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書評(平成18年05月04日)

『バカの壁』(養老孟司著・新潮新書)

   あのベストセラーである。最近は、続編らしい『超バカの壁』もでたようである。この本は読んでいなかったが、実は養老さんの本は昔から結構読んでいた。
 養老さんの前書きによると、この本は、彼の独白を文章化したものらしい。それだけに、今までの養老さんの本より確かに、わかりやすい。
 流行語になったぐらい売れた本だから読まれた方も多かろう。

 本の随所に、人の意表を衝くような・あるいは鋭い指摘が散見できます。少し抜書きしたり、感想など書く。
  常識について。ピーター・バラカン氏「日本人は、“常識”を“雑学”のことだとおもっているじゃないんですかね」と言った言葉を、まさにその通りだと言い、常識とは、「誰もが考えてもそうでしょ」ということだ。とやさしく説く。私も、常々思っていたことであった。

 ウィーンの哲学者・カール・ポパー氏の「反証されえない理論は科学的理論ではない」ということ「反証主義」の紹介と説明もわかりやすかった。

 「脳の一次方程式」の章も面白かった。Y=aX という一次方程式を設定。Xを脳への(情報の)入力値。Yを情報に対する反応。aはどのような係数かというと、「現実の重み」のようなものと考えると言う。たとえば、自分が知りたくない(例えば、関心のない、考えるのが苦手な)情報については情報は完全に遮断するので、a=0となるわけだ。よって反応のゼロ。聞いているといっても聞いていないのと同じ。いわゆるバカの壁の一種となる。またこの同じ公式によって一神教の考え方や、人間の嫌悪感情・適応性なども非常にうまく説明している。

 「「個性を伸ばせ」という欺瞞」や「万物流転、情報不変」という章も、非常に逆説的だが、よく読むとこちらが、本当は当たり前なのであり、自分らの考えが転倒してしまったことに気づかされる。
 (変わらないと思っている)自分達も、日々変わっているのであり、また万物は変化している。そして本当は、変わらないのは、一度何らかの形で情報化された情報なのである。

 養老氏は、「個性を伸ばせ」という考えの欺瞞性を述べ、そういった事を心配するよりもっと大事なものがあるとし、
 「それより、親の気持ちがわからない、友達の気持ちがわからない、そういうことのほうが、日常的により重要な問題です。これはそのまま「常識」の問題につながります。
 それはわかり切っていることでしょう。その問題を放置したまま個性と言ってみたって、その世の中で個性を発揮して生きることができるのか。
 他人のことがわからなくて、生きられるわけがない。社会というのは共通性の上に成り立っている。人がいろんなことをして、自分だけが違うことをして、通るわけがない。当たり前の話です。」と鋭く現代日本の風潮を批判。

 「教育の怪しさ」の章では、「反面教師になってもいい。嫌われてもいい、という信念が先生にない。なぜそうなったか。今の教育というのは、子供そのものを考えているのではなくて、先生方は教頭の顔を見たり、校長の顔を見たり、PTAの顔を見たり、教育委員会の顔を見たり、果ては文部科学省の顔を見ている。子供に顔が向いていないとういうことでしょう。
 よく言われることですが、サラリーマンになってしまっているわけです。サラリーマンというのは、給料の出所に忠実な人であって、仕事に忠実なのではない。職人というのは、仕事に忠実じゃないと食えない。自分の作る作品に対して責任を持たなくてはいけない。」

 私が、普段から思っている事をよくぞ言ってくれたという感じ。先生に対する批判のみならず、「職人というのは、仕事に忠実じゃないと食えない。自分の作る作品に対して責任を持たなくてはいけない。」という点も、私は特に強調したい。
 
 その他にも、キリスト教世界とイスラム教世界の一元論的世界の危うさ、日本もだんだんと一元論化してきたという指摘。オウム真理教に多くの東大生などが惹かれていった理由。衝動殺人犯と連続殺人犯の脳から見た解剖学的分析など、面白い話が沢山書かれています。

 やっぱりベストセラーになるのは、当然の本という感じです。あなたも興味をもたれたら是非一読することをお薦めします。

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