか避けられたものの、家禄を1/4に減法、家屋も狭い汚い家に移されます。外では他の藩士からは冷たい眼で見られたり嫌がらせを受け、母と文四郎は冷や飯を食うことになります。そんな境遇を文四郎は剣の修行に精進することによって捌け口を見つけ耐えるのでした。そしてある日突然、父を亡き者にした政争の相手方の首謀者から、呼び出しを受け、どういう訳か、家禄を元に戻す内示を受けるのです。

 文四郎は最初正直喜んだものの、何人かが彼に次のように忠告しました。これは藩から完全に許されたのでは恐らくなく、いつか相手が牙を剥くかわからないから気をつけろ、と。文四郎は、甘くはない現実を感じさせられ、また彼の処遇に関しても裏があることを後で思い知らされることになるのだが・・・・

 毎度のことですが、あまり粗筋を書くと、これから読む方の楽しみを奪うことになるので、この辺にしておきます。とにかく主人公が、藩の政争や剣術の修行などを通して、ひとりの少年藩士として成長していく姿を、読者が少年の頃抱いたあの純粋で瑞々しい心に戻してくれるような感性・筆致で情景を描いたすばらしい作品です。ストーリーの展開も面白いのですが、単なる時代小説以上の、純粋小説をも凌ぐ感動も与えてくれます。

 たとえば隣りに住んでいた、ふくという幼馴染との淡い恋、大人になってまでつづく想いを描いている部分も、多くの大人が経験する(?)思い通りにならない人生・運命の哀愁を感じさせてくれる。特に私にも経験あるが、順調だったのに、関わり合うお互いのちょっとした齟齬で、運命が大きくズレてしまう。また若き日の正義感というか純粋な心が、己が権勢だけ守ろうとし組織や下部の者を省みようとはしない勢力に反発した気持ち。そういう若き日の事を思い返すと、少年の心を持った頃のことが懐かしく、いつまでもあの頃の気持ちは忘れたくないと思ってしまいます。

 最終章での、抗争から二十余年経ってからの主人公とその想いの女性・ふくとのやりとりを読んでいて、私は映画の「カサブランカ」をなぜか思い浮かべてしまいました。忍ぶ想いの部分がどこか大人的で、名状しがたい哀愁を感じさせてくれるところが似ているのでしょうが、こういうのは最近流行らないのか(?)あまり見られないだけに、二度目の読書でしたが、またまた新鮮な気持ちにさせられました。
 
 感動を伝えたいだけに、ああ結局、最終的には内容を書きすぎてしまったかな。<(^^;
 とにかく皆さんにも、ぜひご一読お薦めします。
文春文庫 1991年7月10日初版発行 ¥629-(税込み) 

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