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書評(平成18年04月05日)

零式戦闘機』
(吉村昭著・新潮文庫)

  最近、よくNHKで技術的側面から見た零戦(ゼロセン)の歴史を描く番組が何度かされた。私も松平さんが司会する「その時歴史は動いた」で一度観た。あの番組でも、零戦の盛衰が、非常に上手にコンパクトに纏められ、その衰退の原因もわかるようになっていた。この番組に興味を覚えた私は逆にもっと知りたいと思い、いわば触発されたこの本を読んだのだ。
 本の選定にあたっては、柳田邦夫氏のベストセラー「零戦燃ゆ」や、この本と同名のタイトル「零式戦闘機」なども、いい本であるらしいことは知っていたが、私の特に好きな作家の一人である吉村昭氏のものを読んでみることにしたのだ。

 日本は、国際的立場が悪化し、戦争もささやかれる中、海軍の要請で、テレビでも出ていた三菱重工の堀越二郎技師を中心に、無謀ともいえる高性能要求を、必死の取り組みで見事クリアし、昭和10年1月まず零戦の前の機種になる九六式艦上戦闘機の製作に成功する。
 それまでの日本は、というか数年前までの日本は、飛行機後進国で、先進国の現状に追いつくだけでも、多年を要すると思われていたのだ。ところが試作機で試験をしてみたところ、世界のどの国の戦闘機も持っていないとてつもない飛行性能を示す。

 昭和14年には、12試艦上戦闘機も出来て、その頃にはじまった日中戦争に投入してみると、やはり見事な成果を示した。その後、零式(艦上)戦闘機も開発製作され、同様に中国戦線に投入すると、これまた圧倒的な力を発揮したのだ。中国側には、アメリカやソ連やヨーロッパなどの戦闘機もいたのだが、奇襲だろうが、迎撃された空中戦だろうが、関係なく、敵を圧倒してしまう。

 中国にいたアメリカ人の航空技術者は、この驚異的な性能をもった零戦について、アメリカ本土に報告するのだが、アメリカは全く信用せず、その成果を中国人パイロットの能力のせいにしてしまい、真珠湾攻撃が始まるまで、零式戦闘機の性能を認識することはなかった。
 日本は、アメリカに戦争を仕掛けるにも工業力の差で圧倒的な差が予想されたが、逆にただ一つ頼れるこの零式戦闘機を頼りにしたのか、真珠湾攻撃(昭和16年12月8日)へと突き進んでしまう。

 現在、ルーズベルトは、事前に真珠湾攻撃が行われるであろう事を知っていたことは、色々な本でも紹介され、事実の可能性が高い。私もこのブログで紹介したりもしている。それが事実なら、奇襲という言葉は少し間違いがあるが、一般兵士は知らされていなかったのは事実だ。そうして真珠湾攻撃を受けたのは、ルーズベルトに零式戦闘機の認識がなく、たとえ奇襲されても、迎撃でつぶせると思っていた節があるようにさえ私には思える。 

 何はともあれ、真珠湾攻撃は成功し、その戦果は一方的だった。また少し遅れて行われた東南アジアや中国の戦闘でも、もう相手方から警戒され、時には空中で待機していた相手機に迎撃されたにもかかわらず、その戦闘は零戦の一方的な戦果で終わり、アメリカはようやくその実力を知るにいたる。

 太平洋戦争の中盤まで、零戦は圧倒的威力を発揮した。私は、あの惨敗といわれるミッドウェイ海戦でも、アメリカ戦闘機との間に圧倒的な優劣の差を示し、空中戦で大きな戦果を挙げていることを知って驚いた。以前の私は、零戦は日本だから自慢しているのであり、ヘルキャットやコルセアとそれほど実力は変わらない機種かと思っていたのだ。

 しかし、その後アリューシャン列島のアッツ島で墜落した零式戦闘機をアメリカ側に徹底的に調べられるに至り、零戦の神秘性ははがされ、弱点も完全に暴露され、徐々に交戦でも撃墜されるようになっていく。
 それでもアメリカの戦闘機は、零戦と1対1で格闘できず、2機以上で応戦したり、弱点を突いた数的にまさる攻撃が出来るようになるまで、零戦がまだ性能的には優位さえ示しているのだ。

 零戦の性能が徹底的に調べられる話は、NHKの番組でもかなり詳しく採り上げていた。
 零戦の設計に当たっては、海軍が堀越技師に、重量の軽減と過大な航続力、それにスピード及び運動性能という、設計上お互い相反する様な要求をしたため、防御力を無視せざるをえなくなり、主翼に燃料タンクを作りつけにしたり、防弾装置を全く考慮しない設計となってしまった。それがその後の零戦の衰滅に大きく起因していく。

 その後、日本はズルズルと敗戦を重ね、戦争の終盤では、あの特攻という哀しい狂気ともいえる行為を繰り返し、アメリカ軍にも多大の犠牲と恐怖を与えはしたが、終戦へと到る。

 実は、私の叔父は零戦のパイロットで、あの真珠湾攻撃にも参加していた。草創期の予科練(確か1期か2期だったと思う)を卒業し、真珠湾参加後は、最前線ばかりまわされたそうである。アリューシャン列島や南洋諸島にも配属されたらしい。そして終戦の年の前後に帰国し、九州でパイロット養成の任務に付き、昭和20年4月1日、アメリカ軍の沖縄上陸を阻止するために(片道燃料で)出撃し帰らぬ人となっている。優れたパイロットだったらしく、潜水艦も一隻撃沈し、表彰状も貰っている。
 それだけに、別の感慨もあって読んだ。この本を読んでみると、あの戦争で、真珠湾にまで参加したパイロットが終戦間近まで生き残ったこと自体、奇跡に近かったのかもしれないと思った。

 またこういう戦争に関する本を読むことは、誰にとっても必要なことである。戦争を闇雲に否定する人は、眼を背けたがるが(中には好戦に繋がると短絡的に考える人もいるようだが)、日本人自身の性向を知るためにも、こういう戦争に関する本を読むことは非常に有意義なことだ(歴史を学ぶということは、そもそもこういうことではなかろうか)。
 私が学生だった今から20年以上も前は、非常に日本人論が盛んだった。私も、歴史関係や心理・精神分析関係など様々な側面から書かれたそういった本を読み漁った記憶がある。が、最近はどういう訳かあまり、言及されなくなった感じがする。これも若者の活字離れが大きく影響しているのだろう。残念である。

 吉村氏がこの小説を書く動機になった一つに、名古屋の工場で製作された零戦を牛や馬でか各務ヶ原飛行場まで運んでいたことを知ったことであると述べているそうだが、私もあれを読んでいて、驚いた。
 世界で断然トップレベルの零式戦闘機を、飛行場に運ぶため、平安時代の話か、と疑いたくなるような、牛車でゆっくりゆっくり、それも雨が降ると泥沼になる悪路を終戦まで搬送していたことを知り、何か日本人の愚かな側面を改めて認識させられた感じである。現実に矛盾していながらも、それを解消することを先行せずに、それを呑み込み耐えて、続けてしまう、何か同じような気質はいまだにあるように思うのは私だけだろうか。他にも色々日本人について考えさせられてしまった。

 またこれは日本人だけに言えることだけでなく、技術開発でしばしば生じる普遍的な問題も、この零戦の物語には色々含まれているようにも思える。
 
 とにかく色々な事を考えさせられる本である。どういう人が読んでも必ず役に立つ本のように思える。皆さんも是非一度読むことをお薦めします。

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