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書評(平成18年03月01日)

『海国記 平家の時代(上・下)』
(服部真澄著・新潮社)

 服部真澄氏の著書は初めて読む。男性か女性か判別しにくい名だが、女性とのこと。副題に平家の時代とありますが、普通の平家物語と異なり、この小説では、平家の中で最初に登場するのは平正盛からとなっています。
 
 この平正盛は、清盛の祖父にあたる人物です。時代は、白川院が院政を行っていた時代で、正盛は、まだ検非違使の役人として働いていたにすぎない頃から始まっています。水竜という楫師が鳥羽の顕季の屋敷に紛れ込んでしまったのを正盛が捕らえた事件から、当時の実力者、藤原顕季や藤原季綱と出会い、また宋国人陳志という人物を知ります。

 正盛は、陳志が藤原季綱との交易のためにもたらした財物の受け取りに、水竜や陳志、藤原季綱とともに、玄界灘まで出向きます。その際、海を利用した物流の実態(密貿易も含めた)を知ります。そしてその後、顕季、季綱の引き立てや、真砂という妻となる女などの助力も得て次第に出世し、武功も重ね、受領となります。

 白川院から鳥羽院の御世になり、再び藤原摂関家が実力も持つ時代になると、季綱の家は彼らが亡くなると衰退していくが、平家や正盛、また顕季の家系の長実や家成などは引き続き、鳥羽院の覚えめでたく、また息子の忠盛も、同様に出世していきます。正盛亡き後も、孫の清盛も受領として安芸の国守となります。(以下 下巻に続く)

 この小説の中では白川院の愛妾・祇園女御は、水竜が昔連れて一緒に仕事をしていた女(千鳥)となっており、また清盛の母となる二の君は、表では祇園女御の姪となっているが、(水竜の仲間内にしか知られていないが)実は祇園女御の娘(水竜と祇園女御の間に生まれた娘)という設定になっている。
 この女性たちと、男たちとの関わりが、小説に仕立てるにあたってうまく利用されているように思う。

  また平家隆盛の経済的側面を注目しており、当時頻繁に行われた神社の勧請などといった事柄も、そういった側面からその仕組みが描かれたりしていて、そういう観点から読んでも非常に興味深い箇が多々あります。当時の寺社や公家の荘園がいかに伸張していったか、歴史の教科書ではあまり具体的には書かれていないことなども、この小説を通して理解できます。(以上上巻までの感想他)

 (以下下巻について)

 平清盛の祖父・平正盛を引きたてるきっかけとなった藤原季綱の孫の、高階通綱は、祖父ゆずりのその学識や能力を縦横に政治に活かすことを望むが、なかなかかなえられず、前巻の終わりの方で、出家し信西と名を改めます。

  ところで一時は武家の棟梁としての地位を築きつつあった源氏は、源義家のあと、その子義親の代で公領横領など反朝廷的態度から追討の命を受けた正盛に誅せられ、その後、その子為義・孫義朝の代で少し持ち直す。

 保元の乱で、後白河天皇側が勝利した。源義朝は活躍したにもかかわらず、平清盛と恩賞で差をつけられてしまいます。清盛が出世した他、信西や藤原邦綱などが台頭し、信西は思う存分その辣腕を振るうようになります。

 その後、後白河院の近臣として勢力を伸ばした藤原信頼と、信西が対立し、彼は自派に源義朝をとりこみます。そして清盛が熊野詣に出た隙を狙い、平治の乱を起こしますが、結局破れ、義朝は殺され、戦後処置で源氏はほぼ完全に勢力を失ってしまいます。しかしこの乱の最中、信西は自殺に追い込まれ、清盛は一番頼りにしていた助言者を失います。

 平家は、全盛を極めますが、この頂点のさなか危機がはじまります。後白河上皇は、統治の能がなく遊興仲間である藤原成親や藤原師光(西光)ら近習を重用します。そして清盛との間に次第に齟齬をきたします。

