このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

書評(平成18年04月15日)

知恵伊豆に聞け』
(中村彰彦著・実業之日本社)

  「知恵伊豆」とは江戸時代初期の老中・松平伊豆守信綱のあだ名である。徳川家康に仕えた三河侍・大河内久綱の長子であったが、志をもつ彼は、実父の許可を得て、家康のもとで活躍していた叔父松平正綱(実父の弟で松平家に養子に入った)の押しかけ養子となり(弟を実家の跡継ぎとし)、小姓として出仕することになる。

 小姓の頃から、非凡な才能を発揮し、その熱意も認められた彼は、秀忠の嫡男(後に三代将軍家光となる)・竹千代の小姓となる。そのあと、彼の知恵者ぶりは、益々発揮された。賞賛を浴び、衆目をあびるようになり、小姓組頭番頭、六人衆(後の若年寄)とどんどん出世していき、ついには老中となる。

  この小説の前半は、そのような彼の出世を、機知と当意即妙の才が綴られた逸話集のような感じになっている。六人衆や老中となっても、旗本や大名などの揉め事に関与して、名判官ぶりをしめしたりしてその能力を発揮。それでも足りぬのか、さらには町奉行所受け持ちの下々のものの訴訟まで力を貸すといった活躍ぶりを示す。
 この時代は、徳川幕府の屋台が完全にまだ固まっておらず、組織も所管にこだわらずお互い余力があれば、助け合う方が良かったのかもしれない。

 後半は、天草島原の乱の鎮定、由井正雪の叛乱を未然に防ぐなど、徳川の危機を乗り切り、徳川の太平の世(パックス・トクガワーナ)の礎を築いていった姿が描かれる。
 彼は、家光が亡くなったあとの4代将軍家綱の御世となっても、老中として活躍。また何度か彼の領地は替わったが、晩年には川越藩主としても、活躍、領民を慈しみ、野火止用水を完成させ、藩民に慕われる領主となった。

 NHKでは現在、「十兵衛七番勝負」の時代劇を放映中だが、まさに十兵衛や柳生宗矩が活躍したあの時代が、この知恵伊豆の時代でもある。私もあのドラマは何回か観たが、その時には知恵伊豆(松平信綱)の顔は出てこなかった。しかし何度かその名が、あの番組でも出てきた。
 この小説のあとがきでも書かれているが、この頃を採り上げた時代小説では、知恵伊豆こと松平伊豆守信綱は、ほんとうによく脇役として、登場してくる人物なのである。

 著者の中村彰彦氏が、あとがきで書いているが、この本を書く動機は、そのようにこの頃の歴史にちょくちょく顔を出す人物であるにもかかわらず、『松平信綱』というタイトルの新書や人物叢書が存在しなかったからだという。またそうなった理由だが、それは信綱の最後にも関わることなのだ。彼の遺言で、松平家の文書を処分したために、彼の名前はよく知られていても、輪郭がはっきりしない人物となってしまったためだろうと作者は指摘しています。私もそう思います。
 この小説を読むと、知恵伊豆のような優れた官僚によって、徳川幕府が次第に礎を固めていったのが、非常にわかります。

 また中村氏は、「信綱の生き方は、それ自体が腐敗した現代の政治家や官僚たちへの痛烈なアンチテーゼとなっているようにかんじられた」と述べています。確かに教えられる事柄も色々あります。
 ボリュームが440ページとかなりあり、私もこれを読み終えるのに一週間以上かかってしまったが、どなたにも必ず得るとこころの多い小説であることは私も保証する推薦の一冊であります。

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください