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書評(平成17年08月31日)

『蒲桜爛漫〜頼朝の弟・義経の兄 源範頼〜
(堀和久著:秋田書店)

 七尾市サンライフ内の図書館でこの本を見つけた。源範頼を主人公にした小説などそうないだろう。数年前から私のHP内に、源範頼の子孫といわれる能登吉見一族のコーナーを設けているだけに、これは是非読まねばならないと思い借りてきたのだ。
 
 掘和久氏の作品だけあって、源平の戦いを範頼の中心にコンパクトにうまく纏めたなかなかの秀作ではなかろうか。この小説では範頼が幽閉される事件の部分とその最後は、簡単に触れられているが、伊豆の修善寺でなくなったという終わり方ではなく、その後隠れて石戸郷の蒲桜の近くに夫婦2人で隠れ住んで余生を過したとなっている。現在彼についていくつか残る伝説の一つを採っている。

 実は範頼&能登吉見一族ファンを自称する私の眼からすると、この作品は、私が彼について以前から知っている内容と比較して、それほど目新しい内容は特になかった(しかしながら最近、 能登吉見一族関係のコンテンツ をほとんど更新していないので、これを機会に、その先祖と言われる 範頼の説明 を含めて、また更新しようかとも考えている)。

 とは言え、この小説がつまらないという意味ではない。私のように以前からの彼のファンでない方には、現在放映中のNHK大河ドラマ「義経」で知る範頼の人物像と違った姿を多く発見することが出来、また今までとは違った視点から、源平合戦を見直すことが出来、非常に新鮮に感じるのではなかろうか。

 範頼は、義経と比較され、あまりにも義経の活躍が目立っただけに、合戦当時以来、無能の大将のように評されることが(いまだに)多い。しかし彼に注目して再考証してみればすぐわかることなのだが、実はやることはちゃんとやっている人物なのだ。

 義朝の弟、志田(源)義広の挙兵後の勢いを削いだ初陣。木曽義仲との戦いの京都の攻略では、範頼が大手の総大将として必死の敵の主力と戦っていたから、搦め手の義経の奇襲が功を奏した。同様に一の谷の合戦でも、敵の主力が守る東の生田の木戸を、大手の総大将として範頼麾下の源氏軍が奮戦し、難攻の木戸を破る激戦にまで持ち込んでいた状況だったから、鵯越の逆落としがさらに効果を挙げたのであった。

 中国以西の範頼の征西も、いまだに評価は低いが、あの当時、源氏に水軍は無かったし、伸びきった軍の補給を確保するのは困難な事であったのだ。西国を基盤とした平家に瀬戸内海の制海権を握られたままのそんな苦境の中で、中国から九州の豊後にわたり、九州を制圧し、平家の退路を絶ったことが壇ノ浦の戦いでも活きた訳である。

 義経の屋島の戦いは、熊野水軍や伊予水軍が味方した後で、源氏方に有利な状況が現出した後での戦いだし、壇ノ浦も、瀬戸内海の水軍の協力なくしては、義経の八艘飛びの活躍くらいでは勝てなかったであろう。範頼が源氏軍を纏めていなかったら、義経のような遊軍的活躍のみでは、梶原景時の批難ではないが、おそらく源氏軍は支離滅裂に分裂していたことであろう。

 勿論彼の奇襲能力はすばらしい冴えがある。私は何も義経嫌いではない。彼がいなかったら、同じ戦いをしても負けた戦いもあろうし、でなくとも、もっと効果が小さかったろう。ただそうではあっても、平家討伐にあっては全体的にみても、義経と同等くらいに範頼率いる源氏軍の貢献も非常に大きかったといいたいのである。

 それでも範頼に対して低能と固定観念のある人には、範頼が貢献したのではなく、武将達が彼の低劣な指揮の下ながら、何とか活躍したのだという人もいよう。が、それもこの小説の中で言っているが、彼が困難な状況の中で軍を纏め、武将の士気を鼓舞して勇猛果敢に奮戦させたのである。

 この作品は、源平の戦いの源氏側の総大将でありながら、従来無視されがちであった範頼に焦点を当て、そんな彼を再評価してくれる作品となっている。頼朝の冷酷な処遇に耐えながらも、その指示に従い忠実にその役割を果たす範頼、地味であるが、その誠実で純朴な性格や生き方に私は多くの点で共感している。現代社会における一つの活き方としても参考になるのではなかろうか。色々な意味で、私としては皆さんに是非ともお薦めしたい一冊である。

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