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書評(平成18年03月14日)

『蜂須賀小六』
(戸部新十郎著・光文社時代小説文庫)

 <草賊の章>
 この章では墨俣の砦を築くあたりまで書かれています。蜂須賀小六は、私の一番好きな武将である。これは私のHPの他の箇所でも何度か書いた。草賊、野武士の出だから好きというのではなく、(勿論その一面も結構好きだが)、彼の人柄が自分にはピッタリというか、理想なのだ。この戸部新十郎氏も、どうも私が小六を好きな点に、興味を覚えるらしく、他の作品以上にそのあたりの性格を描き出しているように思う。

 彼無しでは、おそらく秀吉のみならず、信長も、さらには道三も、大きな成果はあげられなかったのではなかろうか。秀吉や信長の功といわれるものの多くは、小六が影で活躍し功を奏したものである。それを小六はあまり誇らない。私は、ほんとうは戦国時代の統一に、一番大きな役割を果たしたのは、彼ではなかろうかとさえ思っているのだが、それでも、主役の横でニコニコ微笑みながら、淡々としているのである。
 
 この本の著者・戸部新十郎氏は、私が住む七尾市の出身である。彼は、七尾出身の中では一番大衆から好かれた作家ではなかろうか。私も大好きである。杉森久英氏なども直木賞をとったので有名だが、私は杉森氏はちょっと爺臭くて、戸部氏の方が断然好きである。七尾市はもっともっとこの作家を顕彰してもいいと思う。

この作品は、前野家文書こと「武功夜話」が公にされる前の作品なので、義兄弟だった前野将右衛門や、蜂須賀家の近くにあった生駒屋敷のこと、そこの出である信長の側室・吉乃の話は出てこない(それとも続編で出てくるのだろうか)。私は前野家文書は、人によっては偽書といわれるが私は本物と思っている人間だ。

 最近の戦国時代扱った多くの小説は、遠藤周作氏、佐藤雅美氏、浜野卓也氏など、ほとんど「武功夜話」の内容が取り入れられている。司馬さんも、おそらくとりいれているはずだ。またこの小説の中に出てくる蜂須賀党という名は現在では川並衆の中の一つの党といった感じで解されていますが、川並衆という言葉も、この小説の中では一、二度出てきただけで、濃尾境界付近の三川流域の川並衆の親玉というより、有力土豪、土臭いイメージで書いている。

 これらの事(「武功夜話」の内容が反映されていないこと)は仕方ないことだと思う。でもそれを補って余りある力量で書かれ、決して他の作品にひけをとらない作品に仕上がっていると思います。

 (※「草賊の章」はもともと独立した小説「草賊」(戸部新十郎著・毎日新聞社)を改題し、「蜂須賀小六」という3章からなる小説の第1章としたものである)

 <卍旗の章>
 蜂須賀小六正勝は、人(ここでは秀吉)に尽くし、本当は一番の功労者であるのに、誇ることもなく、ただ秀吉が立身出世し秀吉が喜ぶことを喜びとする。普通は功名を競い、出来るだけ出世しようとするのだが、名利には全く無頓着。何せ、以前は自分の家来だった秀吉に仕え、それもその人が好きで、一生懸命仕えるのだ。以前の恩着せなど無い。何ともカッコイイではないか。私は、こういう人物こそ、男の中の男だと思う。その上に、非常にシャイで、家族思い。息子(小六)の事を心の中ではよく思いやっているが、それを表には出さず、空とぼけたりする。何ともいい親父ではないか。

 ここで言い忘れたことを思い出した。この本の中に出てくる蜂須賀小六とは普通の小説と違い、蜂須賀小六正家及びその息子蜂須賀小六家政(または政家)をさしている。いわば小六と名乗った父子二代にわたる歴史小説となっているようだ。主人公としては、もう中巻ともいうべきこの「卍旗の章」あたりから、ほとんど蜂須賀小六正勝からその子である蜂須賀小六政家(家政)に移っており、小六といえば子の家政の方を指し、父親の方はほとんど正勝と呼んでいる。

 「草賊の章」(「草賊」)では、墨俣城を築いたあたりで終わっていたが、この「卍旗の章」では、その後から、大阪湾での第一回目の織田水軍(九鬼水軍他)VS毛利水軍(村上水軍、乃美水軍他)の海戦が行われ、織田方が敗北したあたりで話は終わっている。

 この章のタイトルにある「卍」だが、これは蜂須賀家の家紋。小六も黒い陣羽織の背に卍を白く染め抜かせ、先頭を切って駆け抜けた。家臣はそれを追いかけるように敵陣へ突っ込むのである。元野武士だろうが、これこそ武士の指揮官の鑑である。男である。

 <西海の章>
  この章では播州で小寺家の家老で姫路城主である黒田官兵衛孝高が登場する。そして「卍旗の章」で安芸風来坊のような旅僧として登場し、蜂須賀家などにやっかいになっていたあの頓蔵主(とんぞうす)が、安国寺恵瓊(あんこくじえけい)という毛利家の外交僧として再登場してくる。

