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『ドンネルの男 北里柴三郎(上・下)』 (山崎光夫著:東洋経済新報社) |
私は、子供の頃からどういう訳か、シュヴァイツァー、ジェンナー、パストゥールなど医学関係の研究者の伝記が大好きである(そのくせ医者になろうと思ったことはないのだが)。ただし日本人では、野口英世など以前何種類かの本で読んだことはあったが、北里柴三郎の伝記は今回初めてだった。その師コッホについても詳しく知ったのは今回はじめてかもしれない。今まではどちらかという同じ細菌学関係でも2大巨頭のもう一方のパストゥールを沢山読んでいた。 北里柴三郎といえば、(個人的な思い出話ですみませんが)昔東京に住んでいた頃、叔母の家へ遊びにいった時、近くに北里研究所があったのを思い出す。叔母の家は恵比寿3丁目にあり、白金台と向かいあう交差点に近いところに宝来湯という銭湯をしていた(今はもうない)。その交差点を白金方向に渡り、首都高速の下も抜けて少し行くと、北里研究所があった。なつかしい東京の思い出である。個人的などうでもいい話になってしまった。話を戻す。 上巻では、破傷風の純粋培養、免疫血清療法の発見、ツベルクリン療法の研究などの話が出てくるが、読んでいて、なるほどこれはすごいと思った。世界中の誰もが破傷風菌の純粋培養が出来ぬ為、破傷風は単独で存在できぬ、他の菌と共生でしか生きられぬとする中、コッホの三要件を信じて、実験のやり方を色々変えて工夫し、ついに破傷風の純粋培養に成功、さらには現代の「抗体」にあたるものを発見し(北里は「抗毒素」と命名)、免疫血清療法の基礎まで提示するに至っている。 そしてそれを同じコッホの助手であるベーリングの研究テーマ・ジフテリアの研究に、ベーリングとの共同研究という形で応用し、ジフテリアの血清療法の発見にも成功している。後年ベーリングはこの功績で第1回ノーベル医学・生理学賞を受賞する。北里もこの時、候補にあがっていたが、人種差別や、、あだノーベル賞が始まってまもなくだったことなどもあり選定作業に、問題があったりしたのだろう、受賞できなかった。 下巻では、赤痢菌を発見した志賀潔や、野口英世も、登場する。北里が所長を務める伝染病研究所に両人とも勤めていたからだ。ただし野口は、その杜撰な性格から、北里のドンネル(雷)が落ち、外に出されてしまったようだが。その他にも色々有名人が登場する。森林太郎(森鴎外)も、陸軍軍医総監・陸軍省医務局長として登場する。北里が、ドイツでコッホのもとで留学していた頃、北里を訪ねて彼もコッホのもとで研究に従事したことがあるようだ。 ただし緒方正規(東大出身)の脚気の病原菌説に、北里が反論するようになってから、その脚気菌説を指示する森を含めた東大派と、北里は次第に確執を深めるようになり、関係は、あまりよくなかったようだ。この脚気の原因をめぐっては、以前『白い航跡』(吉村昭著:講談社)で読んだことがある。慈恵医大の創立者ともなった海軍省の医務局長の高木兼寛が、病原菌が原因ではなく、栄養面ではなかろうかと、白米主義をやめ海軍にパン食や米麦混合食を用いて効果を挙げたのに対して、陸軍は森を中心に脚気菌説を固守し、日清日露で多大な犠牲を出し続けた。結局1910年同じ日本人の鈴木梅太郎が、脚気はビタミンB1の欠乏が原因と解明し、高木の栄養学説が正しいと判明することになる。この辺は、この小説でも詳しく出てくる。(前にもどこかで書いたが)森の医学関係の記事を読むと、どうも彼に対していいイメージが湧かない。 上海のペスト調査に出かけた北里は、ペスト菌も発見する。ただしグラム染色の判定を陽性(現在ではペストは陰性と判明)と判定したことから北里と確執の続く東大派から疑問なども呈せられるが、形体など他の記述などからすると、ペストを発見したことは間違いないようだ。この時東大派の(解剖学の)青山胤通も一緒に出かけているが、調査の途中ペストに罹り、思い通りの実績があげられなかっのに対して、北里がまた功績をあげ東大派に差をつける。 この東大派との確執は、伝染病研究・細菌学をめぐる主導権争いとなり、下巻の「怒涛の秋」の章で、泥仕合が演じられる。私が知っている白金台の北里研究所は、北里が所長を務めた伝染研究所が、青山など東大派の画策で文部省管轄になった際、北里が伝研を辞め、国から独立した研究機関として出発したものらしい。 また忘れてはいけないのは、北里と福沢諭吉の関係だろう。彼自身は慶応義塾の出身者という訳ではなかったが、彼が留学から帰国してからずっと支援をする。北里は何度も研究所を移転しているが、最初の研究所を提供したのも福沢であったし、その後もずっと最大の支援者であった。そして北里は、その謝恩から福沢の遺志を継いで、慶応義塾大学に医学部を創設することになる。北里は、他にも日本医師会の初代会長であったようだ。 最後に、書評といいつつ、また小説のあらすじの紹介となってしまった。面白さが半減したかもしれないが、とにかく面白い小説である。一度自分で読んでみることをお薦めします。 |
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