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書評(平成18年04月23日)

『空飛ぶ虚ろ舟』
(古川薫著・文藝春秋)

  今日紹介するのは、古川薫氏の本である。古川さんの本は以前にも、「高杉晋作」「覇道の鷲 毛利元就」「夢の道 関門海峡国道トンネル」「天辺の椅子」「奇謀の島」などを読んだりしている。

 この「空飛ぶ虚ろ舟」とは、滝沢馬琴(式亭馬琴)を主人公とした小説である。タイトルの空飛ぶ虚ろ舟とは、享和3年(1803)常陸国の原舎浜(はらやどりはま)に現れた、現在で言うならUFOのことである。馬琴とUFOに何の関係があるのか不思議な感じがするが、この小説を読むと、江戸後期に、馬琴がこういう事に非常に興味をもっていたことがよくわかる。
 
 時代は文化文政、略して化政時代。彼は、あの江戸時代最高の伝奇小説で江戸時代を通じて最高のベストセラーといわれる『南総里見八犬伝』を書き進めていた頃だが、世にも不思議な話を求めて、兎園会というものを立ち上げた。その会は、そういった珍しい話・奇事異聞を持ち寄って、定期的に披露しあう会であった。

 文政8年(1825)のある日、馬琴とその息子・宗伯のもとに、その‘虚ろ舟'のネタを持ってきた者がいた。非常に興味をそそる話であったが、そのままでは疑問点や詳細不明な点も多く、兎園会に出して批判を受けぬためには、それらを調査する必要があった。

 その話を自分で纏めたいと思った宗伯は、馬琴の賛同も得て、常陸に出かけた。情報提供者の話では、その事件があったの(原舎浜)は、大津湊の近くという話だった。しかし最初は、場所さえわからず、なかなか情報を得られなかった。

 そうこうするうち、ある船宿の娘の病気を治したことから(馬琴も息子の宗伯も医業の知識があった)、その事件は実際にあった話だが、世間を騒擾させるとして事件以来の幕府の緘口令が現在もしかれていて、誰も教えてくれなかったことがわかる。今はその浜の名前さえも変わっていたのであった。その虚ろ舟を見た人間が画いた絵図面を見れば、それはまさしく今のUFOのようなものであったのだ。・・・・・・

 余談だが、この事件のあった北茨城市は、この書評でも何度も書いたが、私の思い出の場所である。今から10年ほどまえの会社時代、その頃は今の、さいたま市(当時の与野市)に住んでいたが、休みになると、早朝そこから自動車で飛ばして、このあたりまで釣りに行っていたのだ。

 与野には、1年ちょっとしか居なかったが、大津港や(福島県の)勿来のあたりへは、おそらく10回以上釣りに行ったものである。インターを降りると、確か出口付近に米米クラブの石井竜也の実家の菓子屋の看板が目に入り、少しはしると大津港に着いた。またこの大津港の近くには、野口雨情の生家などもあった。

 大津港は、もしこれを読む人が能登の人だとすると、(能登町の)小木港によく雰囲気が似ていたように思う。入り江は小木ほど深くはなく、海に向かって右側(南の方)には砂浜が続く海岸となっているが、海に向かって左手の方は、奇岩のような岩の山があり、何となく雰囲気が小木港に似ているのだ。
 どうでもいい話だった。話を本のことに戻す。

 馬琴や宗伯は、緘口令が出ていることを知らない兎園会の会員の前で披露する。馬琴と対立していた好問堂以外からはおおむね好評を得た。宗伯は、最初はありのまま公表しようと考えるが、馬琴に諭され、親子で処罰を受けずにこれを何とか、上梓できないものかと、考える。・・・・・・

 そうこうするうちに、年月は経ち、年号は天保となる。水野忠邦による改革がはじまり、風俗矯正の取締りが強化された。また彼のもとで、鳥居甲斐守が南町奉行として幅を利かせ、洋学の弾圧、林派の朱子学と対立するような思想の弾圧を強めていった時代であった。馬琴の『南総里見八犬伝』は、その小説の奥深くに、勧善懲悪主義や、尊王思想を秘めており、林家の出である鳥居からはにらまれていたのだ。

 馬琴はそれで、「虚ろ舟」の話を公にするのは、少なくとも八犬伝を完成してからでないと、筆を断たれる恐れがあると思い、八犬伝の著述を続けるのだが、目が弱ってきたり、種々の事情で思うように捗らない。彼の著述作業を手伝ってきた宗伯も、病弱のために亡くなり・・・・・。

 これ以上あら筋を書くと、これから読もうという人の楽しみを奪ってしまうから、この辺でやめておく。一つだけ加えると、小説の最後の方では、馬琴の身の周りにも、奇事が起こり、意外な展開となり、小説の面白みを深めている。まあ自分で読んでみるのが、一番だろう。

 ↓ここから以降は、本とは直接関係無く、この本を読んで色々考えたり、思いついたりしたことである。

 能登にも、能登一ノ宮の気多大社に伝わる気多文書(確か七尾市田鶴浜図書館に本となったものあり)に、飛行物体の記録が載っていたり、宝達山に、モーゼが飛行物体に乗ってやってきたという言い伝えがある。この空飛ぶ虚ろ舟などは、その飛行物体に乗せてもらった上に、それを実際に見た人が画いた絵図面や触った人などの話まで画かれていたというから、もしかしたら本当の話かもしれない。
 私は、昔、あまりそういう話はバカにしてまるで信じなかったが、今はどういう訳か、そういうことが別にあってもいいのではないか、思うようになってきた。

 『南総里見八犬伝』について、いうと、昔NHKでやっていた人形劇が懐かしく思い出される。最近、映画化され話題を呼んでいるようだが、私自身も、ここ10年ほどで、平岩弓枝さん他でこの小説を取り扱った本を何冊か読んでいる。この『南総里見八犬伝』は、馬琴が、三国志や中国の伝奇小説(おそらく水滸伝?)、古今東西の話を色々参考に書いたようだ。

 私は、以前から次のように思っていた。
 漫画家・鳥山明氏の、あの超爆発的なヒットした作品。そう何年にも亘って連載され続けたあの「ドラゴンボール」も、言ってみれば現代版『南総里見八犬伝』だと思うのだ。あのドラゴンボールという設定は、水滸伝と八犬伝双方を参考にしたように思うし、天下一武道会は完全に水滸伝を参考にしているように思う。ちょっと色気のあるおちゃめな一仙人に過ぎなかった亀仙人をあれだけ有名にしたのは、他ならぬこのドラゴンボールではなかろうか。彼鳥山氏は、ほんとうに色々な話から取材し、自分の漫画にうまく盛り込んでいると思う。鳥山氏は、ほとんど人前に出たがらない人だそうだが、相当な教養人のような気がする。

 またまた話が、変な方へと行き過ぎた。軌道修正!
 何を言いたいかというと、今も昔も、売れる小説(ドラマ、漫画 etc・・・・)は、意外と(種々の)古典に回帰して、それを自分なりにリメーク(または纏め上げ)しているのだな、と改めて感じた。そのままでは古臭くて現代の若者が読み(観)そうにもない話でも、古典的素晴らしい作品なら、それを現代の事件・諸事象・諸条件で照らし合わせ、何と言うか、止揚(アウフヘーベン)すれば、現代に生き返る(甦る)ということではなかろうか。

 とりとめないことを今回は書きすぎた。そのせいか、もうそろそろログ書きも疲れてきた。この辺で終わりとしたい。次回もお楽しみに!

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