 大阪湾での2回目の織田水軍(九鬼水軍他)VS毛利水軍(村上水軍、乃美水軍他)の海戦、播磨の調略、三木城攻防戦、荒木村重の叛乱および官兵衛の有岡城の牢屋への閉込め、竹中半兵衛の死亡、鳥取城攻防戦、高松城攻め、本能寺の変、秀吉の中国大返しと山崎合戦、賤ヶ岳(しずがたけ)の戦い、石山合戦、四国調略、小牧長久手の戦いなどが書かれており、小六正勝の死と、家政の阿波徳島入場で終わりとなっている。

 「卍旗の章」あたりから、主役を息子の小六家政に譲ったとはいえ、正勝は、この章でも勿論大いに活躍する。戦場では50を過ぎても、小六も圧倒されるような先駆けや縦横無尽の活躍を見せるかと思うと、調略活動でも、コツコツと成果をあげ、益々成果をあげるありさまである。そして死ぬ間際まで政略活動を行って成果をあげている。

 正家は、息子である小六を、戦場においても、日常の仕事においても、ひとり立ちした男として、あまりかまう事はしないが、かといって素知らぬふりで、息子の事や家族の事を気にして、陰で気配りなどしているほほえましい場面などがあり、人間的な蜂須賀小六正勝像も、非常にうまく描かれていると思う。蜂須賀小六正家ファンの私にとっても、申し分ないものである

 たとえば「草賊の章」の解説で石井富士弥氏が正家の最後の臨終の場面を取り上げているが、私もそこの部分が一番良かったと思う。ちょっと私も以下に転載する。

 (正家の)やせ細った手がそろりそろりと伸び、秀吉の膝のあたりに置かれた。秀吉は両手でそれを握りしめ、またひとしきり泣きじゃくった。
 「おもろかったな」
 正勝がいった。
 「さようおもろかったおもろかった」
 秀吉が答えた。
 短い言葉のやりとりだった。が、長い人の世の喜びと悲しみが、集約されているはずだった。
 「これから、なおおもろなるというのに」
 秀吉は握った手を揺さぶるようにした。が、正勝はかすかに頭を振った。
 ほんの少し、正勝の唇が動いた。秀吉が聞き返すようにのぞき込んだ。なにをいおうとしたか、わからなかっただろう。
 正勝は口を歪めた。笑ったに違いない。
 家正はしかし、その言葉を判読していた。
 <猿よ、さらば・・・・・・>
 たしかにそうつぶやいたのである。正勝最後のたわむれ口だった。
 正家はさらに一日、こんこんと眠った。二十二日の早朝、その手がもぞもぞと動いた。家政が握りしめようとすると、振り払うようにした。存外な力だった。
 かわりに傍らからまつが握った。すると、正勝は安心したかのように、ゆるりと手をあずけた。
 「めおとですから」
 まつが家政に、すまなそうにいった。家政はほほ笑み、それでいいのだと思った。いつも離ればなれに暮らした妙な夫婦だたが・・・・・。
 そしてそのまま、正勝つは死んだ。
 安らかな表情だった。ことを成し遂げた男の顔というものだろう。

 武将の臨終の場面でありながら、何かしら非常に人間らしく、(この場に不似合いな言い方かもしれないが)美しく感じられ、自分も死ぬ時こうありたいと思う(はっきりいって無理だが)情景描写である。
 秀吉は信長を憧れ慕ったかもしれないが、おそらく一番、わがままをいい、甘えて頼ることができたのは、小六正勝ではなかっただろうか。竹中半兵衛や黒田官兵衛という参謀も途中から加わったが、彼らも含めて秀吉一党が一番頼りにしたのは正勝および蜂須賀衆だったような気がする。
 それでいて名利を求めず、どんどん秀吉傘下の後輩に禄高石高などで越されてもかまわず、ただ秀吉という人に尽くすことを喜びとする。趣味はと聞かれ「秀吉」と答える、無私の人物である。秀吉は本当に幸せ者であったと思う。

 最後に、作者は少しだけ、この作品の中に郷土七尾のことも書いている。能登畠山家が上杉謙信に攻められた時のことや、前田利家の能登支配のことなど。この辺も、七尾に住む私にはちょっとうれしい部分ではあった。

 あとがきで戸部新十郎氏は「武功夜話」が発表されたのが、この本が書かれた少し後であり、その内容が反映されていないことを明かしている。彼も次のように言っているように「もう少し後に発表されていたら、と残念に思うが、しかし経緯に多少の相違はあるにせよ、およそ私の考えていた小六像を裏付けていただいたようなもので、むしろ喜んでいる。」と書いています。

 私も先に、「武功夜話」が反映されていない事を少し残念と言いましたが、全部読んでみて思うことは、同様の感想です。この小説は十二分に小六像を描ききっていると思います。本当に皆さんにお薦めした一冊であります。

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