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書評(平成18年05月10日)

『誰か』(宮部みゆき著・実業之日本社)

 この本を買ったのは、初版が発売されてまもない頃だったが、その後2度この本を読み進め、途中でやめてしまった。が、三度目にして最後まで読むことが出来た。

 どう言っらいいだろうか。人が、轢き逃げ事件で亡くなるのだが、どうやら子供が、勢いをつけたまま自転車で撥ねてしまったらしいという事で、事件であるとは言え、凶悪性というか恣意を感じないのだ。つまり最初から殺人ではなさそうな雰囲気ではじまるのだ。
 いきなり粗筋に入ってしまった。やはり少し纏めて書こう。
 
 話は、今多コンツェルン会長の私的(個人で雇っている週末だけの)運転手・梶田信夫が、都内のある町で、猛スピードで走ってきた自転車に轢き逃げされたことに始まる。犯人は2週間ほど経っても、捕まらなかった。

 梶田には、2人の娘がいた。姉の聡子はもうすぐ結婚式を挙げることになっていた。妹の梨子(りこ)は、警察の捜査にじれったく感じ、犯人の捜査に繋がるよう、父親の事を書いた本を出すことを思いつく。その相談を受けた今多会長は、信頼していた運転手の娘達の願いでもあり、その頼みを聞き届けることにした。

 そして自分の娘婿である杉村三郎(主人公)に、梶田姉妹の相談に乗ってやってくれと頼む。
 梶田姉妹と会って本の製作の依頼を受けた杉村は、その会談の後、姉の聡子とだけもう一度話し、姉の方は本を出したくない事を知る。理由を聞くと、亡くなった梶田には後ろ暗い過去があるかもしれないというのだ。
 
 なぜそのように思うのかと事情を聞くと、自分(聡子)は3歳の頃、見知らぬ人に誘拐され、母に助け出された事があるという。そして今回の事件の少し前にも、梶田は、聡子に「お前が嫁ぐ前に、ちゃんとしておかないといけないことがある」と言っていたという。それが何か暗い事件に繋がる重要な事ではなかったのか・・・・と考えたのだ。

 よって杉村の調査は、梶田の昔を知る人物から話を聞いて回りながらも、聡子の不安が真実かどうか調べる事になっていく。

 サスペンス小説にありがちな、何かはっきりした事件を、主人公を含めた登場人物が解いていくというようなストーリーではない。犯人の捜査は、主体的な活動ではなく、チラシや本などを作成することによって早まれば良い、というものであり、普通の推理物とは少し違う。
 
 不安という点では、梶田の過去に、何があったのか、という事が一番重要な要素となってくる。
 タイトルの「誰か」は、梶田を轢き逃げしたのは、「誰か」という事であろうが、また上記のような訳で、単純にそれだけの意味でも無いのだ。

 本の前半というか2/3くらいまでは、主人公の調査などで、梶田の過去や人柄が徐々に明らかとなるが、非常にスローテンポのような感じだ。残りの部分で、事件が急展開していく。轢き逃げの犯人は比較的早く想像がつくようになっているが、小説の核心は、梶田が隠してきた過去にあるので、その辺が明らかとなってくるクライマックスは、さすがにサスペンスらしく、緊迫感のある展開となっている。

 そして最後は、さすが宮部みゆき!!、意外な展開だ!、という風になる。といっても、そう思うのは、私くらいなのか、他のレビューなどたまたま見たら、事件の顛末の予想はついた、という読者もいるようだ。が、私にはホント予想外の幕引きだった。単純な推理をした方が、結末の予想が当たった、という事かもしれない。

 今回の作品は、宮部みゆきの作品の中でも、全体の緊迫感が薄くちょっとガッカリと言う人もいるかもしれないが、ノンフィクションとは言え、現実性を考えた場合、こういう展開の方がありそうな気がする。そしてこういう小説は、宮部みゆき以外の他の作家では、なかなか書けそうにないような気がする。やはり彼女の力量をもってして書きうる作品ではなかろうか。

 亡くなった梶田信夫が若かった頃、つまり高度成長期の頃、町工場などで働いていた人々の様子というか、当時の時代背景もよくとらえているように思うし、他にも、最近の自転車事故などの事情、スクールカウンセラーなどの事情、最近の若者の恋愛事情など、うまく盛り込み、社会の諸問題を色々扱った深い作品に仕上がっています。

 皆さんも、この小説の読みはじめは、私と同様、なかなか嵌らない(小説の中にき込む力がいつもより弱い)と感じるかもしれませんが、読み終えてみると、いつものように人間というものの
洞察力が鋭く、社会の深部を抉るように書かれた秀品と理解できるはずです。 

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