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書評(平成18年01月12日)

『沙門空海唐の国にて鬼と宴す
〔全四巻〕(夢枕獏著:徳間書店)

  全4巻とも、ボリューム的には、470ページ位と、かなりの厚さであったが、夢枕氏の本は、会話部分が多いのと、テンポよくよめるので、最後まで読み続けるのに苦痛はほとんど感じなかった。この作品はタイトルを見てわかるように空海の渡唐を題材に構想された伝記作品である。
 
 以前読んだ夢枕氏の『涅槃の王』は、仏教の教祖・釈迦を主人公とした超伝記大河であったが、今回の作品は、これまた日本仏教界の天才・空海を主人公としている訳だ。

 でも『涅槃の王』を想起させるというよりは、安倍清明を主人公とした陰陽師シリーズ(もちろん夢枕氏の著書の)を想起させる作品だなあと、まず感じた。陰陽師の清明・源博雅コンビが、空海・橘逸勢(たちばなのはやなり)コンビと非常に似た関係にあるのだ。彼らの会話や問答の仕方もよく似ている。

 私は空海にはかなり興味があり、彼については、司馬遼太郎氏や、陳舜臣氏、ひろさちや氏などのなどで色々読んで知っている。この本を一巻読んだ限りでも、夢枕氏は、空海についてかなり下調べをされているのだなあと感じた。空海が唐で密教の修学(吸収)のみならず、梵語や、拝火(ゾロアスター)教、景教(ネストリウス派キリスト教)など様々なことにも興味を持って吸収していったことなども、小説の中にうまく取り込まれ、出てくる。

 小説の中には、白楽天(白居易)や、安倍仲麻呂(中国名:晁衡)、李白、玄宗皇帝、安禄山、楊貴妃、韓愈など多くの歴史上の人物が登場する。時空を超えた伝記小説といった感じである。まあとにかく、今回もあらすじをいかに述べよう。

 空海らを乗せた遣唐使船は、嵐に遭い、4艘の船団のうち、2隻が行方不明になってしまう。空海が乗る船も風波に弄ばされた後、唐の福州に命からがら何とか漂着することができたという悲惨な目に遭った。その後も、なかなか倭(日本)の正使であることを認められず、上陸さえできなかった。しかし、空海が嘆願文を書いたのを契機に、事態は急変、正使として認められる。やっとのことで空海と橘逸勢たちが長安にたどり着いた時、徳宗皇帝が最近亡くなったことを知らさせる。そしてその息子の順宗も、脳溢血で倒れたりして病弱でいつ亡くなるともわからない状態にあった。

 空海と橘逸勢たちは、そんな暗い雰囲気にある長安で、黒猫の妖物がやってきたことによって起こる劉雲樵の家の怪異、徐文強の綿畑で起こった俑の妖物の怪異、長安の街路で夜な夜な立てられる順宗の死を予言する札の話を耳にする。

  興味をかきたてられた空海は、のめり込むかのようにそれらの事件に関わるようになる。そしてこれらの事件が、単なる恨みによる呪いなどのようなものではなく、玄宗皇帝が生きていた頃の話まで、その因果が遡り、安禄山の反乱やその時に起きた楊貴妃の殺害の事件にまで絡むことをつかむ。事件解明のために空海たちが、楊貴妃の墓を暴いたり、怪異のあった綿畑を調査するうちに、安史の乱の際起きた楊貴妃殺害などの事件が、一般的に知られている事とは異なる事実があったことを知り、唐王朝の秘密が次第次第明らかとなる。

 そして空海は、これらの事件の鍵となる、安倍仲麻呂(中国名:晁衡)から李白宛に書かれた手紙を、仙人の丹翁から与えられ読む。この三人(安倍仲麻呂・李白・丹翁)は、安禄山の反乱が起きて玄宗が蜀へ逃げる際、付き添った者たちであり、護衛兵の反乱があった際、彼らの要望により楊貴妃を殺害することになった現場に居合わせた者達であった。

 楊貴妃がその際、殺されたのではなく、胡の道士・黄鶴の提案により尸解(しかい)の法を用いて、いったん仮死状態にされ、墓に入れられ、後に掘り出されたことが、その手紙ではっきりする。空海が柳宗元に、その手紙の内容を話すと、(空海は柳宗元から)現在唐王朝を悩ます事件の原因であると思われるその呪法の正体を暴くよう依頼され、ますます事件にのめり込む。

  またその頃、空海が密教を伝授してもらおうと考えていた青龍寺の恵果は、宮廷で順宗にとりつく邪気を払うため業を行っていたが、苦闘しなかなかうまく効験が出なかった。

 空海は、先の手紙とは別のもうひとつの手紙、玄宗の宦官・高力士から晁衡宛てに書かれた手紙も、またもや仙人の丹翁から与えられ読むこととなる。そして過去の事件の背景の概要をあらかた知る。その上で、楊貴妃とかかわりの深い驪山の華清宮で白楽天らとともに宴を催し、事件の真相に一気に迫る。  

 あとがきで、著者の夢枕獏氏は、この作品を自画自賛している。2004年8月この小説の執筆を終えたらしい。それまでに18年の歳月がかかったようだ。この作品は、空海が唐にいた頃の人物だけでなく、過去の者たちまで含め、色々な者たちが事件に関わり、事件に関係する様々な人々の思いも錯綜し、さらにそれらが企図した者さえ思わぬ結果となって反映し、事件は混沌とした様相を呈することとなる。それが作品に奥行きを与え、わくわくしながら読み進めさせてくれる面白さとなっている。

 これもまたあとがきを読んで思ったことだが、私は、小説というものは、ある程度結末までにいたる過程というかストーリーの大枠を考えてから、書くのかと思ったが、密教の面白さを知り始めた頃に、見切り発車し書き進めながら、どうにかなるだろうと書き続け、これだけの傑作を完成させたらしい。作家になるためには、小説の全体を構想してから書こうなどと思うと、書けないものなのかなあ、と考えさせられた。

 とにかく文句なく面白い小説である。ただ1つ残念なのは、冒頭近くにも書いたが、私から見れば、この作品の主人公である空海と橘逸勢コンビは、陰陽師の安倍清明と源博雅コンビとあまりキャラクター的にも違いは無いように思う。この作品では、陰陽師とはもうちょっと違ったキャラクターを出して欲しかった。
 まあそれ以外は、長編伝奇小説としては充分合格点であろう。もちろん、皆様にも是非お勧めしたい作品である。
 
 最後に、書き忘れたが、この作品は、青龍寺の恵果から空海が、金剛界退蔵界両部の密教の奥義を灌頂され、日本に帰ることになるまでの話が書かれている。悲劇性や哀切感なども感じさせてくれる作品ではあるが、最後は、そういう意味では、メデタシめでたしのハッピーエンドの話ともなっている。 

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