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『藍色のベンチャー』(幸田真音著:新潮社) |
著者は幸田真音(こうだまいん)さんで、証券・金融などの最先端の経済小説が得意な女性作家である。『日本国債』、『小説ヘッジ・ファンド』、『凛冽の宙(そら)』、『偽造証券』など、この分野では男性作家以上に今一番鋭いものを書き、一番の売れっ子である。私も大のファンである。 この本は、著者がはじめて書く経済歴史小説である(ただし2年前の2003年の作品である)。 粗筋だが、舞台は作家の故郷の近江(滋賀県)・の彦根藩。時代は幕末。 文政11年(1828)、彦根の絹屋半兵衛という呉服古着屋の主人が、京へ古着を仕入れに行って、京焼をみたりしているうちに、当時流行していた藍色の染付磁器に魅入られてしまう。土ものと呼ばれた厚手の焼き物に対して、これらの染付磁器は、薄手で硬く、石ものと呼ばれ、当時の最先端産業であった。半兵衛は、自分でも同じような焼き物を作ってやろうと思い立つ。結婚して約1年の妻・留津(るつ)に相談し、反対されるが、決意は固く、新事業としてはじめる。 京都の窯で働いていた有田出身の昇吉を引き抜き、他にも喜平他何人か雇い入れた。昇吉の意見を聞き、晒山に最初の窯を作るが、第一回目の窯焼きは大失敗に終わる。昇吉も心を入れ替え、再度取組み、2回目には何とか、品物が出来る。そしてその2回目の窯出しの日に藩主・直亮(なおあき)が見学にみえる。直亮は刀剣や焼きなどの調度品の無類の収集家であった。藩主参観の栄誉も受け、窯は藩や人々の注目を浴びる。 その後、佐和山の麓、餅木谷に窯を移し(以後この山は茶碗山とも呼ばれるようになる)、窯は徐々にいい作品を焼き上げていく。湖東焼という名もつける。この時期に、半兵衛は埋木舎(うもれぎのや)に藩主の子でありながら部屋住みとして暮らしていた鉄太郎(後の井伊直弼)とも出会う。鉄太郎は、焼物や商いについて半兵衛と話したりした。また絹屋の窯を借用してもらい、自身皿なども作ったりした。 ある日、窯の壁が崩れて棟梁の昇吉が下敷きになり、手の指を潰し、焼き物が作れなくなる。それでもその後を、喜平他が引き継ぎ、何とか軌道に乗せる。しかし窯を何度か作り直したりして資金繰りが厳しくなり、藩から二度に分けて、銀20貫目を借用してしまう。これを元手に何とか事業を拡大しようと頑張るが、思うように販路を拡大できず、逆にこの融資が引き金となり、藩窯として召し上げられることになる。(ここまで上巻) 半兵衛は、今まで湖東焼の事業を軌道に乗せるために苦労や費用を考えると、ただ同然で召し上げられるのは納得がいかず、嘆願書を出し、次のような三か条の要求する。1つは佐和山の土石採掘権料や、土地建物にかかる年貢は藩が肩代わりする。2つめは、借用している20貫目の御用銀は、無利子30年賦の返済とする。三つ目は、窯場の設備や什器は藩が相応の額で買い上げる。 嘆願書の最終的な回答はなかなか得られず、半兵衛は、瀬戸物問屋の株、つまり藩が焼く湖東焼の販売問屋としての株をもらい、ほそぼそと湖東焼とのつながりを持ちえた。藩はそののち窯の事業を拡大し、陶工なども各地から引き抜き、湖東焼の技術も向上させるが、上等な作品は皆、彦根藩が他藩への贈答品などに使い、販売用は粗末なものばかりだった。 半兵衛は、湖東焼の発展を願い、藩外への販路拡大を夢見るが、困難がたちはだかる。そんな中、鉄太郎こと直弼が井伊家の当主となる。直弼は領内巡回を積極的に行い領民の声を出来るだけ聞き、統治を行おうとする。湖東焼においても、さらにどんどんいい陶工などを呼び寄せ、すばらしい作品を作れるようになる。 しかし直弼が、藩主となって8年目に、大老に就任する。直弼は藩政のみならず、日本の重大な局面にあって、舵取りをすることになる。・・・・・・ 最後まで粗筋を書くと、これから読む人の楽しみが半減してしまうので、この辺でやめておく。 私は、井伊直弼に関しては、舟橋聖一の『花の生涯』、吉村昭『桜田門外ノ変』、幕末維新もの(例えば橋本左内関係など)沢山の小説で読んできた。悪者になったり悲劇の人となったり、本によって様々に描かれていた。というより様々な面があったということであろう。半兵衛のよき理解者であった井伊直弼も、藩主となってから、窯を大きく発展させるが、時代は混迷を極めたペリー来航前後の幕末。大老となった直弼は、アメリカと勅許なしに通商条約を結び、尊皇攘夷派の凶刃に倒れたこと(桜田門外ノ変)は、皆さんも歴史の教科書でご存知であろう。 史実を踏まえての小説とは言え、私としてはちょっと不満だったのは、上巻を読んだまで感じでは、下巻では半兵衛が藩に対して、自分が築き上げた「湖東焼」の窯を取り返す反撃に出るのかな、と思わされたが、嘆願などするが、結局はそのまま、つまり召し上げの状態のままで最後に至ったからだ。この結末、半兵衛の死、直弼の死、それぞれ目標に向かってある程度邁進はできたものの、最終的な夢はかなえられず、死んでいく。読んでいて何か辛く悲しい話であった。 人間の生涯などというものは、これが一般的であって、夢が全て叶うなど稀、いやまずほとんど無いのだ。大抵は次代の人々に夢・意思などを継承してもらえれば良い方で、それで期待できれば満足するしかないのである。歴史の真実は、だからいつも厳しいものなのだ。生きるということを、色々と考えさせられ、感慨深く、読み終えた次第である。 小説の中では、半兵衛ともう一人の主人公である妻・留津が、半兵衛を一生懸命支え、ほっとさせてくれる。意思を表に出す彼女には、何か現代の賢いチャーミングな女性を想像させてくれる。これは幸田さん自身を、この留津というキャラクターの中に投影させたのではなどとも思ったりした。ハハハハ、また女性作家好き(というか作品が気に入るとすぐその女性作家に惚れてしまう)源さんが、幸田さんにもまた惚れちゃっただけかな。<(*^_^*) あとがきの中で、著者の幸田さんは、湖東焼と出会ったのは、30年以上も前のこと。彼女の兄が古い陶磁器を収集していて、それらの皿を見せてくれたのが契機だそうだ。その中の一枚、彼女が特に魅かれた皿が(彼女の)地元の湖東焼で、その由来なども兄から聞き、以後彼女は湖東焼や井伊直弼に関する資料などを収集してきたらしい。膨大な資料を集めたようだが、彼女が残念に思ったのは、その中に女性の記述がほとんどなく、あっても「女」とか「妻女」と書いてあるだけで名さえ記されていないことであった。それが逆に留津といキャラクターを作り上げ、このような愛情あふれる夫婦物語に仕立て上げたようだ。 つまりこの本は、辛く悲しいが、愛情あふれる夫婦の生き方に心救われる作品なのである。よかったら皆さん読んでみられてはいかがですか。私も強くお薦めします。 |
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