 清盛は、加賀守師高と同目代師光の兄弟(師光の子息)と叡山との間での騒動(この事件は私のHP本宅の 白山関係のコンテンツの「白山信仰とその歴史」 でも採り上げています)などの事件から、後白河方との対立を深め、清盛はそれまで自分を支える勢力であった叡山との関係にも罅(ひび)が入ります。その後も清盛側の地盤の根源である庄などが、後白河方にどんどん奪われ、ついに鹿ヶ谷の陰謀を知った清盛は関係者を捕縛弾圧します。そして上皇に対しては罪を問わないものの、執政は停止させました。

 しかしその後の清盛の政治は、今まで彼の味方であった勢力・神人や運京の民、お山(叡山)などを次々と背かせてしまいます。たとえば福原造営のために運京の民に賦役を課し反感を買ったりした。以仁王が平家追討の院宣を諸国に配すと、一時は陰謀は見破られ、源三位頼政などをつぶしたが、抵抗はおさまらず、福原遷都の失敗など失意のうちに清盛が亡くなると、そののち源平の抗争で次々と破れ平家はついに滅んでしまいます。

 またまた粗筋を書きすぎてしまったかな。これを読んでいる人の中には、これではタネ明かししすぎると思うかもしれない。でもよく考えてみればこれはほとんど有名な歴史的事実である。また昨年のNHK大河ドラマ義経でほとんどやっていた内容でもある。まあそういう訳で許してもらいたい。

 この小説は副題が「平家の時代」となっているが、実は平家滅亡のあとも書かれている。何と頼朝の死後、後鳥羽上皇の承久の乱の後まで書かれているのだ。

 ではその平家滅亡後がどうして出てくるかというと、平家滅亡後は、平家が台頭する源泉となった「道」、つまり九国(九州)の道、内海の道、難波津から都までの道を掌握することを引き継いだ人物・藤原公経を、その系譜をひくものとして採り上げています。彼は頼朝の娘をもらい姻戚となって勢力を得ていたが、実は清盛の異母弟であった頼盛の孫でもあり、つまり平家の血を引く者でありました。そして道の秘密を頼盛から引き継いできた者でもありました。承久の乱前逼塞させられたり、その後も何度か深沈を繰り返したりもするがが、結局は太政大臣まで登りつめ、西園寺家をおこすことになります。

 ところでこの「道」とも関係するのだが、この小説では、御厩別当という官職が「道」への第一ステップであり、平正盛以来、その官職に就いた者のうち、その秘密を知り有効に活用した者が勢力を得たように書かれているが、ちょっと説明が不十分のような気がしました。その職の管轄下となる牧のほとんどが、馬を船で乗せやすいように淀川沿いにあり、そこを掌握することにより「道」との繋がりを得て、繁栄の道を得られるような説明のなされ方だが、それで本当に財力を得たのか、説明としては少し強引すぎる感じがします。

 私はよくこの著者を知らないが、帯紙には国際情報小説の女王と紹介され、この本では「諸行無常」のイメージから平家を解き放つ新・歴史経済小説と銘打った宣伝文句が連ねてあります。確かにあまり従来の平家物語的書き方はされず、細かい歴史経緯は述べず、合戦模様もさらりと書かれ、確かに平家勃興の経済的側面に重点が置かれて書かれてはいますが、今一という気もします。これだけの長期な時代にわたる小説だから上下巻でなく、上中下か4巻くらいで、もう少し掘り下げても良かったのではないか、と勝手な事を考えてしまった。でもそうなると、作家としてはシンドイんだろうな。

 ちょっと批判めいた事も書きましたが、大したことのない小説だというのではない。私自身この小説で教えられることも多かったし、またかなり影響を受けたようにも思う。また帯紙にも書いてあったように、こういう平家物語に関する作品は、今ままでに他に類を見ないだろう。まさに秀逸な作品です 皆様にも一読お薦めします。

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